もう何十年も前の、私が小学校2年生の時のことだった。
その頃、体が弱かったからかも知れないが、時々気持ちが悪くなる事があった。
運悪く、授業中にとても気持ちが悪くなってしまった。
どこが痛いと言うわけではない。
ただ気分が悪くていられなくなったのだ。
そこで、まだ若い担任の女の教師にそのことを言った。
「気持ちが悪い」と言うと、その教師は、「どこが痛いのだ?」とばかり、しつこく聞いた。
私はどこかが痛いのではなく、気持ちが悪いのだけれど、その事がうまく言えなかった。
その教師は、しつこいように何度も、「お腹が痛いのか?」、「頭が痛いのか?」、そんな事ばかり聞いてきた。
あまりにも困ったので、多分適当に「お腹が痛い」といったと思う。
それで顔色も悪かったらしく、家に連れて帰ってくれた。
家で、母に「気持ちが悪い」と話すと、その教師は怒った顔で、「お腹が痛いと言ったじゃないの」と言った。
あの教師は「気持ちが悪い」のと、「痛い」のと、意味が分らなかったのだろうか
私が子供でなければ、人間には痛いだけではなく、気持ちが悪くて具合が悪くなるということもありうるのだと、よく教えてあげたかった。
今でも忘れられない出来事である。
その頃、体が弱かったからかも知れないが、時々気持ちが悪くなる事があった。
運悪く、授業中にとても気持ちが悪くなってしまった。
どこが痛いと言うわけではない。
ただ気分が悪くていられなくなったのだ。
そこで、まだ若い担任の女の教師にそのことを言った。
「気持ちが悪い」と言うと、その教師は、「どこが痛いのだ?」とばかり、しつこく聞いた。
私はどこかが痛いのではなく、気持ちが悪いのだけれど、その事がうまく言えなかった。
その教師は、しつこいように何度も、「お腹が痛いのか?」、「頭が痛いのか?」、そんな事ばかり聞いてきた。
あまりにも困ったので、多分適当に「お腹が痛い」といったと思う。
それで顔色も悪かったらしく、家に連れて帰ってくれた。
家で、母に「気持ちが悪い」と話すと、その教師は怒った顔で、「お腹が痛いと言ったじゃないの」と言った。
あの教師は「気持ちが悪い」のと、「痛い」のと、意味が分らなかったのだろうか
私が子供でなければ、人間には痛いだけではなく、気持ちが悪くて具合が悪くなるということもありうるのだと、よく教えてあげたかった。
今でも忘れられない出来事である。