Feelin' Groovy 11

I have MY books.

空気さなぎ と リトルピープル

2009-08-17 | 村上春樹
  説明しなくてはわからないことは、説明してもわからない。


これが『1Q84』(新潮社)の中で繰り返し出てくる言葉だ。


「予断を持たずに読んでほしい」という著者の意向で
内容が明かされずに刊行されたことを考え、
本をこれから読まれる予定の方は以下 注意して読んで(あるいは読まないで)ください。


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前記事で出した「空気さなぎ」と「リトルピープル」とは何かを含め、
『1Q84』を読んで受けた印象。


「空気さなぎ」は「観念」。
これは小説中にそのまま書いてなかったっけか?

そして空気さなぎはリトルピープルによって作られる。

「リトルピープル」も実体のないもの。
でも信じれば存在しているようにみえるもののことを指すと思った。
たとえば宗教だとか国家だとか…。

これらにはもともと善悪はない。
ただ最初正しいと思われたものが、
途中で正しくないものに変貌する可能性はある。

だから一度正しいと判断したらそのまま信じていくのは危険で、
生きる拠りどころは常に自分自身の中に求めなければならない、
ということを感じた。


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1Q84について

2009-08-08 | 村上春樹
やっと『1Q84』を読んだ。

この本ではおそらく

「空気さなぎ」と「リトルピープル」とは何か、

が問題とされるだろう。
本の中で具体的には明示されていない。
でもヒントがちりばめられているので、自分なりの着地点はあった。

その内容は残念ながら自分にとって新しい発見ではなかったけれど、
故意に明示せず、自分の頭で考え出させるのが
この本の目的であると考えられるので(*注1

そういう意味では

ベストセラーになっていることは喜ばしいことだ。
それだけ多くの人が今のこの現実を
自分の頭で考え、判断するきっかけとなっているはずだから。


*注1
   物語としてはとても面白くできているし、最後までぐいぐいと読者を
   牽引していくのだが、空気さなぎとは何か、リトル・ピープルとは何
   かということになると、我々は最後までミステリアスな疑問符のプー
   ルの中に取り残されたままになる。あるいはそれこそが著者の意図し
   たことなのかもしれないが、(後略)
                   (『1Q84』村上春樹著 新潮社)
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いつも自分は卵の側に・・・

2009-02-16 | 村上春樹
ぱったと更新しておりませんでしたが、
その間にもたくさんのご訪問ありがとうございます。
話題としてはみなさんからあまり期待されていない本のネタが
じゃんじゃかありますので、またボツボツ投稿していきます。

てことで今年もよろしくお願いします。


さて、文体変わりますw

村上春樹さんがエルサレム賞を受賞した。


 【エルサレム15日時事】
   作家の村上春樹さん(60)は15日、イスラエル最高の文学賞「エルサ
  レム賞」を受賞し、エルサレム市内の会議場でスピーチを行った。
  村上さんは、イスラエルのパレスチナ自治区ガザ侵攻を批判、
  日本で受賞をボイコットすべきだとの意見が出たことを紹介した。
   村上さんは例え話として、「高い壁」とそれにぶつかって割れる「卵」
  があり、いつも自分は「卵」の側に付くと言及。
  その上で、「爆弾犯や戦車、ロケット弾、白リン弾が高い壁で、
  卵は被害を受ける人々だ」と述べ、名指しは避けつつも、
  イスラエル軍やパレスチナ武装組織を非難した。
                        (Yahoo!ニュースより)


今回の一連のことについて、どう言い表したものか。。
一言でいうと「安心した」といったところか。

他から求められていた受賞の辞退をすることなく、
この与えられた賞に見合う立場で受賞し、
スピーチしてきたといった姿勢に、
まさしく「個人の自由」を感じる。


  「僕はここに残ろうと思うんだ」と僕は言った。
  (『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』
    村上春樹著 新潮社)

この件で、
世界の終りを取り囲む壁を連想した人は多いでしょうね。
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問題は・・

2008-09-21 | 村上春樹
    問題は、
    誰しもいつかは山から下りて来なくちゃならないことだ
             

先日ぽろっと思い出されてきた言葉は
スプートニク関係だった気がしていたので、探してみた。

周辺の文章はこうだった。

  「人はその人生のうちで一度は荒野の中に入り、健康的で、幾分は
   退屈でさえある孤絶を経験するべきだ。自分がまったくの己れ一
   人の身に依存していることを発見し、しかるのちに自らの真実の
   隠されていた力を知るのだ」

