ぶらっと 水戸

水戸の見て歩き

水戸の光明真言百万遍供養塔(3)

2019-09-25 20:47:43 | 水戸
  光明真言とは、密教で使われる呪文の一つだそうで、これを唱えると、一切の罪障が取り除かれたり、死者を成仏させることができるとしているそうです。その光明真言を百万遍唱えるのですから、功徳も大きかったのでしょう。中世の新興仏教による念仏などに対抗して、旧仏教側がそれにまさるものとして広めたのが光明真言で、それが講や、石碑を建てたりする民間の信仰になっていったということのようです。
 
 
 
 
光明真言百万遍供養(和光院 田島町415)
 延享元年(1744)だそうです。境内入口石階段脇にあります。下方に「俗名」などと見えますが、珍しく感じました。
 
 
 

奉供養光明真言一百万遍(稲荷神社 杉崎町・内原駅入口信号近く)
 宝暦4年(1754)とあるようです。稲荷神社の背後にずらりと並んだ石造物群の中にあります。上にある輪の中に梵字24字の光明真言が刻まれているようです。
 
 
 

光明真言一百万遍供養塔(大井神社 飯富町3475)
 明和9年(1772)11月7吉日のように見えます。明和9年は大火等災害が続いて迷惑(めいわ9)年といわれ、11月16日に安永に改元されたそうです。
 
 
 

光明真言一百万遍(藤井町 岩根・藤井線沿い)
 寛政4年(1792)とあります。墓地入口あたりにある石造物群の中にあります。上の梵字はアで、大日如来をあらわしているようです。
 
 
 

奉唱光明真言百万遍供養塔(薬師堂 下大野町)
 寛政10年(1798)とあり、下方に「男女同行」とも彫られています。斜めに折れてしまったようですが、じょうずに復元されています。
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水戸藩主・徳川斉昭の話あれこれ(4)

2019-09-24 20:40:27 | 水戸

写真は、偕楽園の偕楽園記碑にある、斉昭の署名です。号である景山となっています。潜龍閣という号もあるそうです。
 
 

斉昭は筆まめだったそうで、公的に保管されている手紙だけでも、2~3,000通はあるそうです。私的に保存されている分も加えれば、もっとふえるのでしょう。データベースが公開されれば、いろいろな斉昭が見えてくることでしょう。
 
 
 
文化13年(1816)に藩主になった斉昭ですが、初めて水戸に入国したのは天保4年(1833)だったそうです。ようやく調達できた国元の資金で実現したのだそうです。3月のことだったそうですが、この年はその後、天保の大飢饉にみまわれたそうです。水戸入り以前に、天保の改革は進んでいたようですが、江戸からの指示ではさぞかしはがゆかったことでしょう。
 
 
 
「潜龍(せんりゅう)不幸にして田を出(いで)しより此方(このかた)日夜乾々(けんけん 進んでやまぬ様)として改革すれど、本(もと)より九五にあるべき徳なきが故(ゆえ)に…」、「君子は我が愛するところ、不肖もまた我が養うところなり。君子も国のために言う。不肖もまた国のために言う。」などという手紙があるそうです。潜龍は斉昭のこと、九五は藩主のこと、君子は改革派、不肖は旧守派をいうようで、斉昭の難しい立場がわかりそうです。こうした、他人にわかりにくいように単語を選んで使うこともあったようですが、暗号とも言えるような単語を使った手紙などもあるそうです。
 
 
 
大手の門の扉に、「一人、二たか、三遊び」という落書きがあり、鷹狩りも女遊びもすきだった斉昭は、それを知って、我が心知られずと、引きこもってしまい、誰にも会わなかったそうです。臣下たちは、そのことを岩戸ごもりといったそうです。「一人(いちひと)」というのは、一番地位のある人という意味なのでしょうか。
 
 
 
中原(ジョン)万次郎を招いてアメリカのことを尋ねているそうです。そのとき、4年ごとの大統領選挙は「利欲」に基づいて行われるものだから、今は国が始まったばかりなので戦争などで英雄が出ているが、今後は戦争ができなくなるだろうから、その時、「利欲」本位の王では問題だろうと思っていたそうです。
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水戸の野草(12)

2019-09-23 20:40:54 | 水戸
 
ヌスビトハギ(マメ科)(酒門町) 実が泥棒の足跡に似ていて、花が萩に似ているので付いた名前だということです。実は体に付く、いわゆるひっつき虫です。(撮影9/7)


 

メマツヨイグサ(アカバナ科)(酒門町国道6号線歩道) 北アメリカから明治時代に入ってきたらしい帰化植物だそうです。(撮影9/7)


 

アキカラマツ(キンポウゲ科)(偕楽園 常盤町1-3-3) 南崖に咲いていました。花がカラマツに似ているので付いた名前だそうです。乾燥させたアキカラマツは、健胃薬として使われているそうです。(撮影9/15)


 

ヤブツルアズキ(マメ科)(蓮乗寺(元吉田町2705)近く) アズキの仲間の花は変わったかたちをしています。実はこのあと黒くなるそうです。(撮影9/21)


 

マルバルコウ(ヒルガオ科)(春日神社 赤尾関町661) ルコウソウは、縷(細い糸)紅草と書いて、葉の細い紅色の花ということだそうですが、マルバルコウは、ハート形のまるい葉です。(撮影9/22)
 
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水戸の住職墓地(2)

2019-09-22 19:59:04 | 水戸

 一般の家庭のお墓と同じように、住職の墓もだんだん合葬する形になってきているようです。

 

 


六地蔵寺(六反田町767) 現在の住職で58代になるそうで、多くの住職によって歴史が引き継がれてきたことがわかります。五輪や卵塔などいろいろなお墓の種類が見られます。

 

 


和光院(田島町415) 入口に大きな四角い灯籠が置かれ、墓地中央に当山歴代住職先師尊霊位と刻まれた五輪塔がたっていました。

 

 

 


光台寺(上水戸3-1-39) 開山上人の墓を中央にして、住職の墓が並んでいました。本堂向かって右側奥です。

 

 

 

田野町不動院墓地(田野町) 廃寺になったようですが、墓地の中央あたりに住職の墓がありました。如意輪観音の石像も見えます。

 

 


蓮乗寺(元吉田町2705) 本堂のある地の道向かいの墓地の奥にありました。円筒形の墓石でした。


水戸の住職墓地(1)

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水戸・百樹園の実と種

2019-09-21 19:20:22 | 水戸
 実の季節になったので、百花園に行ってきました。ヤブ蚊に悩まされましたが、いろいろな実を見ることができました。
 
 
 
 
ウバメガシ(ブナ科) 一粒だけ実がさがっていました。材質は緻密で堅く、備長炭になるそうです。
 
 
 

クチナシ(アカネ科) 実は山梔子(さんしし)という消炎などの漢方薬になり、黄色の染料にもなるそうです。
 
 
 

ザクロ(ミソハギ科) 乾燥した実がいくつもありました。中に種が詰まっているのでしょう。紅一点というのはザクロの花をいっているそうです。
 
 
 

サルスベリ(ミソハギ科) 花のさかりが過ぎたようで、実の時期になってきていました。実は6つに割れて、翼のある種がでてくるそうです。
 
 
 

サンショウ(ミカン科) なんとなくミカンを連想する実の形です。雌雄異株で、実は雌株のみになるそうです。実から黒い種を取り除いた赤い皮の部分は、乾燥させて山椒という健胃の漢方薬になるそうです。
 
 
 

タラヨウ(モチノキ科) これから実は黄色から赤になってゆくそうです。雌雄異株だそうです。
 
 
 

マンリョウ(サクラソウ科) たくさんの実がさがっていました。赤くなって正月の縁起物として使われますが、シロミノマンリョウやキミノマンリョウもあるそうです。
 
 
 
 
ムラサキシキブ(シソ科) もとはムラサキシキミといわれていたようです。これからきれいな紫になって行きます。
 
 
 

モッコク(モッコク科) このあと、実が3つに割れて赤い種が出てくるそうです。そのためアカミノキとも言われるそうです。
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