Feelin' Groovy 11

I have MY books.

カンボジアのトイレ

2009-08-31 | 旅行
さて、
バンテアイ・スレイを観光した後で「トイレはいいか」とガイドさんに聞かれた。

実はこの時期(5月)暑くて暑くて汗ぐっしょりで水分が出てしまい、
これまでトイレなんて全く行きたくならなかったのだが、
ふと見に行ってみようという気になった。

「トイレはあちら!」
まっすぐの道を指される。


んーと、どこだろ?

とりま、歩き出す。

道すがら、両脇の自然を見やると・・・


あれれ、なんだか楽しいぞ。
流れている泥水を見てさえウキウキしてくる。

トイレへ続く道は妙に整備されていて、


周辺には蓮が一面に広がっていた。


建物もかなり立派。


トイレはホテル並みとは言えないけれど、日本のSA程度かな。

まぁ中はともかく・・・

遺跡だけでなく周りの自然が味わえてよかった。

こういうのが存在することさえ知らないで帰るとこだったよ

バンテアイ・スレイ

2009-08-26 | 旅行
アンコールバルーンから車に乗って小一時間。
バンテアイ・スレイへ向かいます。



途中、道路は舗装されていないため
晴れていれば土埃が舞い、
一旦雨が降ればこれまたとても激しく一瞬にして悪路となる。

バイクタクシーに乗るなら、
マスクと合羽は必需品だろうと思いました。

さてこのようにして都市部から離れていくのですが、
しばらく行くと道の両脇に家が現れ始めます。



湿気を避けてのことでしょうか、
すべて高床の家で
庭先には人をちらほら見かけました。

そうこうするうちにバンテアイ・スレイに到着。
入口にはおみやげ物屋が軒を連ねています。




【バンテアイ・スレイ(女の砦)東門】


この遺跡は全体的に赤っぽい。
その理由は赤い砂岩でできているから。

また彫刻が深くて素晴しいのも印象的でした。


リンガを模した像が両側に並ぶ参道を通って中に入り、


中央祠堂へ。


ここはその美しさゆえに盗まれそうになった、
デヴァダー像「東洋のモナリザ」(写真右手↓)があります。


現在、遺跡保護のためロープを張られ間近で見られず・・・
それで表情もいまいち見分けられず・・・
望遠レンズがあるとよかったですね。

ところでさっき美しさゆえと書きましたけれど、
その盗人アンドレ・マルローは、1923年に破産してて同じ年に盗掘しているから
それが特別美しくて傍に置いておきたいという心情より
お金目的だったのではないかと疑っちゃいました。
他のものより持ち出し易そうであるし。
(これはあくまでも私の見方で、マルローはいわゆる立派な人です)

それから「東洋のモナリザ」は上智大学学長の石澤氏の命名。
そのいきさつは詳しく分からないけれども、
名前があることでそれだけがことさら抽出されて、
他のものが薄れてしまうような感覚がしたのよね。

名前をつけないほうがよかったんじゃないか?
それとも全ての彫刻に名前をつけたほうが?

でもこのような名前が代表としてあるからこそ、
私たちはそこまで足を運ぶのだろう。

んー
(「名前をつける」ことについてしばし考える

ごちゃごちゃ言いましたがつまりですね、
「東洋のモナリザ」が取り立てて美しいというわけではなく、
すべての彫刻が美しいのではなかったか、ということです。

と、まとめてみる。

君の背中にヒトデがついてるよ

2009-08-24 | 音楽
この夏はほぼずっと車の中では「くるり」を聞いていた。

だいたい気持ちよくダァ―――っと
聞き流しているのだけれど、
ふと挿入されている語り(っていうのか?)が気になった。

その言葉はこうだ。


       「君の背中にヒトデがついてるよ
        このままじゃヒトデ形に日焼けしちまうぜ」
                   (「水中モーター」くるり)

このページ→OnGenで試聴していただくと0'41辺りの最後に尻切れで聴ける。
(収録曲2曲目)



とにかく、子どもの声でなんともかわいらしい。

自分で真似たりしても所詮大人声・・・

試しに甥に言わせてみようと
「君の背中にヒトデがついてるよ・・・」

とか言ってみたら

「なにそれ・・・
「ひっとでぇ?

