Feelin' Groovy 11

I have MY books.

励ましのコトバ②

2004-10-27 | 村上春樹
  ドーナツの穴と同じことだ。
  ドーナツの穴を空白として捉えるか、あるいは存在として
  捉えるかはあくまでも形而上学的な問題であって、それで
  ドーナツの味が少しなりとも変るわけではないのだ。
          (『羊をめぐる冒険』(上)村上春樹著)

 
私はこの考え方が好きだ。

これを読むまでの私はドーナツの穴をドーナツがない部分→「空白」と思っていた。
が、逆から考えれば穴がある→「存在」とも考えられるのだ。

それからはこれを応用し、
同じことが起こったとしても常にプラスの面で解釈するようになってしまって、
今にいたる。

たいがいのことは嫌なことでも逆の解釈も出来、能天気に暮らしていけるよ。



  しかし実際にはそのふたつの見解のあいだにたいした違いはない。
  それは(大方の対立する見解がそうであるように)
  ふたつの違った名前で呼ばれる同一の料理のようなものである。
                       (上と同書から引用)
   

とうとう会ってしまいました。

2004-10-27 | その他
とは言っても、厳密には生は2回目なのですが。

鎌倉で催されている沢野ひとし展へ行ってきました。
もちろんサイン会のある日曜日に。

沢野ひとしさんは、椎名誠の本や対談を読んでいると
皆より頭の中がぶっとんで先へ進んでしまっているのが伺え、
天才ではないかと私は勘ぐっています。

お気に入りは「ペンギン」というリフトグランド。(上記HP参照)

村上春樹の作品中の「羊男」が好きな私が気に入ってしまうのは
無理のないことです。

展示物を見た後、絵本を買い、
その裏表紙に絵とサインをいただきました。

わあい、わあい


パックの前で15分

2004-10-21 | その他
目尻のシワが気になるので、薬局へ行ったついでにパックを選ぶ。

実に多くの種類があるため、何がよいのかさっぱり分からない。

同じメーカーで3種類。
色違いのパックがあるところを見ると、どうも目的別になっているらしい。
美白かハリか乾燥対策か・・・

迷ったのはハリと乾燥対策。

シワ→ハリを与えれば戻る?
乾燥→シワの源?

同じに見える。
同じに見える。

パックの前で15分。

しゃがんで私は考えた。

選ばれたのは、「ハリ」の方。

効果はあるのか。
効果はあったのか?




よくよく見ると・・・

2004-10-19 | その他
部屋の、ちょっと物置きコーナーとなっているミニコンポの上。
2年ほど前にヴィレバンで購入したトッポジージョにふと目がいった。

昔テレビで見たはずなのにストーリーを全く覚えていない。

何気なくかわいいと思って買ったのに、
耳の下にある髪の毛が今日に限って妙に気になった。
髪の毛から突き出る両の大耳っ!

いやいや、何も真上から見なくても・・・。


右足を左足よりちろっと前に出し、少し膝を曲げたそのポーズは 何だ!?

ヒゲダンスをしているようなその外側へ折れた手つきは 何だ!?

                     注)私の持っているジージョのポーズです。。。


今日の教訓。

トッポジージョを凝視してはいけない。

あくまでも部屋の片隅の忘れられた友達として接すること。

ホントの感動か??

2004-10-17 | 
私は本を読みながらよく泣く。

それは登場人物が誤解を受けていたり、死んだりするような
同情を誘う場面に限っていたと思う。

それが、この本では歩いているだけの場面で涙が出てきた。

『19分25秒』 引間徹著 集英社

世界記録が出せる実力を持ちながら、
オリンピックになんか出て誰かのために歩くのが嫌だ、と言う片足のない男。
彼に惹かれて就職の内定を取り消し、競歩を始める主人公。

私が泣けてきたのは、下記の段落。


<四十キロを通過した辺りの一段落>

   もし何かの理由で立ち止まったら、僕を含めた全員が二度と歩き
   だせないだろう。時間内にゴールへたどり着く、ただそれだけの
   目標がこのあたりの集団を支えている。
   (中略)
   五十キロを七時間で歩ききる、その勲章は結局のところ自分で
   自分の首にかけるしかないからだ。


自分だけのために歩く彼らの姿が頭だけでなく心から理解できた瞬間だった。

もちろんこの部分だけ読んでも理解できないはず。
全部読んでみてね。

何回も読んで味が出てくるという本ではないが、
臨場感のある文章が並んでいるこの本は一気に読めるので、
普段本を読まない人にもオススメなのじゃ。





想像はできるけど。

2004-10-15 | 
  想像はできるけど、わかるのは無理だろうな
                (『音楽の海岸』 村上龍著)


そうそう・・・と思ったコトバ。

私はウソをつくのが苦手だ。

他人が話すことに共感することはあるが、簡単に「わかるわかる~」とは言えない。
その人が持った気持ちを完全に理解するのは不可能だからだ。

ただ(こんな気持ちを持ったんだろう)と考えることはできる。

よって上のような表現が一番的確だと思うわけだ。


同じ内容なら村上本を!

