W A K I の気ままなトンボの目

自分流の勝手な生き方ですが、何か気付いたことを書いてみます。
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商売繁盛で笹持って来い 「戎さん今年も景気頼んます」

2007年01月11日 | 出来事
 きのうは10日戎語呂合わせではあるが110番の日でもあった。WAKIたちは近場のねや川戎神社に参った、冬の最中とはとても思えない暖かい陽射しの中歩いて片道1時間半、境内は猫のひたいほどだが出店がぎっしり。家内安泰を祈った。 所轄の警察署からは大勢の警察官が来ていたが、この日は子供たちにパトカーの切り絵を配っていた。
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行ってきました 「食卓は自然の恵みレストラン」

2007年01月10日 | TOWN
 どこか気の利いた店をと若い人に頼んでおいたら、SOLVIVA(ソルビバ)という店を探してくれて一緒に食事をした。場所は梅田茶屋町、梅田芸術劇場1階にあって天井が高く広々としている、そして価格はリーズナブル、オーガニックな素材に徹している。昼食であったがはっきり言って食べ盛りの若者には物足りないが、われわれには至極満足の行くメニューであった、帰りには満席になっていた。
カタログによるとこの店のコンセプトは
“SOLVIVA(ソルビバ)”とはラテン語の“太陽=SOL”と“万歳=VIVA”とを組み合わせた造語であり、ライフスタイル提案事業としての、私たちノモスが目指す生き方そのものを表す言葉です。レストラン等、飲食事業を展開するなか、直接お客様=ヒトの身体の健康に結びつく食そのものを改めて見つめ直し、自然の恵みによって生かされてきた人間の身体が、自ら自然を歪め・破壊することにより蝕まれてはならないと考えました。つまり、旬に応じ、自然な栽培法(オーガニック=有機)によって育てられた素材を、調理法などを工夫し、安全にその命やパワーをすべて頂く(食べる)―そんな形でご提供したいという思いです。とあった。・・・中略・・ 自然な旬の素材を慈しみ、その懐かしくて新鮮な味わいを知る。そんな喜びに溢れたライフスタイルを、 お客様に伝え続けていきたいのです。
このように専用のファームも育てながらチエーン展開を図っている。皆様も一度ご試食あれ。
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成人おめでとう 「好天に恵まれ船出新成人」

2007年01月09日 | 出来事
 きのうは成人式全国では139万人(男性約72万人、女性約67万人)がめでたく成人式を迎えた。総人口に対する比率は1・09%と過去最低。人数も1987年の136万人に次いで低い水準となった。20歳が100人に1人しかいない計算だそうだ。過去の新成人の数は、団塊の世代とされる第1次ベビーブーム期の49年生まれが成人した70年が約246万人で最多。第2次ベビーブーム期の73年生まれが成人した94年の約207万人以降、ほぼ一貫して減少が続いている。
大阪府の発表によると、大阪で成人式を迎えるのは92,559人(男47,568人、女44,991人)で、前年より2・16%減。4年連続の減少となり、統計を取り始めた1975年以降の最少を更新したそうだ。ちなみに枚方市は4,619人であった。
枚方市の成人式は地域の各中学校で父兄を交えて行い。市民会館では有志が運営企画した催しを行った。(写真右上)

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爆弾低気圧 「この雪は最強クラス低気圧」

2007年01月08日 | 自然
 昨日は日本列島をこの冬最大の低気圧が通過した。夜更けから風が吹き荒れて関空連絡橋は強風のため通行止めになっていた。朝出かける10時頃はベランダから見るとご覧のように雪が降った、大阪の町は午後から夕方にかけては空気が入れ替わって青空がみえた。このように天気は目まぐるしく変わった、大阪の最大風速は26.9m台風並みの低気圧が駆け抜けた、TVは各地の状況を伝えていた、そしてこの低気圧を「爆弾低気圧」と呼んでいた。                                
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バードウオッチング(18) 「残された柿をついばむメジロたち」

2007年01月07日 | 自然
 近所の林には自生の柿があって誰も取らずに実っている。いつもその下を通るのだが、ふと見るとメジロが十数羽かわる変わる柿の実をついばんでいる。動きがすばしこく一向にじっとしていない従って写真に収めるとなると正直至難の業だ、でもさすがに白い目の縁と緑の羽根が美しい。メジロは柿やミカンが好物のようだ。けさは七草粥、おいしくいただいたが猛烈に発達した低気圧の影響で風が強く寒い、メジロの好きな花の蜜はもう少し先だ。

分類:スズメ目メジロ科 留鳥  生息地:平地から山地の林・大きな公園など、現在は50円切手のデザインのモデルとなっている、ウグイスと並んで両種とも春を告げる鳥として親しまれている。

