詰まるところ「パノラマのごとき絶景」というのは、
遠くから見ている限り見事という景色のことなのだ。
本ではこのように表現されている。
パノラマのごとき絶景-----というのが
電話で物件説明をしたときの不動産屋の台詞だった。
家の正面にはぼさぼさに茂った芝生の庭があるが、
こうなったのは私が手を抜いているからだ。
それから砂利敷きの長い車まわしの道があって、
これが表道路に通じている。
道路の向こうには山々の屋根が見える。
詰まるところ「パノラマのごとき絶景」というのは、
遠くから見ている限り見事という景色のことなのだ。
(『象』より「ブラックバード・パイ」
レイモンド・カーヴァー著 村上春樹訳 中央公論新社)
山を登っているとき思ったものだ。
外見が好きな槍ヶ岳。
でも実際その場に行くとただのゴツゴツした岩や石でしかない。
当たり前のことであるけれど
今登っている山を見ることはできないんだと。
空間だけでなく時間も同様ですね
「遠くから見れば、」と僕は海老を呑み込みながら言った。
「大抵のものは綺麗に見える。」
(『1973年のピンボール』村上春樹著 講談社)
上記はコチラでとりあげました。
遠くから見ている限り見事という景色のことなのだ。
本ではこのように表現されている。
パノラマのごとき絶景-----というのが
電話で物件説明をしたときの不動産屋の台詞だった。
家の正面にはぼさぼさに茂った芝生の庭があるが、
こうなったのは私が手を抜いているからだ。
それから砂利敷きの長い車まわしの道があって、
これが表道路に通じている。
道路の向こうには山々の屋根が見える。
詰まるところ「パノラマのごとき絶景」というのは、
遠くから見ている限り見事という景色のことなのだ。
(『象』より「ブラックバード・パイ」
レイモンド・カーヴァー著 村上春樹訳 中央公論新社)
山を登っているとき思ったものだ。
外見が好きな槍ヶ岳。
でも実際その場に行くとただのゴツゴツした岩や石でしかない。
当たり前のことであるけれど
今登っている山を見ることはできないんだと。
空間だけでなく時間も同様ですね
「遠くから見れば、」と僕は海老を呑み込みながら言った。
「大抵のものは綺麗に見える。」
(『1973年のピンボール』村上春樹著 講談社)
上記はコチラでとりあげました。