鹿島神社(飯島町734)
写真は境内にある天神社にさげられたお神酒を入れる竹の徳利です。この鹿島神社には、たくさんの竹筒が下げられていました。この竹筒は、あちこちの神社で見られますが、甘酒を入れる場合もあるようです。
わーほい(根本町)
小正月に行われるどんど焼のことを水戸ではわーほいというそうです。そのとき、燃える火の中にさしこんで餅を焼く竹の棒が、たくさん用意されていました。
六地蔵寺(六反田町767)
去年、境内の歩道が整備されて、竹の手すりが設置されていました。竹の手すりを縦の棒杭に固定させるのにも竹が使われています。
水府橋斜め道向かいの崖斜面(北見町3)
斜面が崩れるのを防ぐための防壁をつくるそうで、1月26日に竹林が伐採されていました。あっという間に竹林はなくなっていきました。竹が浅く根がはって崩れやすい崖のままより、こうした方が安全になる、と工事している人は言っていました。
立原翠軒・杏所両先生宅址碑(柳町2-4-14)
彰考館総裁になった立原翠軒は竹が好きで、此君堂(しくんどう)と号したそうです。此君は竹の異名だそうです。また、今は柳町ですが、翠軒の住んだ竹隈という旧地名も関係あったのでしょうか。翠軒がこの地で運営した私塾の名前も此君堂だったそうです。
竹串
水戸藩の下級武士はとりわけ貧乏で、鰻の蒲焼きに使う竹串を作るのは有力な内職の一つだったそうです。まじめな水戸武士によって丁寧に作られた竹串は、江戸では評判で「鰻の串は水戸に限る」といわれたそうです。明治になってからも、「役人になれば鰻が食われるが、役人にならなければ鰻串を削らねばならぬ」と内藤耻叟(ちそう)は言ったそうです。