PROLOGUE
本物とはとは何たるかを教えてくれた師。
ルート・ドクター。
この人に会っていなければ、私の人生は
薄いままだったろう。
彫刻界のビッグ・アーティスト
三沢・厚彦
私の通っていた高校の非常勤講師として彼は美術の授業を
受け持っていた。
今にして思えば素晴らしく贅沢な授業である。
噂として、美術の教師が只者ではないことは知っていた。
だが、詳しくは全く知らなかった。
そして期待の授業を迎える。
ガラッ。
戸が開いてその人は入ってきた。
服装は忘れてしまったが、おそらくスウェット・パーカー
にブラック・ジーンズ。ニュー・バランス・黒の996だった
と思う。
「かっこいいな」
これが素直な感想だった。
そして始まる授業。
「教室を汚せないから使う道具は鉛筆とが用紙だけだ」
一般教養程度の存在だったので
この授業スタイルは至極当然だったのだろう。
だが私にとっては非常に過激に感じられた。
毎回先生が出すお題を何時間かかけて描く。
むさ苦しい男子校の教室、約50人の男達の前に
50枚の画用紙。
この企画自体がポップ・アートだった。
彼は何も言わない。
教壇にいるが何をしているのか分からなかった。
生徒たちも無言で描いていた。
いとおかしい風景である。
たしか、最初の題材は「手」だったと思う。
提出日、私の絵を見て一言
「マニアックだね」
凄く嬉しかった。
次の授業から、なんとか話題を用意し
教壇へ向かった。「マニアな話をしよう」と。
15歳当時の私の頭の中身と言えば
30%以上がビートルズでしめられていた。
やはり、話題は ビートルズ。
アンソロジー・シリーズがスタートしてい
たこともあり、巷でもビートルズの話題は
そこそこあった。展示会も良く目にしたものだ。
その中のクイズ・コーナーで「博士号」を
取った話題などを話にいった。
そこで彼から教わる知識は大きかった。
ビートルズ関連ではあるが、ジャケットや
インナー・スリーブ等を手掛けた気鋭の
現代アーティストの存在を知った。
特にホワイト・アルバムでのリチャード・ハミルトン。
サージェントでのピート・ブレイク。
写真家のリチャード・アベドン。
なんとなくかっこいいから好きになり
がむしゃらに知識を暗記していた私は
そこにアートがあったことを教えられた。
一番記憶にの凝る題材は「丸、四角で埋めろ」だ。
最初私はバランスを重視しようとし、ヘンに凝った
配置で完成させた。そして提出した。
「つまらんね」
彼の一言で私は作品を戻してもらい造り直した。
あさはかなレベルでカッコつけても駄目なのだ。
可能な限り小さい丸と四角で埋め尽くした。
そしてその中に四角の大きさをやや変えて
「電子音楽の世界」といれた。
翌週の提出日、彼は笑ってくれた。
講師室に訪ねにいくといつも鋭い目で
作品をチェックしていた。
彼自身の作品製作の姿を想像させる
オーラがあった。
まれに「ぷっ」と笑う時がある。
ウケる絵があるのだ。こういう時は
教師というより素で笑っていたのだろう。
彼を良く笑わせたのが河邊という奴だ。
私の一級下の生徒で、父親がペンキ職人の
タフガイだった。
奴の絵は尋常でなかった。
音でいうならフィル・スペクターのウォール・サウンド。
分厚いのである。まさにウォール・ペイント。
しかも鉛筆で。鬼気迫る絵だった。
私は今でも河邊に会い、絵を描いてもらったりする。
三沢氏との関わりは今でも鮮明に覚えている。
面白い、かっこいい。
しかも奥深く。
このスタンスは私のベースだ。
いつでも私は彼に何の話をしようか緊張する。
もうじき26歳となる現在、色々と知識は増えた。
だがそのどれくらいが本物か。
今日、2年ぶりに再会する予定だが何を話そう。
「先生、おひさしぶりです」
INFORMATION
三沢厚彦
ANIMALS 05
10 MAY - 4 JUNE 2005
10:30am ~ 6:30pm 日曜、月曜、祝日休廊
APS西村画廊
銀座4-3-13西銀座ビルB1
tel 03-3567-3906