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噂にたがわず凄い作品 「信貴山の縁起絵巻は素晴らしい」

2007年01月06日 | 歴史
 NHKBS放送「信貴山の縁起絵巻の大宇宙」を見てどうしてもこの信貴山縁起絵巻を見たくて3日は奈良県側から家族で信貴山に登った。朝護孫子寺(ちょうごそんしじ)は、信貴山真言宗総本山の寺院である。本尊は毘沙門天(多聞天とも称する)。「信貴山寺」とも称し、一般には「信貴山の毘沙門さん」として知られている。大和七福神のひとつにも数えられる。やはり正月とあって多くの参拝客でにぎわっていた。信貴山縁起絵巻は平安時代につくられた絵巻で、信貴山朝護孫子寺に伝わる国宝の絵巻で三つの説話から成っている。原本は奈良国立博物館に収められているが複本がここの霊宝館で展示されている。日本のアニメーションの原点とも言われる、時空を越えた素晴らしい作品であった。帰りは「てぬき庵」でお茶をいただき、信貴生駒スカイラインを通って帰った。

信貴山縁起に就いて(霊宝館説明文より)
当山が所蔵する国宝『信貴山縁起絵巻』は平安後期に描かれた日本絵画史を代表する傑作の一つです。10世紀初め信貴山に寵もり、奇跡を行った修行僧命蓮(みょうれん)の物語を三巻に描いたもので、第一巻『飛倉の巻』は命蓮の法力で、空を飛ぶ鉢が長者の米倉を信貴山上に運んだが、米俵だけは長者の庭に戻したという話。第二巻『延喜加持の巻』は醍醐天皇の病を剣の護法という毘沙門天の使者を遣わして平癒させたという内容。第三巻『尼公の巻』は年老いた命蓮の姉が弟を尋ねて奈良に至り、東大寺大仏の夢告により信貴山に登り弟に会い、余生を共にしたという話。生彩な筆の運び、色彩表現、卓抜な構図などは、鮮やかです。なお筆者は不明です。                                信貴山 朝護孫子寺

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新聞が変わった 「長生きをすればするほど楽しめる」

2007年01月05日 | ニュース
 WAKIが購読している新聞の広告がきのうの夕刊から立体画面がOKになった、専用の眼鏡で見なければならないがこれは画期的なことと思う。夕刊16ページすべてがカラー印刷が可能でそれに3Dの立体画像が見れる、今朝は3Dの宣伝広告は無いがカラー紙面が増えてしかも綺麗。メディアは生き残りをかけて必死で工夫を凝らしている、そのうちにTVも立体画像が見れるようになるかも知れない。 イチローが打ったボールがTVを見ている茶の間に飛び込んできたら面白いだろうな。

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元旦の初詣 「大勢の人で賑わうお稲荷さん」

2007年01月04日 | 出来事
 ここは京都伏見稲荷大社、初詣では全国の5指に入るほどの参詣者の多い神社、稲荷社全国4万社の総本山でもある。元旦は余りにも良い天気に誘われて出掛けた。本殿までの参道は一方通行だがさすがに大勢の人だ、商売の神様でもある、そして本殿の後ろから山頂まで延々と鳥居が続いている。千本鳥居というが実際は一万基ともいわれる。そこをくぐりながら石段を登って行く。よくもまあと思うぐらい鳥居があってこれでもかこれでもかと出てくる。山頂近く伏見の町が一望でき爽やかな風が汗を吹き飛ばした。

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ともに白髪の生えるまで 「いつまでも向上心は忘れない」

2007年01月03日 | 出来事
 きのうアカトンボがめでたく古希を迎えた、しばらくはたして140歳だ、いつも誕生日が正月と重なるためたいしたこともしてやれなかったが。みんなでこころを込めてお祝いをした。お祝いの品は滅多に自分で買うことの出来ないブランド物のバッグにした、ことのほか喜んでくれた、アカトンボはパソコン教室に通ってもうかれこれ6年にもなるWord一辺倒だがイラストやチラシはやっと自分で作れるようになった、WAKIは去年川柳で子供から見たアカトンボを詠んだら、新聞に掲載された。それを友人のKさんがカルチャーの河村立司先生に頼んで呉れて色紙にしていただいた。夜の宴はご覧のとおり。
 
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寅さんから愛をこめて 「寅さんのこころはいまも生きている」

2007年01月02日 | 出来事
 WAKIの正月は孫たちは帰ってこないし、それぞれの実家の新年会もお互い寄る年波に勝てず結婚以来40年以上続いたが今年は無し、ならばとBookOffでどっさり本を買い込んで、T店で年末の半額サービスを利用して寅さんのレンタルビデオ「男はつらいよ」を6本も借りてきて最初から順番に見ている。そうしたら、きのう「寅さん」から年賀状が届いた、昨年11月に「寅さん記念館」に行ってきたときの記念館の気配りだ、NHKの「ゆく年くる年」では寅さんがうぶ湯を使ったという葛飾柴又の帝釈天も映っていたが、BSTVでシリーズを放映しているせいか、凄い人気らしい。日本人が忘れかけている人情を寅さんが思い起こしてくれる。
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