井戸神
井戸は神聖なものと考えられていたようで、正月には鏡餅が供えられたり、節分には豆が蒔かれたりしたそうです。役目を終えて埋められるときは、塩と御神酒で清めてから梅の木と芦(あし、よし)をいれた(埋めて良し)そうです。弘道館正庁の床下が陥没して、その原因が井戸を十分に埋めていなかったことであることが分かり、急いで弘道館建設の工事が行われたのではないかとも考えられているようです。写真は、飯富町にある釜井戸の井戸神を祀った神社です。
おかまさま
竈神(かまどがみ、こうじん)、荒神(こうじん)ともいう火の神さまで、お勝手の上に棚を作って祀ったそうです。田植が終わると、おかまさまには36人子どもがいるということで稲の苗を36供えるところもあったそうです。本町にある竃神社は、もともと三宝荒神といわれていたようですが、斉昭が今の名前に改名したそうです。写真は茨城県立歴史館で見た竈神です。「竃土大神 火災消除、家運長久」とあります。
二十三夜待ち
毎月23日の夜に、本尊を勢至菩薩とした、二十三夜の月の出を待つ行事が行われていたそうです。講を作り、集まってお経を唱えてから、酒肴を前に四方山話で夜を更かすといった行事だったようです。それに伴って、二十三夜塔などが数多く建てられたようです。特に水戸では桂岸寺の本尊・勢至菩薩が二十三夜尊といわれて「霜月三夜は逃げても詣(もう)れ」ということわざまで生んで、広く信仰されたそうです。写真は加倉井町で見た二十三夜塔です。
藁宝殿(わらほうでん)
写真の藁宝殿は、洪水で高台へ移った民家の屋敷神を大井神社で祀っているものだそうです。昔の屋敷神は、こうした、祭の日ごとに作りかえられた、藁で作っものが普通だったのでしょう。現在一般にある石祠の前の姿なのでしょう。今でも、神社でまれに見ることがあります。
わかよせ
わかさまという霊能者が、棒で弓の弦を叩きながら唱え言をして故人のお告げを語るということが行われていたそうです。家という考え方がほぼなくなった現代は、自分の手相を見てもらうことはあっても、親や祖先の声を聞こうとすることはなくなったようです。
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