オカルトを斬る

2007-12-10 | イラスト

終末思想を支えるオカルティックな知識は
僕の支えであった。


小学生の頃手にした藤子F先生の不思議入門書。
ショックサイエンスには手を出さなかった。
しかし「失われた~」といったフレーズには
いつでも胸をときめかせていた。

まさにMMRが輝いていた時代であったし
とにかく現状が革命的に変わるのを待っていた。

今にして思う。僕の少年期のオカルトを取り巻く
空気には湿り気があった。オタク臭にもぬくもり
があった。そんな時代の終焉といのは1999年
ではない。あの淡く甘美で、危険な香りが消えた
のは一連のオウム心理教による事件によってであった。
あのエポック・メイキンな団体により時代の流れは
変わったし、怪しい光は消された。

この場でオウム心理教についてどうのいうことはしない。
何も本日のお題「オカルト」がすなわちオウム心理教だ
なんてことはないし、麻原彰晃の教義云々も触れない。

ただ、あの話題については軽々と論じることはできない
ことだけは伝えたい。肯定も、否定も易々とできるもの
ではないのだ。

しかし、メディアはその問題の解決方法を全く間違った
手段で処理した。ただ単純に法的な罪を犯した狂人集団
であるとし、病理の解明やその凶行の解説でワイドショーは
連日賑やかであった。私も毎日欠かさずテレビを見た。

「オカルト」「カルト」「スピリチュアル」こういった
ものがあの事件を境に現実的な存在へと変わったのだ。
それまでの妄想の世界が現実を浸食し始めたのである。
9.11が起きる遥か以前にこの国では同じ構造で神秘の
嵐が吹き荒れだしたのだ。

オウム関連の事件から10年以上が経過した現在、
どうだろう。人々はスピリチュアルに救いを求めている。
エクササイズとしてのヨガであるが、それがいかに
オカルト的な要素を含んでいるか。その先達として
麻原彰晃が君臨していたことを忘れたか。
狂人集団をいぶかしむような目で見ていた一般人が
現在、その門戸を叩こうとしている。

1999年の暮れのことを戯言と目もくれなかった
人々であるがその後年々現実味を増し始めた終末的な
現象の数々に平常心は揺らいでいるではないか。
雑誌「ムー」はオウム以降下火になったがここ数年
で急激に力を回復してきている。新たな読者が急増
しているのだ。そこで注目すべきはその新たな読者たちが
現実的にオカルトに触れていることである。
かつての淡い妄想のやり取りではなく現実に差し迫った
終末への不安を煽るえげつなさ。

個人的な感覚とすれば、終末後どうなろうと関係ない。
それが確実に来てくれれば、起きてくれればいい。
救われようなど思っていない。ただ願わくば生きて
次の世界を見てみたい。末日聖徒を気取って生々しい
オカルトの世界を生きるなんとこは努力したってできまい。
インスタント・カーマ 手っ取り早くこの腐れ現在が
壊れてくれるのを待っているといった感じか。
その為の準備なんか。

そしてここに来て、僕は思う。
もうなんでもいいなと。
終末がきてもこなくても自分は今を生きなきゃいけないと。
そう思うようになったんだ。

今日、あもう昨日か。
信頼できる建築学科生の宮原君と話していて
ワールドトレイドセンターの倒壊は通常の情報通りで
あるとの説明をうけた。あの件に関してぼくらの間では
飛行機一機分の爆発ではビルがあそこまで崩れるのは
おかしいという定説があった。でもそれは構造建築の
専門家の意見の方が確実に信頼できる。宮原君も補足的に
全くの想定外の出来事であり、どの説を持ってしても
断定は難しいと言っていた。いや、その通りだと思う。
アメリカ、イルミナリティ陰謀説に取り憑かれ根拠の薄い
仮説を信じ込むことは問題だ。

答えは誰にも分からないものなのかもしれない。
であるなら妙なオカルトのフィルターを通して現実を
未来を認識するよりは、実際の生活の確かな手応えを
感じながら生きていく方が生きやすいのではないか。

大好きだった飛鳥昭雄先生の著作。どれもむさぼるように
読んだ。その説に心躍った。その作品には絶えず一貫した
筋が通っておりそのすべてが真実かもしれない。現に
僕の頭の半分はそういっている。だがしかし著書の中で
決定的と銘打って発表される証拠写真が合成にしか見えないのだ。
悲しいことにどんなに感情で見ようとしてもぱちもんにしか
見えない。そこでいつも、口絵のところでいつもそんな心の
葛藤を持って読んでいた。

飛鳥説の入門書決定版として超都市伝説が販売されている。
おそらくその本を手にするタイミングによっては人生を
かえてしまうかもしれない代物である。宗教の入り口と
なるかもしれぬ。それこそ今後ますますカルト色をだして
いくであろう宗教が手招きしている。徳間書店からでた
この本は手軽にあちこちで買える本なのだ。

もう一度言おう。

私にとっては今後のことなどどうでもいい。



刹那の人生 一点の曇りなし
コメント
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