ぶらっと 水戸

水戸の見て歩き

水戸のレトロ(1)

2019-07-11 19:16:54 | 水戸

ランプ(柳町1)
 なぜかこんな骨董品が雨ざらしになってさげられていました。ホヤが、一方は割れていて、一方は黄門という文字が入っています。(比較的新しいものなのでしょう)昔は、ランプ掃除が子供の役目だったなどと読んだことはありますが。

 

ミシン(茨城県立歴史館 緑町2-1-15)
 ソーイングマシンのマシンがミシンと言われるようになったそうですが、このあたりの足踏みミシンは、私でもいじったことはあります。ミシンは、家の中でもひときわ高い地位をもっていたように覚えています。

 

金床(かなとこ 低区配水塔 北見町2-11)
 低位配水塔の裏手にある鍛冶舎の中にありました。水道管工事で使われたツルハシの修理をするための建物で、中に金床(写真右)と火炉(かろ 写真左)が残っていました。火炉で熱したツルハシを金床にのせて打ったのでしょう。

 

公衆電話(メガネのクロサワ 南町2-4-37)
 昔の電話のスタイルでつくられた公衆電話のようです。もちろん今は使えません。

 

ごみ箱(エバタ工機マシンセンタ 元石川町194-2)
 最近はほとんど見られなくなりましたが、昭和時代にはごく普通に使われていたごみ箱が並んでいました。

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水戸の不動(5)

2019-07-10 20:26:07 | 水戸

下入野町(下入野コミュニティセンター(下入野町1710)南約150m))
 向背の炎は、カルラという鳥が吐いた火だそうです。これは迷いを焼き尽くす火でもあり、知恵の火でもあるそうです。小さな神社の隣にあります。

 

滝不動尊(田野不動院会館(田野町660)脇を降りた崖下)
 今、わき水はありますが、かつては滝があったのでしょう。眼病などに霊験があるとして信仰されてきたようです。

 

小山霊園(小山公民館(河和田2-1725)道向かい)
 共同墓地内にある無縁諸精霊供養塔の石造物群の中にありました。下半分はなくなっているようでした。

 

無縁供養塔(吉沼観音堂 吉沼町686-3)
 吉沼観音堂は、かつてあった観音寺跡にあります。背後に無縁供養塔の石造物群があり、その中にありました。これは頭より上が欠けてなくなっています。

 

清巌寺(元吉田町3240)
 観音・呑竜堂内部にありました。不動の目は、片方は見ひらき、もう片方は半眼になり、歯(きば)は左右上下別々に出るそうですが、この木像はそうなっています。

水戸の不動(4)

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水戸黄門いろいろ(2)

2019-07-09 20:17:00 | 水戸

別春館(元吉田町327)
 明利酒類㈱(酒銘:副将軍)が運営する観光酒蔵だそうです。徳川光圀が「げに盃中には別に春を置くぞかし((今は寒い冬だが)盃の中には別に春が置かれている)」といったということから名づけられたそうです。

 

さかなや道場(宮町1-7-33水戸サウスタワー11F)
 ずいぶんリアルな黄門ですが、このあたりがいちばん一般的に考えられている黄門像なのでしょう。

 

南町
 去年の夏、歩道にある街路灯にさげられていた、プレミアム商品券セールの表示に、黄門の顔が描かれていました。黄門なので地の色が黄色なのでしょう。

 

銀杏坂
 これも去年の夏に開催れた黄門まつりで、銀杏坂あたりにあった黄門の顔を描いた旗です。黄門にもいろいろな顔があるようです。

 

森戸町工事表示
 茨城県のマスコットキャラクター・ハッスル黄門です。今年3月で「隠居」したそうです。その役割は、ねば~るくんや、茨ひよりが引きついで行くようです。

水戸黄門いろいろ(1)
徳川光圀の話あれこれ(6)
徳川光圀の酒(5)

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水戸の窓(1)

2019-07-08 20:40:35 | 水戸

好文亭何陋庵待合(かろうあんまちあい 常磐町1-3-3)
 何陋庵(かろうあん)という茶室に向かう前に、入室の合図を待つ場所(待合)です。なぜか三角の窓がつけられています。つくばいの水を入れる穴が丸いので、どこかに四角い意匠があるのかも知れません。

 

好文亭太鼓廊下(常磐町1-3-3)
 好文亭の奥殿と、お三階を結ぶ太鼓廊下にある窓です。これは、徳川斉昭のアイディアによる、外からは中が見えない竹格子の窓だそうです。

 

好文亭楽寿楼(常磐町1-3-3)
 3階は楽寿楼といって、絶好の見晴台です。そこにある、かつてはこの窓から富士山が見えたという、富士見窓です。窓枠は、斉昭が追鳥狩に使った巨大な陣太鼓を作った時に残った材で作ったそうです。

 

旧三菱東京UFJ銀行水戸支店(泉町3-2-4)
 いかにも銀行らしいがんじょうな作りの窓です。明治42年に建てられたこの建物は、川崎銀行水戸支店だったそうです。設計は、国の重文・司法省旧本館(千代田区霞が関)などをてがけた、ドイツのエンデ・ベックマン事務所であると伝えられているそうです。現在、業務は向かいのビルに移っていているそうですが、旧建物の今後はまだ決まっていないようです。

 

宮町
 きっと地下のような部屋で暗いので、石垣を崩して窓を作ったのでしょう。この石垣は、以前東照宮が築いたものだそうです。

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水戸の八角(1)

2019-07-07 19:13:16 | 水戸

仏性寺本堂(栗崎町1984)
 8角形の仏性寺本堂は、天正13年(1585)に江戸氏の家臣だった立原氏による外護のもとに建てられたそうです。元禄6年(1693)に東向きになったそうですが、平成26年、東関東大震災による被災からの復興の際、南向きの元の形に直したそうです。またこの時、屋根も銅葺きから茅葺きに戻したそうです。国の重要文化財ですが、茅葺きの八角堂寺院はここだけだそうです。

 

八卦堂(はっけどう 三の丸1-6)
 八卦堂は、弘道館記碑の覆い堂として、徳川光圀のつくった小石川藩邸後楽園内の八卦堂にならって徳川斉昭がつくったそうです。昭和20年の戦災で建物は全焼し、昭和28年に建物は復元されたそうですが、それまで石碑はそのままになっていたそうです。

 

吉田古墳(元吉田町345・347)
 前方後円墳が多かった古墳時代ですが、最後にあらわれたのが八角型の古墳だったそうです。吉田古墳はその一つだそうですが、壁面に線刻の刀などの絵があるそうで、そうした例はここだけだそうです。今は川砂で密閉して保存しているそうです。国の指定史跡だそうです。

 

八方神(大井神社 飯富町3475)
 8つの方角にふりわけられた神々を祀っているようです。8つある石造りのやしろが置かれている基壇が、八角形になっています。本殿右手奥にあります。

 

ハッカクレン(報仏寺 河和田町887)
 メギ科で、八角蓮と書き、ハスノハグサともいうようです。ハス科の蓮とは違う植物ですが、葉の形がそれほど切れこまないで、八角形に見えて、蓮のように見える葉もあるので、このようにいわれるようです。報仏寺境内の駐車場脇にありました。報仏寺ではクマガイソウやユキワリソウなども見ることができます。

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