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水戸の鮭の話(2)

2022-12-07 20:48:46 | 水戸

江戸時代の鮭
 川幅のある那珂川に、松杭300本、太い竹3000本をたてて、網で遡上する鮭を捕らえる網代(あじろ)という仕掛けがつくられたそうです。菊地家の当主七郎兵衛は、西山荘へ光圀から呼ばれて、郡奉行所に願い出て鮭漁を行うようにと命じられたそうです。すでに同様の漁が下野国などの那珂川上流で行われていたので、水戸藩の利益を考えてのことのようです。その年の一番鮭、二番鮭などは、藩によって、高いときには10両もの値で買い上げられたりしたこともあったそうです。ただし、その外の藩の買い入れは、市場価格よりはるかに低いものだったようです。たぶん番号のついた値の高い鮭が、京都御所や幕府への献上品などになったのでしょう。写真は市立博物館にある白鮭の展示です。

 

鮭の養殖
 徳川光圀との関係から、那珂川鮭漁の権利を一手に任された歴史を持つ、網代元(あじもと)と呼ばれた青柳の菊地家は、明治になってから農商務省の指導を受けながら、鮭の養殖を試みたそうです。その結果、明治10年に、日本で初めての本格的鮭のふ化に成功して、養殖漁業の先鞭をつけたそうです。

 

ラバーダム(柳堤堰)
 桜川の水位を上げて備前堀に桜川の水を導入するために平成13年に完成した柳堤堰(りゅうていせき)というゴム製のダムだそうです。鮭の遡上を妨げないために、農業期間だけに使われるためのアイディアのようです。ダムがふくらむと、桜川の流れが悪くなり、アオコ発生の一因にもなるようで、それに対するいろいろ対策が講じられているようです。ただ、サケの遡上数が、今年は最盛期の1/50になり、不漁が続いているそうで、別の問題もでてきているようです。写真で、ダムに向かって右側にはフィッシュラダーがあります。

 

柳河八勝 秋鮭遡上碑
 平成15年の柳河小学校創立130周年記念に柳河八勝制定が決まり、平成18年に完成した事業だそうです。かつては旧・万代橋(よろずよばし)の上からは、鮭の回遊する姿を見ることができたそうです。写真右側が那珂川です。

 

サーモンデシュ
 鯖の味に合うサバディシュに続いて、吉久保酒造(本町3-9-5)が、鮭の味に合わせてつくったという清酒だそうです。酸度とアミノ酸度を高くして、鮭の味に合わせたそうです。そうすると、脂分のきいた味の濃いつまみには合うといった感じなのでしょうか。

水戸の鮭の話(1)


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