本物とはとは何たるかを教えてくれた師。
ルート・ドクター。
この人に会っていなければ、私の人生は
薄いままだったろう。
彫刻界のビッグ・アーティスト
三沢・厚彦
私の通っていた高校の非常勤講師として彼は美術の授業を
受け持っていた。
今にして思えば素晴らしく贅沢な授業である。
噂として、美術の教師が只者ではないことは知っていた。
だが、詳しくは全く知らなかった。
そして期待の授業を迎える。
ガラッ。
戸が開いてその人は入ってきた。
服装は忘れてしまったが、おそらくスウェット・パーカー
にブラック・ジーンズ。ニュー・バランス・黒の996だった
と思う。
「かっこいいな」
これが素直な感想だった。
そして始まる授業。
「教室を汚せないから使う道具は鉛筆とが用紙だけだ」
一般教養程度の存在だったので
この授業スタイルは至極当然だったのだろう。
だが私にとっては非常に過激に感じられた。
毎回先生が出すお題を何時間かかけて描く。
むさ苦しい男子校の教室、約50人の男達の前に
50枚の画用紙。
この企画自体がポップ・アートだった。
彼は何も言わない。
教壇にいるが何をしているのか分からなかった。
生徒たちも無言で描いていた。
いとおかしい風景である。
たしか、最初の題材は「手」だったと思う。
提出日、私の絵を見て一言
「マニアックだね」
凄く嬉しかった。
次の授業から、なんとか話題を用意し
教壇へ向かった。「マニアな話をしよう」と。
15歳当時の私の頭の中身と言えば
30%以上がビートルズでしめられていた。
やはり、話題は ビートルズ。
アンソロジー・シリーズがスタートしてい
たこともあり、巷でもビートルズの話題は
そこそこあった。展示会も良く目にしたものだ。
その中のクイズ・コーナーで「博士号」を
取った話題などを話にいった。
そこで彼から教わる知識は大きかった。
ビートルズ関連ではあるが、ジャケットや
インナー・スリーブ等を手掛けた気鋭の
現代アーティストの存在を知った。
特にホワイト・アルバムでのリチャード・ハミルトン。
サージェントでのピート・ブレイク。
写真家のリチャード・アベドン。
なんとなくかっこいいから好きになり
がむしゃらに知識を暗記していた私は
そこにアートがあったことを教えられた。
一番記憶にの凝る題材は「丸、四角で埋めろ」だ。
最初私はバランスを重視しようとし、ヘンに凝った
配置で完成させた。そして提出した。
「つまらんね」
彼の一言で私は作品を戻してもらい造り直した。
あさはかなレベルでカッコつけても駄目なのだ。
可能な限り小さい丸と四角で埋め尽くした。
そしてその中に四角の大きさをやや変えて
「電子音楽の世界」といれた。
翌週の提出日、彼は笑ってくれた。
講師室に訪ねにいくといつも鋭い目で
作品をチェックしていた。
彼自身の作品製作の姿を想像させる
オーラがあった。
まれに「ぷっ」と笑う時がある。
ウケる絵があるのだ。こういう時は
教師というより素で笑っていたのだろう。
彼を良く笑わせたのが河邊という奴だ。
私の一級下の生徒で、父親がペンキ職人の
タフガイだった。
奴の絵は尋常でなかった。
音でいうならフィル・スペクターのウォール・サウンド。
分厚いのである。まさにウォール・ペイント。
しかも鉛筆で。鬼気迫る絵だった。
私は今でも河邊に会い、絵を描いてもらったりする。
三沢氏との関わりは今でも鮮明に覚えている。
面白い、かっこいい。
しかも奥深く。
このスタンスは私のベースだ。
いつでも私は彼に何の話をしようか緊張する。
もうじき26歳となる現在、色々と知識は増えた。
だがそのどれくらいが本物か。
今日、2年ぶりに再会する予定だが何を話そう。
「先生、おひさしぶりです」
INFORMATION
三沢厚彦
ANIMALS 05
10 MAY - 4 JUNE 2005
10:30am ~ 6:30pm 日曜、月曜、祝日休廊
APS西村画廊
銀座4-3-13西銀座ビルB1
tel 03-3567-3906