PLOROGUE
ジョン・レノンの命日。
色々と思う。
そしてやはりここに立ち返る。
ザ・ビートルズ
1963年発売の彼等の1stアルバムを前に
人は言う。
「”あのビートルズ”のデビュー・アルバムで
・・・・・うんたらかんたら・・・・」
私は言いたい。
'60s初頭、誰もが彼等を無視したのだ。
彼等がパーロフォン・レーベルからデビュー
する迄ことごとくオーディションで落とされていた
ことを忘れるなと。
今、ビートルズを語る多くの人間は
時代がズレていれば無視する側にいたであろう。
40年以上も前であり、あたかもそこから現在の
ミュージック・シーンが生まれたなどと
考えがちだが、当時から巨大な市場がキチンと
存在していた。
そしてそこでは綿密な販売計画で
「明日のヒット」をつくるためビジネスマン達が
躍起になっていたのだ。
既にロンドンではモッズが台頭し、
今風のクラブのノリでクールにモダン・ジャズを
聴いていた。
そんななかでのゴリ・ゴリ・ロックンロールを
かき鳴らすビートルズは相当な際物だったのである。
マネージャーのエプスタイン氏はリヴァプールの
人気レコード店の経営者であった。
かなりのハイ・センスな人でキャバーンで
ビートルズを観た瞬間に「売れる」と確信した。
だが、である。売り込んだ先でことごとく
冷たい仕打ちを受けた。
「今さらギターのR&Rですかぁ」みたいな。
その後、当時ビートルズを落とした担当者達は
一生後悔することになったが、当時はそれが
普通のリアクションだったのである。
現在のビートルズ賛美が当たり前なように。
エプスタインが最後にヤケクソになってEMIに
「ビートルズと契約しないとお宅から
レコード買いませんよ!」と脅して
なんとかその傘下のパーロフォンに
突っ込めたのである。
そこでのプロデューサー、マーティン氏だって
コメディー・レコード担当ののいわば「変わり種」。
売れ筋本命ではなかった訳だ。
で、デビュー・アルバムはマーティンによる
コンセプト・アルバムなのである。
無名のジョン、ポールに采配を握る権限は無かった。
だが、マーティンのセンスとビートルズのセンス
とが化学反応を起こし爆弾が出来上がる。
演奏や歌は言ってみれば「いつも通り」
だが、それをギンギンに臨場感溢れる音のまま
レコード盤に乗っけたことが画期的だった。
売れ筋ではないから何でもできたのだ。
で、市場に出て大爆発。
生のキッズ達はビジネスマンがこねくりまわした
音よりもジョン、ポールの生の叫びに反応したのだ。
あの勢いに浸透したのだ。
そこから世界を切り崩す革命が始まることになる。
彼等の共通の目標「売れてやる」という
意気込みがひしひしと伝わってくる。
デビュー・アルバムの超ド級大ヒット。
ジョン「ほら見ろよ。」
「じゃ、セカンドはオレ達にも意見言わせろ」
と言うことで、彼等のアイデアが大胆に
取り上げれらている。
まずはジャケット。
当時、既にカラーが当たり前。というか、それ以外
はあり得なかった。
「見劣りするから」等など
オヤジの考えが取り仕切っていた時代だったのだ。
「センス第一」というのは新しかった。
このハーフ・シャドウのジャケット写真を提案したのは
「ジョンが愛した男」スチュアート・サトクリフ
の恋人アストリッド・キルヒャーであったりする。
ビートルズのセンスを前面に出すことが許されたため
カヴァー曲のチョイスもかなりマニアックな
ライン・アップになった。
まるでファンを挑発するかのように。
前作が自分達のベストではないことを証明しようと
意気込んでいる。この当時なんといってもジョンがすごい。
念願の成功を手中におさめ、自信を持って渾身のヴォーカル
を響かせている。
だがまだまだ、ビートル・マニアも局地的な盛り上がりだった
頃を忍ばずにはいられない。
しかし、彼等はこんなレベルでは満足するはずが無かった。
「アイ・ヲント・ホールド・ユア・ハンド」
でビートルズという爆弾はアメリカでも炸裂した。
'64年1月、ビートルズはまさに世界規模となる。
最近発売されたDVD、エド・サリヴァン・ショウを
観ればその熱狂が伝わるだろう。
