Feelin' Groovy 11

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国語について

2010-03-05 | 
塾講師をしているとき特に国語は困った。
設問を読んで本文から答えを自分で探しなさい、としか言いようがない。
答え合わせをしているときなんか、
設問を読んで、答えは本文のココに書いてあるねーって場所教えていくだけみたいな…
もうみんな各自解説付きの答えを読めばいいだけじゃない?みたいな。

この話(「九月の海で泳ぐには」)は、そんな気分を思い出させる箇所があった。


  周作はまず子どもたちに、試験問題として立てられた問いは、
  かならず「閉じた系」であるということをしっかり理解させる。
  設問が開いていると、一つの問いに一つの答えという、試験問題の鉄則が
  守れないからだ。
  (中略)
  書いてない部分を、子どもたちは推測しようとする。
  その推測は、概ね妥当なものだ。しかし入試問題というのは、
  回答者の推理能力を問うものではない。
  書いてあることから判断して、何が言えるかを問うているのである。
  考えてはいけない。推論してはならない。とにかく目を皿のようにして
  文章を読みなさい。
     (『もしも私が、そこにいるならば』より「九月の海で泳ぐには」
                          片山恭一著 小学館)

ここに書いてあるのは正しいと思う。
でもなんだかなぁ。。。
生きていくには考えることの方が大事なのにね。
て思ってたけど、そういうのは道徳の時間で習ってたんだっけ?

そうか。
たとえば「走れメロス」とか同じ教材を使ったとしても
根本的に教える内容が違うってわけね?
知ってたようで、今の今まで混同していたかもしれない。