穀旦(酒門神社 酒門町94)
酒門神社内にある、壊れてしまった灯籠の棹(さお)にあります。「文久元年(1736)辛酉(しんゆう)歳十一月穀旦(こくたん)建之(これをたつ)」とあります。穀は「善い」、旦は「日」という意味だそうで、吉日ということのようです。
圷大野(圷大野バス停 36°21'46.7"N 140°32'15.7"Eあたり)
圷は「あくつ」と読んで、低湿地をいうようです。土偏に「下」をつけた、日本で作られた国字だそうです。昔は水はけが良い低湿地は稲作がしやすかったということもあって、水をかぶりやすくても田にしたことがよくあったようです。写真右側すぐ先があまり段差がない那珂川の大河です。左側100mくらい先に堤防ができつつあります。圷の逆は塙(はなわ)で、中国では「かたつち(大字典)」の意味、日本では「山の差し出でたる所(大言海)」をいうそうです。ともに、珍しい名字のようですが、茨城県では他県に比べて多いようです。
攸(ゆう 飯富町36°26'09.5"N 140°25'01.6"Eあたり)
道角にたてられるお札や、大乗妙典(法華経)碑などでよく見られてます。攸は、ゆうと読んで、「所」という意味のようです。写真では、「大井神社秋祭氏子安全五穀成就祈攸(きゆうか、いのりどころと読むのでしょう)」とあります。
夜句茂多莵伊都毛夜覇餓岐莵磨語昧爾夜覇餓枳莵倶盧贈廼夜覇餓岐廻(八坂神社 鯉淵町)
神社内にある版木で摺られたらしい掛軸です。祭神の素戔嗚尊(すさのおのみこと)が詠んだ、「八雲立つ 出雲八重垣 妻ごみに(妻を籠もらせるために) 八重垣作る その八重垣を」という歌のようです。八岐大蛇(やまたのおろち)を退治した後、妻となった櫛名田姫(くしなだひめ)と住む宮を祝って、その垣根を詠んだ歌だそうです。一ノ矢八坂神社とありますので、つくば市玉取から勧請したのかもしれません。
石裂山大権現(熱田神社 吉沢町36°19'42.5"N 140°27'36.7"Eあたり)
鹿沼市にある山岳信仰の対象である石裂大権現のようです。「石裂」は「おざく」だそうですが、これは読めません。現地で参拝して、そのご利益を得るために、その神を勧請して故郷へ持ち帰ることは、かつてはそうとうあったようです。