ロック’ン’ロールの発祥の地、アメリカ。
だが当時既に音楽業界がナマヌル~イ状況を呈していた。
ロックを生み出した英雄達は死に
(バディ・ホリー、エディ・コクラン・・・)
ロックがポップスに取り込まれてしまっていた。
そんな中にビートルズが殴り込みをかけたのだった。
ジョージ・ルーカス曰く「'64年以降世界は変わった」
基本的に「古き良き時代」とは
ビートルズ渡米前ってことになる。
そして、3thアルバム「ア・ハード・デイズ・ナイト」
同名映画も公開されている。勿論彼等の初主演映画。
監督はリチャード・レスター。
ビートルズを取り巻く気違いじみた熱狂を
非常にシュールに撮っている。
そのバランスがかっこいい。
この監督のその後の作品「ナック」も合わせて観るべき。
正統派なんかじゃない。
ビートルズによってアンダーグラウンドな文化が
メインにとって変わった。
まさにパラダイム・シフト。
とにもかくにもジョンがノッテいるのだ。
ミュージシャンとしてのジョン・レノンの絶頂期。
ポールもビビる程に。
アルバム内でジョンが10曲、ポール3曲。
このバランスは異例である。そしてリンゴの曲は0。
のっけ、タイトル・チューン「ジャーン」からして革命的。
スケジュールも多忙だったはずなのにどこで練ったんだろう
と思ってしまうほどにセンスの嵐。
ビートルズはセンスの塊である。
今でこそジョンは「聖人」となってしまったし
ポールは伯爵だし、ビートルズも素晴らしく
キレイな存在になっているが'64年当時の彼等は
古いセンスを蹴散らすチンピラ集団だったのだ。
だが今は。
ビートルズは教科書に載ってしまう存在。
これがどうにももどかしいのである。
今の音楽業界、だけに留まらずあらゆるものが
停滞してナマヌルい。
ビートルズから学ぶべきは新しいセンスで
過去をぶっ壊すこと。
大事、大事に拝んでるようなものでもないし
また傍からの印象だけで素通りしてはいけない。
ビートルズとジョンが世界へ飛び出した頃
を思い描いてみた。
やはり、ニュー・センスを!
これ以外ない。
現在の体制を壊したい。
ジョン・レノンの命日。
色々と思う。
そしてやはりここに立ち返る。
ザ・ビートルズ
1963年発売の彼等の1stアルバムを前に
人は言う。
「”あのビートルズ”のデビュー・アルバムで
・・・・・うんたらかんたら・・・・」
私は言いたい。
'60s初頭、誰もが彼等を無視したのだ。
彼等がパーロフォン・レーベルからデビュー
する迄ことごとくオーディションで落とされていた
ことを忘れるなと。
今、ビートルズを語る多くの人間は
時代がズレていれば無視する側にいたであろう。
40年以上も前であり、あたかもそこから現在の
ミュージック・シーンが生まれたなどと
考えがちだが、当時から巨大な市場がキチンと
存在していた。
そしてそこでは綿密な販売計画で
「明日のヒット」をつくるためビジネスマン達が
躍起になっていたのだ。
既にロンドンではモッズが台頭し、
今風のクラブのノリでクールにモダン・ジャズを
聴いていた。
そんななかでのゴリ・ゴリ・ロックンロールを
かき鳴らすビートルズは相当な際物だったのである。
マネージャーのエプスタイン氏はリヴァプールの
人気レコード店の経営者であった。
かなりのハイ・センスな人でキャバーンで
ビートルズを観た瞬間に「売れる」と確信した。
だが、である。売り込んだ先でことごとく
冷たい仕打ちを受けた。
「今さらギターのR&Rですかぁ」みたいな。
その後、当時ビートルズを落とした担当者達は
一生後悔することになったが、当時はそれが
普通のリアクションだったのである。
現在のビートルズ賛美が当たり前なように。
エプスタインが最後にヤケクソになってEMIに
「ビートルズと契約しないとお宅から
レコード買いませんよ!」と脅して
なんとかその傘下のパーロフォンに
突っ込めたのである。
そこでのプロデューサー、マーティン氏だって
コメディー・レコード担当ののいわば「変わり種」。
売れ筋本命ではなかった訳だ。
で、デビュー・アルバムはマーティンによる
コンセプト・アルバムなのである。
無名のジョン、ポールに采配を握る権限は無かった。