  「そういうのってすてきだと思わない?」と彼女はぼくに言った。
  「毎日山の頂上に立って、ぐるっと360度まわりを見まわして、
   どこの山からも黒い煙が立っていないことを確かめる。一日の仕
   事は、ただそれだけ。あとは好きなだけ本を読み、小説を書く。
   夜になると大きな毛だらけの熊が小屋のまわりをうろうろと徘徊
   する。それこそがまさにわたしの求めている人生なのよ。それに
   比べたら大学の文芸家なんてキュウリのへたみたいなものよ」
  「問題は、誰しもいつかは山から下りて来なくちゃならないことだ」
   とぼくは意見を述べた。
       (『スプートニクの恋人』村上春樹著 講談社 太字:groovy)
        

いつかは人と関わっていかなきゃならないし、
いつかは頭の中から出てこなきゃいけない。

そういうことだ。

普段本を読んでいるとき
少しずつ頭にしまいこんだ文章が
こうして ときどき 落ちてくる。
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もう森へ行かない

2008-08-07 | 村上春樹
ドビュッシーの『雨の庭』を聞くと
私も混乱する。


突然なんだ、て感じでしょうがw

今回映画化が決定された『ノルウェイの森』(村上春樹著 講談社)。
知られているようにビートルズの曲のタイトルですが、
実は最初、『雨の中の庭』というタイトルで
書き始められたそうですね。

残念ながら競り負けたその『雨の庭』の方が
冒頭の「僕」の混乱に
一番近い体験ができる気がします。

頭がしめつけられるような旋律の中に、
時折入る穏やかな数章節が
苦しい中にもあった平穏な直子との日々を想像させる、というか。

この『雨の庭』。
フランスの童謡「もう森へ行かない」の一部が使われていることを、
今回初めて知りました。

もう森へ行かない。
もう森へ行かない?

もう森へ行かない・・・だって?

頭のどこかを刺激するフレーズ。
でも何か想起できない・・・

混乱したまま終わっていった『ノルウェイの森』を
解くキーになるような・・・・・・。

*suiminshaさんの記事にトラバさせていただきました。
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反芻しない。

2008-08-05 | 村上春樹
昨日下記の文章を思い出した。


 「本当のことを聞きたい?」
  彼女がそう訊ねた。
 「去年ね、牛を解剖したんだ。」
 「そう?」
 「腹を裂いてみると、胃の中にはひとつかみの草しか入ってはいなかった。
  僕はその草をビニールの袋に入れて家に持って帰り、机の上に置いた。
  それでね、何か嫌なことがある度にその草の塊りを眺めてこんな風に
  考えることにしてるんだ。何故牛はこんなまずそうで惨めなものを
  何度も何度も大事そうに反芻して食べるんだろうってね。
  彼女は少し笑って唇をすぼめ、しばらく僕の顔を見つめた。
 「わかったわ。何も言わない。」
  僕は肯いた。
         (『風の歌を聴け』村上春樹著 講談社 太字:groovy)


もちろん、嫌なことでも一通りその原因や対策を考えるのは必要だと思う。
でもそれをしたら、終わり。
反芻しない。
もうそのことは忘れればいい。
忘れられないのは
自分がそれに浸っていたいだけなんだ、と
むしろそれを望んでいるんだと思えてしまうんですが、ね。

牛の反芻を思い出してw
苦しむよりも楽しい時間を多くとってほしい。

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1973

2008-06-09 | 村上春樹
  同じ一日の同じ繰り返しだった。
  どこかに折り返しでもつけておかなければ
  間違えてしまいそうなほどの一日だ。
  (『1973年のピンボール』村上春樹著 講談社)


似たようなものがたくさんあるうちの1つを
覚えておく手段としての「折り返し」

こういう表現
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ロング・グッドバイ

2007-07-01 | 村上春樹
村上春樹訳『ロング・グッドバイ』を読んだ。
訳者あとがきが44頁もあり、とても読み応えがある。
そこにある通り、たしかに『グレート・ギャツビー』に通ずるものがあった。
そして、『羊をめぐる冒険』の「僕」や「鼠」を思い出す。
春樹さんの言葉を借りれば「深い憂愁と孤絶感」を感じるのだ。

