ビッグ・スルー

2005-07-22 | 人物
PROLOGUE

今回は私の親友を紹介したい。
最近は音信不通の状態だが
彼は私の親友である。
急に少年時代を懐かしく思い本ブログで
書きたいという衝動に駆られた。

ビッグ・スルー

出会いはお互いが10歳の時であった。
学習塾で同じクラスになったのである。
第一印象はセンスがいいヤツがいるな。
であった。

当時彼のはいていたリーバイス501の左足
のひざ裏部分には穴が開いていた。
指摘したところ「ほじってたら開いた」
ということだった。

彼と私は塾の授業を壊すことに生き甲斐を
感じていた。教師をいい気分にさせ
話を脱線させる。うまくいけば授業まるまる
おちゃらけ話で終わった。
他の塾生にしたらかなりの迷惑行為だったろう。
私達にとってはスリリングな遊びだった。
大人を莫迦にしていた。

ある時二人で職員室に呼び出され
教師に「辞めてくれ」真面目にと言われた。
「君らなら吉本でやっていける」とも言われた。
私は「うるせーよメガネ」と心で呟いた。
彼は黙っていたが瞳は笑っていた。

彼は私の知る限りかなりのプレイ・ボーイであった。
女子は彼を放っておかなかった。自然と心をつかむ
才能があるのだろう。その辺りを私は尊敬の念を
もって眺めていた。

彼のお姉さんは3つ年上で、同じ塾に通っていた。
その女性はまさに小学5年の私にすれば大人であった。
カリフォルニア・ガールのようだった。
今でこそ3歳差はたいしたことはないが当時としては
遠い大人の世界と言う感じ。最近でも会えば緊張して
しまう。

とりあえずの進学塾。私は一切勉強をしていなかった。
莫迦なことばかり考えていた。受験が間近に迫って
いても興味が湧かなかった。だが彼は違った。
小六、彼は勉学に目覚めていた。
「お前も勉強しとけよ」と最初に言われた時は
ジョークかと思っていたが、冗談は私だけであった。
メキメキ勉強する彼を見てビックリした。

最初、私達は下から2番目のクラスにいた。
が後半彼は追い上げ上位のクラスに上がっていった。
私はノートにマンガを書き続けていた。

中学受験。私達は同じ中学を受けた。
彼は他にも受けていたようだが詳しくは知らない。
雪の日だった。
終了後、どうだったかと聞かれ
「当て感ばっか」と報告する私。
「だめだよ、お前」といった彼は真剣だった。

結局、私達は私立校はダメで公立中学へ進んだ。
彼はよほど悔しかったのだろう。
中学に入ると、より本格的な進学塾へ通った。
私もとりあえず塾へ通ったが覚えたことと
いえば授業中の居眠りくらいであった。
それまでは、がんばっても眠れなかったのである。
そして1年間でリタイア。どうしようもない。

中学はお互い学区が違うので別々の学校。
塾も違う。当然会う機会は減る。
が、時たま連絡をとりあって決して途絶えることは
なかった。私が内面とは裏腹に生徒会などを
やって捻くれていく中、彼はアーチェリー部で
さわやかなスクール・ライフを送っていた。

そして高校。彼は女性のあふれる学校がいい
と言うことで短大付属のまさに花園へ進学した。
超名門校である。「いいね」と私。
私はそれとは真逆の熱血男子校へ進む。
横浜・名門校の花園と蒲田・不良高校のど根性。

彼は中免をとれる年似なるとすぐにとった。
そしてクールなバイクを乗り回すようになった。
長髪になったりモヒカンになったりした。
私は坊主で男子校の生徒会長となっていた。
私の行動を彼はギャグと捉えてくれていたのだろう。
その間も気がむくと連絡を取り合っていた。
私がいなくても私の家で彼は両親とお茶をしていたり
した。

高校生活を通して彼は悟ったのだろう。
「日本にいてもしょうがない」と。
大学進学はせずにフランス行きを決めたのだった。
色々な遊びにも満足したのだ、きっと。
フランス行きを聞いて「いいね」と私。

自己推薦でお気楽な大学受験を果たした私は
学生時代、よく放浪の旅に出た。
内の活動は「マイ・ルーム」で掘り下げているが
それとは別に旅行にもよくいった。
そしてフランスで彼似お世話になった。
築百数十年と言うパリのアパートメントは
かっこ良かった。

彼の祖父は大工である。
そのため彼は少年時代からニッカ・ポッカ
をはきこなしていた。そんな腕が
海外生活で光ったようだ。便利屋のような
仕事をパリで始め稼いでいたのだ。
昼は学校へ通っていた。
シャンゼリゼ通りのプール・バーで
チャイニーズ・マフィアとも行動していた。

時折、帰国した時にはよく会った。
彼の愛車、プレジデントにのせてもらい
葉山のバーを教えてもらったりした。
活動全快の彼と引きこもりがちの私だった。

現在、彼は5年間のフランス生活を終了し
日本に帰って来た。
それから3度程しかまだ連絡していない。

今宵私は思いでに浸りながら歌う。
「♪か~か きんきん
 か~ きんきん」

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4 コメント

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This Old Heart Of Mine (delfonics)
2005-07-22 16:08:42
ノン・ストップで、風のように波のように心地良く流れていった少年時代...



戻りたいけど戻れない少年時代...





ALL THINGS MUST PASS

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delfonics殿 (満★乳斎)
2005-07-22 22:31:29
私達の少年時代、'80sは真夏の午前11時

のような活気に満ちあふれていましたよね。

未だに、当時の熱気を超えられない。ちょうどさっきビックリマン20th記念版を買ってきたとこですが、やっぱり欲しくなってしまう。ほんとはもっと現実的にならなくてはいけないはずが、現代に意味がなさすぎて後ろを懐かしんでしまう。'90sに入って徐々に太陽は沈んでいき夕暮れ、'99年辺りが深夜。なんだがちょうど欲する時間帯と年齢がマッチしている世代なんでしょうね。私達20代後半の世代は。で、21世紀と言うけど太陽は出ているんでしょうか。どっかから夜明けは始まってるのかもしれませんが今のことろ分かりませんよね。
返信する
真夏の午前11時 (delfonix)
2005-07-22 23:35:09


庶民レヴェルでも新しい偶像を作り出せない

現代は「嫉妬」と「あこがれ」というコトバすら忘れちまったんじゃないかな?



人物で考えても、このコトバを両方兼ね備えたスーパーゼウス、ジョンレノンやマックイーン、カシアスグレイ、ウォホール、、

時代の尺度になりえるアイコンすら現代は

使いまわしである。



まるで、本編に入る前の6時58分にながれる

意味の無いCMが続いているようなフィーリング。



これを抜け出すには準備し続けるしかないですね、、
返信する
delfonix殿 (満★乳斎)
2005-07-23 00:05:07
そうですよね。

私のやり場のない怒りというのは多分、全てが薄れているのにそれを平然と時代の流れなどとぬかす輩に向けられているんだと思います。鋭いセンスがもたらす感動と恐怖をもう一度。
返信する

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