ドーナツの穴と同じことだ。
ドーナツの穴を空白として捉えるか、あるいは存在として
捉えるかはあくまでも形而上学的な問題であって、それで
ドーナツの味が少しなりとも変るわけではないのだ。
(『羊をめぐる冒険』(上)村上春樹著)
私はこの考え方が好きだ。
これを読むまでの私はドーナツの穴をドーナツがない部分→「空白」と思っていた。
が、逆から考えれば穴がある→「存在」とも考えられるのだ。
それからはこれを応用し、
同じことが起こったとしても常にプラスの面で解釈するようになってしまって、
今にいたる。
たいがいのことは嫌なことでも逆の解釈も出来、能天気に暮らしていけるよ。
しかし実際にはそのふたつの見解のあいだにたいした違いはない。
それは(大方の対立する見解がそうであるように)
ふたつの違った名前で呼ばれる同一の料理のようなものである。
(上と同書から引用)
ドーナツの穴を空白として捉えるか、あるいは存在として
捉えるかはあくまでも形而上学的な問題であって、それで
ドーナツの味が少しなりとも変るわけではないのだ。
(『羊をめぐる冒険』(上)村上春樹著)
私はこの考え方が好きだ。
これを読むまでの私はドーナツの穴をドーナツがない部分→「空白」と思っていた。
が、逆から考えれば穴がある→「存在」とも考えられるのだ。
それからはこれを応用し、
同じことが起こったとしても常にプラスの面で解釈するようになってしまって、
今にいたる。
たいがいのことは嫌なことでも逆の解釈も出来、能天気に暮らしていけるよ。
しかし実際にはそのふたつの見解のあいだにたいした違いはない。
それは(大方の対立する見解がそうであるように)
ふたつの違った名前で呼ばれる同一の料理のようなものである。
(上と同書から引用)