〇○八景(八勝)選びは、中国に源流があるそうです。中国北宋(960-1127)の時代、宋迪(そうてき)が洞庭湖周辺の名勝八ヶ所の山水画を描き、それが瀟湘(しょうしょう)八景(瀟湘夜雨、平沙落雁、煙寺晩鐘、山市晴嵐、江天暮雪、漁村夕照、洞庭秋月、遠浦帰帆)といわれて各地で流行したそうです。面白いと思うのは、日本なら花の景色が選ばれるはずですがそれがないことや、ほとんどが夕暮れから夜の風景が選ばれていることなどです。当時の知識人の好みが反映されているということなのでしょうか。中国では南宋(1127-1279)時代に流行は終わったようですが、それを輸入した日本では、徳川斉昭が天保4年(1833)に水戸八景を選んだように江戸末期も、さらに最近までも八景選びは続いてきたようです。日本人の好みにあった習慣なのでしょう。
下は、平成18年に柳河小学校の創立130周年記念事業実行委員会「柳河八勝」部会が作成したという柳河八勝です。多くは名前の雰囲気を余り残していない風景になっているようですが、碑によってその名前の思い入れを想像することはできそうです。
日光冠雪(にっこうかんせつ 36°24'41.4"N 140°27'26.9"Eあたり)
上河内(かみがち)町共同墓地の中にあります。北西に男体山を中心にした日光連山が見渡せる地だそうです。写真で山は中央左側奥のようです。
長堤夕照(ちょうていせきしょう 36°24'41.6"N 140°27'26.9"Eあたり)
県道63号線端の竹林の中にあります。少し見つけにくいかもしれません。写真の背後が那珂川の堤防です。このあたりは那珂川の曲がる所で、道路に川が近づいています。
菜圃暮雪(さいほぼせつ 6°24'53.4"N 140°26'35.4"E あたり)
那珂川の洪水で運ばれた肥沃な土壌が広がる地で多様な野菜作りが行われているそうです。写真左が一面に広がる野菜畑で、右が那珂川堤防です。
芸術館燦塔(げいじゅつかんさんとう 36°23'47.4"N 140°28'10.8"Eあたり)
校庭の南西隅あたりに石碑があります。水戸市制100周年を記念して建てられたアートタワー(写真矢印)を見るのに、ここが万代橋と共に最高の場所と碑の解説にあります。
田毎名月(たごとめいげつ 36°23'59.5"N 140°28'04.1"Eあたり)
水戸市柳河市民センターの駐車場にあります。写真、碑の奥手には、圃場整備の行われた田が広がっています。
小場江恵流(おばえけいりゅう 36°24'14.6"N 140°28'54.7"Eあたり)
常陸津田駅と国道349号線の間の道路に沿う小場江堰の対岸にあります。小場江堰は、徳川頼房の時代、明暦3年(1657)に、永田茂衛門がはじめ下江戸あたりから那珂川の水をひいた農業用水路だそうです。
青柳夜雨(あおやぎやう 36°23'21.1"N 140°28'26.8"Eあたり)
秋鮭遡上の碑すぐ近くにたっています。道を隔てた所に斉昭の青柳夜雨碑もあります。
秋鮭遡上(あきざけそじょう 36°23'21.2"N 140°28'26.4"Eあたり)
那珂川の鮭漁は江戸時代、菊池家が網代元という権利を持っていたそうです。菊池家は明治10年には日本で初めての鮭ふ化事業に成功したそうです。