2004-10-10 | 村上春樹
  その嵐から出てきた君は、そこに踏みいれたときの君じゃないということだ。
                           (『海辺のカフカ』 村上春樹著)


この文を読んだ時、大学の時に読んでみなさいと紹介された本の一部が思い出された。
それは以下の通り。


①どんな芸術の世界も自律しているので、
現実の生活に直接あてはめるわけにはいかない。
だから、これらの物語が本の表表紙と裏表紙のあいだに成立しているということも、
また結構なことなんだ。
想像力の魔術的な領域こそ、『はてしない物語』のファンタージエン国なわけで、
ぼくたちはときどきそこへ旅して、見者となるんだ。
それからぼくたちは、外的現実にもどることができる。
変化した意識をおみやげにしてね。
そしてこの外的現実を変化させる、あるいはすくなくとも外的現実を
新しい角度から見て体験することができる。

②いろんな試みがうまくいかなくても、そのおかげで転機とか変身が決定的になる
わけだから、そういう意味では試みが不成功であったとは決めつけられない。
    (①②ともに『オリーブの森で語りあう』M.エンデ E.エプラー H.テヒル 丘沢静也訳)

①の嵐は「本を読むこと」
②の嵐は「失敗すること」

①なんて、まわりくどい文章で2回ほど読み直してしまったよ・・・。
その点『海辺のカフカ』は、簡潔だし分かりやすい。

学生の本離れを防ぎたいのなら、
紹介する本も厳選するとよいのにね。

私の学生時代にはまだ『海辺のカフカ』は発行されていなかったので
文句は言えませんが。





    

励ましのコトバ①

2004-10-06 | 村上春樹
昨日の『風の歌を聴け』から。


  「前略)みんな同じさ。だから早くそれに気づいた人間がほんの少しでも
   強くなろうって努力するべきなんだ。振りをするだけでもいい。そうだろ?
   強い人間なんてどこにも居やしない。強い振りのできる人間が居るだけさ。」


自分と違って強くみえる人がいる。
でもそれがすべて振りだったとしたら?

私たちは少しだけ強くなる努力をし続けるだけでいいのだと思わせてくれるコトバだった。



もちろん。

2004-10-05 | 村上春樹
村上春樹の「風の歌を聴け」で僕が会話中でついたひとつの嘘。

それは、
「ねえ、私を愛してる?」の後の

もちろん

だと今まで思っていましたが。

「もちろん結婚したい」は、いつか彼女以外の誰かとしたいのだろうし、
「言い忘れてたんだ」は、いつも肝心なことだけ言い忘れる僕だからねっ、
「3人」と「女が2人に男が1人」は片方だけが嘘になることは難しいし・・・ってね。

でも今回深く考えると
「言い忘れてたんだ」が怪しいな。
ん~怪しい・・・

もう少し考えねば。


昨日見てしまったもの

2004-10-02 | その他
毎朝通勤中、1階で犬を飼っているアパートの前を車で走る。

そこは私の「犬見学スポット」の1つで、
赤信号で少し渋滞している時なんかは幸運なことにその目の前で停車することが出来る。


観察開始!

そこは人が住んでいないんじゃないか?と思われるような
荒れ果てたアパートの一畳程の庭。
何年も犬は生きているから恐らく誰かが飼っているのだろう。
その犬はもちろん雑種。
(当然のごとく日当たりは悪いが)晴れている時は道路側のコンクリートの上に顎をのせ、
通る車たちをピクリともせず無表情に眺め、
雨の降る日はかろうじてある小屋の中で体をまるめて、これまた無表情に外を見ている。

そんな無表情のココの犬は毎日せこせこ働いている私たちを
「お前たちはまだ気づいてないのか・・・」という眼差しで見てくるので
もしかして私たちより何かを知っているのではないか? 
あるいは何かが化けて犬となっているのではないか?
と勘ぐっていた。

ところがついに昨日の朝、化けの皮が剥がれた。

いつもジッとしていたその犬が、その日は勢いよく小屋から飛び出し、
それだけならよいが飛び出すとすぐに小屋の中へトボトボ入って行くのを!
しかもそれを数回続けていた。

その姿はまさに

ウキウキと犬小屋を飛び出す練習

そのものだった。

その犬の正体・・・それはただの少しヌケた犬だったのだ。