富士登山記念碑は水戸ではあまり見ることがないようです。今のところ4基見ましたが、皆、明治以降に建てられた碑で、江戸時代のものは見ていません。水戸では、江戸時代以後にも、富士講があったようですし、ミニ富士である富士塚も残っていたようなので、よく見て回れば何かあるかもしれません。
富士大山参拝(鹿島香取神社 下大野町258)
明治12年に建てられたらしい参拝碑です。12名の名前が刻まれているようです。江戸時代に、富士山参拝登山は片参りといわれ、女神の木花開耶姫(このはなさくやひめを)祀る富士浅間神社のある富士山だけでなく、男神である大山祇命(おおやまつみのみこと)を祀る大山阿夫利(おおやまあふり)神社のある大山も同時に登ることがはやったそうです。これなどはその名残りなのでしょう。
富士登山記念碑(芳賀神社 栗崎町1677)
明治44年に建てられたようです。富士登山記念碑では、碑の下部に参拝者名を彫るのが定型のようで、この碑では9名の名前が見えます。
大山富士山高尾登山記念(香取稲荷神社 東大野158)
昭和12年に碑は建てられたようですが、大正9年に3人が、昭和11年に7人が登山したことを記念して建てたようです。これは裏に彫られていました。それにしても、3つの山を参拝して回るのは大変だったことでしょう。
富士大山登山記念(八坂神社 酒門町36°20'40.5"N 140°29'09.7"Eあたり)
大正13年に建てたようです。水戸で見ることのできた4基の碑のうち、3基までが富士山以外の山も一緒に参拝登山しているようで、巡拝という形式が広く行われていたのだろうと思いました。
水戸の参拝碑
水戸の伊勢参宮碑(3)
水戸の西国板東秩父供養塔(2)
水戸の西国巡拝碑
水戸の西国三十三所供養塔(2)
水戸の出羽三山碑(3)
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