歴史を捨てよう 2

2005-05-02 | 思想
PROLOGUE

私の先輩にこのブログの感想を求めたところ
初回の「歴史を捨てよう」の回、具体的に
伝えた方がいいのでは、とのご指摘を受ける。

ごもっとも。ということで、今回は追加の内容として
「歴史をしょっていることの問題点」
「歴史を捨てた日本人の姿」
以上を具体的に表すことにする。

歴史を捨てよう 2

問題点。

「歴史」は科学的に過去を捉えること。
しかし、これは日本人にあわない。
神秘的な「過去とのつながり」
を復活させたい
ここは魂の国であるべき。
今はそうでないので非常に弱々しく感じる。
器用さもとりえではあるがそれだけでは弱いのだ。

人間の過去を全て一列に並べ
今その先端に入るというおごりが妙な安心感を
生んでいる。
ダーウィンの進化論から始まって、数々の人間
の英知があり、その上に現在があるという。
ナンセンス。
原始人でなくなってからの人間の歴史は
興亡の繰り返し。
本来学ぶべきは「人間の造ったものは永遠ではない」
でしょ。

実際は、産業の波が引いていき今ある社会は
情報化により壊され始めている。
次の波は来る気配がない。
だから若者が混沌としているのではないか。
これは日本だけではない。
考える暇すらない貧乏な人たちをのぞいて
世界的な問題である。
アメリカ人だって病んでる。

日本はさらに暗い。
天変地異の恐怖は常にそばにある。
「この風景は明日無いかも」
どこかでこんなことを考えている。
しかし、変な歴史観による変な安心があるのだ。
それこそ根拠の無い。
歴史という亡霊に取り憑かれているのだ。
そんなもの取っ払ってしまえ。
そして終わりを感じろ。と叫びたい。

歴史を絶った後の日本の像

心は脱欧米まっしぐら。
凄く静かになる。
生活に根ざした信仰が戻る。
お地蔵様、近所の氏神様で
心の浄化ができるようになる。
荒廃した心を洗うにはこれが必要。

吹っ切れて、心がキレイになりさえすれば
現実の生活がどんなだろうと余り関係ない。
心の問題。

異種となった段階で、欧米とつきあえれば
理想的だ。明治時代のように、あきらかに
毛色の違いを見せつけたい。
弱った現代の彼等にそれを阻止することはできない。
精神的なことなので、はたからは
気付かれずにすむのではないか。

日本が日本として存在することが大切だ。
世界は一つではない。
もし一つだったら、その終わりは
人類の終わりになってしまう。
そんな考えナンセンス。

欧米発、産業の波。
そのコア資本主義。これが今のコモンセンス。
共産主義が破滅したのはセンスが無かったから。
若者が魅力を感じなかったから。
テロリストが力で攻撃しようとしても
財力が違うし、ただ混沌を生むだけ。
大きな流れになるはず無い。
できるアジアの国々は少しでも裕福になりたいと
がむしゃら。かつての日本の様。
だが、今頃ついてきても遅いんでないか。
ダーク・ホース、日本。
ちょうどいい位置についている。
ここで新たなセンスが生まれれば。
コメント (1)
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