「親友よ!」と呼びかけられて生きる「親鸞一人」がここにいる(報仏寺 河和田町887)
阿弥陀の本願は一人一人に向けられるが、それは他力本願を信じることによるのであるといったことなのかなと思うのですがよくわかりません。「親鸞一人」は、唯円による歎異抄の後序にある言葉のようですが、「親友」は批判者のようです。
病によりて道心はおこり候か(妙真寺 河和田1-1646)
病で死ぬかどうかは分からないことであるが、病は仏がもたらしたものかもしれない、病の人は仏になるとお経に書かれている、病によって信仰がおこるのだろうといった感じの言葉の一部のようです。日蓮の「妙心尼御前御返事」にあるそうです。
千里同風 離れていてもいつも同じ風が吹いている(安楽寺 元吉田町2511)
「千里同風」は、遠くにも近くにも同じ風が吹くという意味のようです。仏の働きが世の中に広がっていることをいっているのでしょう。ただ原典である論衡には「千里不同風」とあるようです。
おかげさまの世界に孤独はない(光円寺 酒門町52)
「仏説無量寿経」にある言葉だそうです。報恩感謝の気持ちは、お互い様、認めあい、助けあいなどでもあるようです。現代人の孤独を癒やす言葉でもあるのでしょうか。
迷う時は衆生と名づけ 悟る時をば仏と名づけたり(妙雲寺 見川2-103)
親鸞の「一生成仏抄」にあるそうで、この文のあと、曇った鏡も磨けば明鏡となるとあるそうで、迷いも悟りも同じ人のことであるといっているようです。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます