光明真言とは、密教で使われる呪文の一つだそうで、これを唱えると、一切の罪障が取り除かれたり、死者を成仏させることができるとしているそうです。その光明真言を百万遍唱えるのですから、功徳も大きかったのでしょう。中世の新興仏教による念仏などに対抗して、旧仏教側がそれにまさるものとして広めたのが光明真言で、それが講や、石碑を建てたりする民間の信仰になっていったということのようです。

光明真言百万遍供養(和光院 田島町415)
延享元年(1744)だそうです。境内入口石階段脇にあります。下方に「俗名」などと見えますが、珍しく感じました。
延享元年(1744)だそうです。境内入口石階段脇にあります。下方に「俗名」などと見えますが、珍しく感じました。

奉供養光明真言一百万遍(稲荷神社 杉崎町・内原駅入口信号近く)
宝暦4年(1754)とあるようです。稲荷神社の背後にずらりと並んだ石造物群の中にあります。上にある輪の中に梵字24字の光明真言が刻まれているようです。


光明真言一百万遍(藤井町 岩根・藤井線沿い)
寛政4年(1792)とあります。墓地入口あたりにある石造物群の中にあります。上の梵字はアで、大日如来をあらわしているようです。

奉唱光明真言百万遍供養塔(薬師堂 下大野町)
寛政10年(1798)とあり、下方に「男女同行」とも彫られています。斜めに折れてしまったようですが、じょうずに復元されています。