以之(これをもって 弘道館記碑拓本)
徳川斉昭が書した弘道館記の一節ですが、「宝祚(ほうそ)これをもって無窮、国体これをもって尊厳」(天子の位は極まりなく、国体は気高く威厳がある)の、「之以(これをもって)」という字が、それぞれで変えて書かれています。「厳」の字もむずかしい字になっています。
嗚呼(ああ 楠木正成墓碑拓本)
神戸市の湊川神社にある楠木正成墓正面の「嗚呼(ああ)忠臣楠氏之墓」は、徳川光圀の書、裏側の墓誌は朱舜水の撰文だそうです。「鳴」の下にある四点が、「上」のような字になり、「呼」の最終画が曲げられています。
鹿島(鹿島神社 渋井町420)
鹿島神社の石碑です。「鹿」の字は、なかなかなな異字体になっています。そして「嶋(しま)」の字も、「山偏」を下に移した形です。
昭和(愛宕神社 愛宕町10-5)
奉納された絵馬の「昭和三十年」という年号にある「和」の字です。宝蔵寺の「和」は、上下に移動したようですが、これは、左右を逆にしています。
昭和二二十一年(桂岸寺 松本町13-19)
日用勤行会が奉納した額にあります。昭和四十一年のことのようですが、たぶん四(死)の字を嫌ったのでしょう、「二」を二つ並べたように思われます。