とか言って明らかに逃げ腰で気味悪がられた。

――――――――――――――――――――――――――

このよさ、君にはまだ分かるまい。

アンコールバルーン

2009-08-21 | 旅行
続き・・・朝食後、
ずくずくになった靴に新聞紙を丸めて入れたり、
ドライヤーで乾かしたりしてなんとか履ける状態にし、
再び出かけます。。。

いつの間にか雨も上がり、
じゃあ天気のいいうちにと朝一でアンコールバルーン(これ↓)に乗ります。



気球といっても地面からロープでこんな風に繋がっていて、

多少の安心感が得られます(ん?

こうして上空約200メートルまで上がり、(影かわゆし



アンコールワットなどの遺跡を上空から見ることができます。
(環濠に囲まれた中央がアンコールワット)


(ズームイン↓)



同じような景色が見られるプノンバケンとどちらか迷っている方がいれば
アンコールバルーンの方が絶対おすすめ。

なぜならば・・
プノンバケンは360°のパノラマと言っても
歩き回らないと眺められないのに、
気球は1つところに立っていて360°のパノラマだから。。。

ただの無精の見解じゃないと思ってますが、いかに・・・

このバルーンは10分程度で前触れなしにあっけなく降りていきます。

片側(特にアンコールワットがある側)に人が固まったりすると
バランスが崩れるため、こっちへ移動しろと指示が来て
右往左往しているとあっという間に時間が過ぎてしまいます。

楽しむ際はご注意くださいな。

アンコールワットで朝日

2009-08-20 | 旅行
次の旅行記がおしているため、
にわかにせっせと投稿しはじめたカンボジア記。

なななんと!
これから2日目に突入。。。まだ2日目・・・この果てしなさ、コワイですね。
私はまとめる能力0ですか・・・?

さて、
この日はアンコールワットで朝日鑑賞をする予定でした。
夜中には雷もなってたりして
朝も雨・雨・雨・・・
全く朝日が見られる望みがないまま、朝食前に寺院へ赴きます。

雨がざざぶりで靴も水でざぶざぶの中、
なんとか聖池までたどり着き、



しばらく待っているとこれぐらいの明るさにはなりましたが、



「日」なるものは当然見られませんでした。

まー日本でもそうだけれど、
寺院てのはしっとりぬれているのもまた、いいでしょう。
 と、なぐさめ。


アプサラダンス鑑賞ディナー(2

2009-08-19 | 旅行
いよいよメインのアプサラダンス。



アプサラとは「天女」のことで、
遺跡の壁面にもあちこちでレリーフ↓が見られました。





手首、ひじ、足首、ひざなどがあらぬ方向にしなって、
独特の平衡感覚が求められそう。
演目については少しも予習してなかったので、
正直何をやっているのか分からずストーリーを想像するしかなかったのですが、
滑稽な面もあって面白かったですよ。

ポルポト政権時代に90%の踊り子や先生たちが処刑されたことを考えると
それほど長い時が経っていない今、
こうして普通に観られるのがまた感慨深いものでした。

アプサラダンス鑑賞ディナー(1

2009-08-18 | 旅行
まだ終わってなかったのかよと、
そろそろツッこまれそうなカンボジア記のつづき。

えええーーっと、あの後・・・
そうそうプノンバケンで夕日を(見れなかったけれど)
見に行った後の話ですが。

まずクメールマッサージをやっていただいて
夕食に行ったわけです。

【カンボジアの伝統舞踊アプサラダンスを鑑賞しながらのディナー】

ビュッフェ形式だったので、
もはやどこ料理か分からないけれどたくさんの種類が並べられたお料理の中から
食べられそうなものを選んで、ダンスが始まるのを待ちます。



私は焼き鳥が好きなので
焼き鳥と思しき姿の串刺しをたくさんいただきました(写真右手前)。
味は日本のタレの焼き鳥に近く、身も引き締まっておいしかったですよ。
ちょっと気になるのが鶏にしては小さい気がしたので、
もしかするとスズメとか・・・カエルだったのかもしれませんけどね(ぇ

