燭台斬り光忠(徳川ミュージアム 見川1-1215-1)
伊達政宗が罪を犯した家臣を燭台と共に切ったことから付けられたという名前を持つ、鎌倉時代に光忠という刀匠によって作られた刀で、政宗から水戸徳川家に贈られたそうです。関東大震災で蔵に入ったまま火にかかってしまい、そのままになっていたそうですが、最近の「刀剣乱舞」ブームによって、世に出てきたそうです。今は宮入法廣(のりひろ)によって復元された刀と並んで展示されています。
弘道館鹿島神社神刀(鹿島神社 三の丸1-6-4)
徳川斉昭が弘道館鹿島神社を新設したとき、神刀を自ら作り、「大神のたけくさかしき心もて蝦夷が千島もきり開かなむ」の一首を添えて奉納したそうです。銘は葵くずしで、刃には漆が塗られ、一部刃が見えるようにしてあるそうです。市指定文化財で、今は茨城県立歴史館の保存されているそうです。斉昭は学生警鐘も作ったそうです。
東武館の剣術(東武館 北見町2-26)
藩校・弘道館の剣術方教授だった小沢寅吉は、武芸の衰えるのを憂えて、明治7年に北辰一刀流と新田宮流を伝えようと東武館を創設たそうです。その後、戦災による焼失や、終戦後の武道禁止令などの苦しい時期があったそうですが、昭和28年に財団法人として認可が下りたりして、今にその流れは伝えられているそうです。時に一般にも披露されているようで、写真はだいだらぼうまつりでの刀技披露の様子です。
追儺式で行われる鬼神除けの神楽(水戸八幡 八幡町8-54)
節分祭で行われる追儺式の中で、大神が邪鬼を打ち払うときに、刀を持って舞っていました。写真は水戸八幡ですが、別雷皇太神でも同様の舞が行われていました。
安島帯刀(あじまたてわき 酒門共有墓地 酒門町330)
信立(のぶたつ)が名で、帯刀(たてわき)は通称だそうですが、通称の方が通用しているようです。徳川斉昭の命で家老になったそうで、その時から帯刀を名乗るようになったそうです。朝廷から与えられる正式な官職ではないものの、武士が官名を自分の通称に使うことが広く行われていたようで(百官名というそうです)、大石内蔵助(くらのすけ)良雄などもその例のようです。帯刀は皇太子の護衛官、内蔵寮(くらりょう)は宮中の御料を司った役所のことのようです。安島帯刀は、徳川慶喜擁立や、戊午の密勅(水戸の辞世句)に関わったとして、幕府に捕らえられ、安政の大獄で切腹を命じられてそれに従ったそうです。藤田東湖と共に両田といわれた、戸田蓬軒の実弟です。
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