だが、マーティンのセンスとビートルズのセンス
とが化学反応を起こし爆弾が出来上がる。
演奏や歌は言ってみれば「いつも通り」
だが、それをギンギンに臨場感溢れる音のまま
レコード盤に乗っけたことが画期的だった。
売れ筋ではないから何でもできたのだ。
で、市場に出て大爆発。
生のキッズ達はビジネスマンがこねくりまわした
音よりもジョン、ポールの生の叫びに反応したのだ。
あの勢いに浸透したのだ。
そこから世界を切り崩す革命が始まることになる。
彼等の共通の目標「売れてやる」という
意気込みがひしひしと伝わってくる。
デビュー・アルバムの超ド級大ヒット。
ジョン「ほら見ろよ。」
「じゃ、セカンドはオレ達にも意見言わせろ」
と言うことで、彼等のアイデアが大胆に
取り上げれらている。
まずはジャケット。
当時、既にカラーが当たり前。というか、それ以外
はあり得なかった。
「見劣りするから」等など
オヤジの考えが取り仕切っていた時代だったのだ。
「センス第一」というのは新しかった。
このハーフ・シャドウのジャケット写真を提案したのは
「ジョンが愛した男」スチュアート・サトクリフ
の恋人アストリッド・キルヒャーであったりする。
ビートルズのセンスを前面に出すことが許されたため
カヴァー曲のチョイスもかなりマニアックな
ライン・アップになった。
まるでファンを挑発するかのように。
前作が自分達のベストではないことを証明しようと
意気込んでいる。この当時なんといってもジョンがすごい。
念願の成功を手中におさめ、自信を持って渾身のヴォーカル
を響かせている。
だがまだまだ、ビートル・マニアも局地的な盛り上がりだった
頃を忍ばずにはいられない。
しかし、彼等はこんなレベルでは満足するはずが無かった。
「アイ・ヲント・ホールド・ユア・ハンド」
でビートルズという爆弾はアメリカでも炸裂した。
'64年1月、ビートルズはまさに世界規模となる。
最近発売されたDVD、エド・サリヴァン・ショウを
観ればその熱狂が伝わるだろう。
ロック’ン’ロールの発祥の地、アメリカ。
だが当時既に音楽業界がナマヌル~イ状況を呈していた。
ロックを生み出した英雄達は死に
(バディ・ホリー、エディ・コクラン・・・)
ロックがポップスに取り込まれてしまっていた。
そんな中にビートルズが殴り込みをかけたのだった。
ジョージ・ルーカス曰く「'64年以降世界は変わった」
基本的に「古き良き時代」とは
ビートルズ渡米前ってことになる。
そして、3thアルバム「ア・ハード・デイズ・ナイト」
同名映画も公開されている。勿論彼等の初主演映画。
監督はリチャード・レスター。
ビートルズを取り巻く気違いじみた熱狂を
非常にシュールに撮っている。
そのバランスがかっこいい。
この監督のその後の作品「ナック」も合わせて観るべき。
正統派なんかじゃない。
ビートルズによってアンダーグラウンドな文化が
メインにとって変わった。
まさにパラダイム・シフト。
とにもかくにもジョンがノッテいるのだ。
ミュージシャンとしてのジョン・レノンの絶頂期。
ポールもビビる程に。
アルバム内でジョンが10曲、ポール3曲。
このバランスは異例である。そしてリンゴの曲は0。
のっけ、タイトル・チューン「ジャーン」からして革命的。
スケジュールも多忙だったはずなのにどこで練ったんだろう
と思ってしまうほどにセンスの嵐。
ビートルズはセンスの塊である。
今でこそジョンは「聖人」となってしまったし
ポールは伯爵だし、ビートルズも素晴らしく
キレイな存在になっているが'64年当時の彼等は
古いセンスを蹴散らすチンピラ集団だったのだ。
だが今は。
ビートルズは教科書に載ってしまう存在。
これがどうにももどかしいのである。
今の音楽業界、だけに留まらずあらゆるものが
停滞してナマヌルい。
ビートルズから学ぶべきは新しいセンスで
過去をぶっ壊すこと。
大事、大事に拝んでるようなものでもないし
また傍からの印象だけで素通りしてはいけない。
ビートルズとジョンが世界へ飛び出した頃
を思い描いてみた。
やはり、ニュー・センスを!
これ以外ない。
現在の体制を壊したい。