光圀梅(みつくにばい 水戸市植物公園)
小石川水戸藩上屋敷の庭・後楽園は大名公園ですが、光圀は、身分が低くても望む人には見せたそうです。そのため、酒肴を携えて楽しむ人が絶えなかったそうです。偕楽園でも斉昭はこれを参考にしたのでしょう。
公家たちが小石川上屋敷を訪れたとき、「天皇家の天下を武家に取られた」といったそうです。光圀は「摂家(藤原氏嫡流の公家で、近衛家などの5家)の天下を武家へ取り申した」と答えたそうです。
光圀は、「キュウリは穢れがあるので、キュウリを食べて神仏へ参詣してはいけない、毒が多くて栄養がない、植えたり食べたりしないように」、などといっていたそうです。本草学者・貝原益軒も似たようなことを書いているそうです。
隠居の際、隠居場である西山荘へ書物以外の、宝物や器物等、何も運ばなかったそうです。また、好んだ茶の湯や能もやめたそうです。幕府からの金などの拝領物は、連枝の人々や侍臣に与えて、自分でたくわえることはなかったそうです。
西山荘に、門松を立てなかったそうです。また、五節句などでも祝いの儀式はしなかったそうです。ただし、正月11日の具足祝い(甲冑(かっちゅう)の前に具足餅を供えて1年の武運を祈る武家の行事)だけは厳重におこなったそうです。