ぶらっと 水戸

水戸の見て歩き

水戸の富士(1)

2022-06-08 19:32:56 | 水戸

富士神社(別所集落センター(大場町590-1)隣)
 創祀は分からないようですが、毎年12月1日に祭礼が行われているそうです。昭和63年に改装されたときに、富士吉田市にある北口本宮冨士浅間神社の分霊を持ち来たったそうです。全国に富士神社は1300社くらいあり、多くは富士山を取り巻くように分布していているそうです。初めは富士山を遠望できる遙拝所だったろうとのことですが、数メートルですが少し高い所にあるこの神社も、もしかすると富士山が見えたのかもしれません。水戸の富士神社というページもあります。

 

富士の図(弘道館 三の丸1-6-29)
 弘道館に展示されている、徳川斉昭の正室・吉子が描いた富士の図だそうです。「名も高く 萬代まて(で)も うこ(ご)きなき 不二と友にや 猶(なお)栄へなむ」(名高く不動である富士とともに、これからも栄えていくだろうといった意味でしょう。) 弘道館庭にある桜の碑に刻まれた歌も吉子のものだそうですが、しっかりした女性だったようです。

 

富士見窓(好文亭 常盤町1-3-3)
 好文亭3階にある楽寿楼にある窓です。軍事演習・追鳥狩で使われた、巨大な陣太鼓をつくったときにでたケヤキ材の残り部分を使った丸窓だそうです。ここから富士山が見えたようですが、私には見えませんでした。空気のきれいなよほど晴れ渡った日でないと、今は見ることができないのでしょう。

 

小字地名・富士山(写真は下入野36°18'33.4"N 140°31'09.3"Eあたり)
 下入野に富士山という小字(こあざ)があるそうです。ただ、読み方は「ふじやま」だそうです。ここには、八坂神社大玉阿夫利・冨士浅間神社がありますので、それと関係があるのでしょう。写真は、その近くにある富士山共同墓地にあった立札です。

 

富士坂(崖下入口 36°23'02.6"N 140°27'55.8"Eあたり)
 この坂をのぼったあたりに富士権現があったので付けられた名前だそうです。富士権現は光圀の時代、寛文3年(1666)に破却されたそうです。滝坂ともいわれたそうですが、写真左手が谷になっているので、どこかに滝があって水が流れていたのでしょう。昭和42年の町名改正まで、五軒町3丁目あたりを藤坂町といっていたそうですが、それはこの富士坂から来た名前だそうです。

コメント
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