マーロウがテリー・レノックスと会う本当の最後になった場面に、
こうある。

  「君は私の多くの部分を買いとっていったんだよ、テリー。
   微笑みやら、肯きやら、洒落た手の振り方やら、
   あちこちの静かなバーで口にするひそやかなカクテルでね。
   それがいつまでも続けばよかったのにと思う。元気でやってくれ、アミーゴ。
   さよならは言いたくない。さよならは、まだ心が通っていたときにすでに口にした。
   それは哀しく、孤独で、さきのないさよならだった。」
  (『ロング・グッドバイ』(レイモンド・チャンドラー著 村上春樹訳 早川書房)

マーロウは前回、恐らく今生の別れになるであろうと思われた時に
テリーに残すことができる部分をすべて与えてしまったにちがいない。
マーロウはその分少しだけ死んだ。
あるいは失われた。
この感覚が読んでいる側にも移り、余韻を残す。


参考)さよならを言うのは少しだけ死ぬことだ。

   
   この一節はフィリッピ・マーロウがリンダ・ローリングとお別れをする場面で
   使用されている。

   さよならを言った。タクシーが去っていくのを私は見まもっていた。
   階段を上がって家に戻り、ベッドルームに行ってシーツをそっくりはがし、
   セットしなおした。枕のひとつに長い黒髪が一本残っていた。
   みぞおちに鉛のかたまりのようなものが残った。
   フランス人はこんな場にふさわしいひとことを持っている。
   フランス人というのはいかなるときも場にふさわしいひとことを持っており、
   どれもがうまくつぼにはまる。
   さよならを言うのは少しだけ死ぬことだ。

   訳者あとがきにはこう説明がある。

   一般的にはフランスの詩人エドモン・アロクールの
  「離れるのは少し死ぬことだ。それは
   愛するもののために死ぬことだ   どこでもいつでも、人は
   自分の一部を残して去っていく」
   という詩が元ネタになっているとされている。
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『グレート・ギャツビー』の冒頭

2007-01-24 | 村上春樹
訳者あとがきに、こうある。

  もうひとつ個人的なことを言わせていただければ、
  『グレート・ギャツビー』の翻訳においてもっとも心を砕き、
  腐心したのは、冒頭と結末の部分だった。なぜか?
  どちらも息を呑むほど素晴らしい、そして定評のある名文だからだ。
  (『グレート・ギャツビー』スコット・フィッツジェラルド著
                村上春樹訳 中央公論新社)


冒頭はよく引用されているので
なじみのある文であった。
単独でもすばらしい内容であるが、
本を一通り読んだ後、再度たち返った時
その文が本全体へ与えている影響に思い当たり
深く感動を覚えた。

私たちはその文が冒頭にあったからこそ、
ニックだけが何故、ギャツビーの理解者となり得たかを
疑問を持たずに読み通すことができたし
また、私たち自身もギャツビーに心をよせ
最後には悲しい気持ちになったのだと。


【冒頭の引用】
  僕がまだ年若く、心に傷を負いやすかったころ、父親がひとつ
  忠告を与えてくれた。その言葉について僕は、ことあるごとに
  考えをめぐらせてきた。
  「誰かのことを批判したくなったときには、こう考えるように
  するんだよ」と父は言った。「世間のすべての人が、お前のように
  恵まれた条件を与えられたわけではないのだと」
  (『グレート・ギャツビー』スコット・フィッツジェラルド著
                村上春樹訳 中央公論新社)

  In my younger and more vulnerable years my father gave me
  some advice that I've been turning over in my mind ever since.
  ‘Whenever you feel like criticizing anyone,' he told me,
  ‘just remember that all the people in this world haven't had
  the advantages that you've had.'
  (『THE GREAT GATSBY』F.SCOTT FITZGERALD
              PENGUIN MODERN CLASSICS)
Comment

『闇の奥』にも着手

2007-01-11 | 村上春樹
毎晩少しずつ読んでいる『グレート・ギャツビー』ですが
途中で姉の本棚よりコンラッドの『闇の奥』を見つけ
並行して読み始めてしまいました。


『羊をめぐる冒険』で鼠の別荘に残されていた鼠の痕跡。

  奥の小部屋にだけ、人間の匂いが残っていた。
  ベッドはきちんとメイクされて、枕はかすかにへこみを残し、
  青い無地のパジャマが枕もとにたたんであった。
  サイドテーブルには古い型のスタンドが載っていて、
  そのわきには本が一冊伏せてあった。
  コンラッドの小説だった。
         (『羊をめぐる冒険』村上春樹著 講談社)

何回読んでも鼠がもういないことが悲しくなります。


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