ちなみに飲み物は無難にと思ってリンゴジュース(写真右奥)にしたのですが、
熟してわたわたになったリンゴを絞ったまま、
一切、手を加えなかったのではないかというほど
水っぽくて生ぬるくて茶色い味がしましたよぉ~。

えぇ、はっきり言って、まずかったんです。

後で聞くところによると、カンボジアではリンゴは収穫できないそうで全て輸入。
まったくどうしてカンボジアでわざわざリンゴなんか頼んでしまったかと思うけれども、
でもでもこれには理由があってさ。
ホテルの部屋にウェルカムフルーツが置いてくれてあるじゃない?
そのフルーツの1つにリンゴがあったのよねぇ。
だから潜在的にこの辺りでリンゴが採れるような気分を刷り込まれたわけ。
ちゃんと考えればリンゴは涼しいところでしか栽培されてないわね~。

ま、そんなこんなでダラダラ文が続いてしまいましたので、
アプサラダンスは次項で。。。

空気さなぎ と リトルピープル

2009-08-17 | 村上春樹
  説明しなくてはわからないことは、説明してもわからない。


これが『1Q84』(新潮社)の中で繰り返し出てくる言葉だ。


「予断を持たずに読んでほしい」という著者の意向で
内容が明かされずに刊行されたことを考え、
本をこれから読まれる予定の方は以下 注意して読んで(あるいは読まないで)ください。


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前記事で出した「空気さなぎ」と「リトルピープル」とは何かを含め、
『1Q84』を読んで受けた印象。


「空気さなぎ」は「観念」。
これは小説中にそのまま書いてなかったっけか?

そして空気さなぎはリトルピープルによって作られる。

「リトルピープル」も実体のないもの。
でも信じれば存在しているようにみえるもののことを指すと思った。
たとえば宗教だとか国家だとか…。

これらにはもともと善悪はない。
ただ最初正しいと思われたものが、
途中で正しくないものに変貌する可能性はある。

だから一度正しいと判断したらそのまま信じていくのは危険で、
生きる拠りどころは常に自分自身の中に求めなければならない、
ということを感じた。



1Q84について

2009-08-08 | 村上春樹
やっと『1Q84』を読んだ。

この本ではおそらく

「空気さなぎ」と「リトルピープル」とは何か、

が問題とされるだろう。
本の中で具体的には明示されていない。
でもヒントがちりばめられているので、自分なりの着地点はあった。

その内容は残念ながら自分にとって新しい発見ではなかったけれど、
故意に明示せず、自分の頭で考え出させるのが
この本の目的であると考えられるので(*注1

そういう意味では

ベストセラーになっていることは喜ばしいことだ。
それだけ多くの人が今のこの現実を
自分の頭で考え、判断するきっかけとなっているはずだから。


*注1
   物語としてはとても面白くできているし、最後までぐいぐいと読者を
   牽引していくのだが、空気さなぎとは何か、リトル・ピープルとは何
   かということになると、我々は最後までミステリアスな疑問符のプー
   ルの中に取り残されたままになる。あるいはそれこそが著者の意図し
   たことなのかもしれないが、(後略)
                   (『1Q84』村上春樹著 新潮社)

『悼む人』を紹介するなら今日だと思って。

2009-08-06 | 
8月6日、
広島への原爆投下の日。

愛媛県今治市では空爆で450人を超す人の死が記録されていることを
『悼む人』(天童荒太著 文藝春秋)を読んで初めて知った。

大きな事件や報道頻度が高いものに目がいきがちであることを痛感した。

知らず知らずのうちに
人の死に軽重をつけていないか―
そういう感覚は、生きている人に対しても差別をつけはしないか―――


この本では「見ず知らずの死者を、どんな理由で亡くなっても分け隔てることなく、
愛と感謝にかんする思い出によって心に刻み、その人物が生きていた事実を長く
覚えていようとする人」が主人公だ。

読んでいると偽善かと思ったりもする。

けれども主人公の母親の言葉がすべてだと思い直した。


  ある人物の行動をあれこれ評価するより・・・・・・
  その人との出会いで、わたしは何を得たか、何が残ったのか、ということが
  大切だろうと思うんです。
                   (『悼む人』天童荒太著 文藝春秋)