東征神社(青柳町 県道349号線青柳信号北約100m)
日本武尊(やまとたけるのみこと)が青柳で乗り捨てた舟を住民が埋めて、そこを東征舟といって聖地にしたそうです。地元ではそこを「とうしが舟」といっているそうです。文化3年(1806)のひどい日照りの年に、思いあまってそこを掘りおこすと、大雨が降って田植ができたそうです。そでで住民は日本武尊をたたえて、東征神社を建てたそうです。掘ると水が湧きだしたとか、舟が出てきた(境内にある常磐尋常小学校長・石川淳撰文による石碑など)という伝説もあるようです。
牛塚(六地蔵寺 六反田町767)
六地蔵寺の中興3世である恵範(えはん)は、多くの仏典・資料を収集したそうですが、それを運んだ牛が六地蔵寺に着くとまもなく死んでしまったそうで、その牛を塚をつくってねんごろに葬ったそうです。向かいの駐車場にある牛塚がそれだそうです。また、運搬の時に積み荷のバランスを取るために6個の石をいっしょに運んで来たそうです。そのうち2個が現存したそうで、それを「おごご石」と呼んだそうです。
屋号・甕屋(かめや)のいわれ(下国井)
下国井に釣り好きな男がいて、那珂川に大洪水があった翌日、釣に行ったところ、川岸の崩れた所に砂金の入った壺を見つけたそうですが、その時にはすでに大部分の砂金は濁流に流されてしまっていたそうです。しかしその壺は、水を入れると立っていますが、空にすると倒れてしまい、少しずつ水を入れてゆくと次第に立ったそうです。これを聞いた徳川斉昭が望んだので献上したところ、望みを聞かれたので、代々残るものと答えると、甕屋という屋号をもらったそうです。
雀の孝行と燕の不孝(常澄)
雀(すずめ)と燕(つばめ)は兄弟だったそうです。親が危篤になったときに、働き者の雀はすぐに駆けつけたので死に目にあえたそうですが、燕はおしゃれをしていてあえなかったそうです。神様は、雀は働き者で親孝行だから米や粟を食べてもよいが、燕は親不孝だから虫を食べなさいと言ったそうです。それから燕は「虫食い、土食い、口しぶい」と鳴くようになったそうです。
和尚と小僧
けちな和尚がいて、小僧に隠れて餅を食べていたそうです。そっと帰って現場を見た小僧が、「ただいま」というと、和尚は餅を囲炉裏の灰の中へ隠したそうです。小僧はそっちへ行くと黒犬が、あっちに行くと赤犬がと言いつつ灰に火箸を差し込んでかいたので、餅がたくさん出てきたそうです。鼠がくわえ込んだのかなと言いつつ、和尚は小僧に餅を1個やったそうです。すると知恵のある小僧は、合わせ餅が好きだと言って2つ、綿入れ餅が好きだと言って3つ重ねて食べてしまったそうです。
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