世界について語るとき、どうしても避けては通れない団体がある。
それは、フリーメーソン。
フリーメーソンの内部って、一体どんな人たちなんだろう?
本当にオカルト的なことや、もしかしたら、陰謀などを張り巡らせているのか?
などなど、多くの日本人たちは、おそらくあまり馴染みのないフリーメーソンに対して、おどろおどろしいイメージを持っているだろう。
それらのイメージのいくつかは虚構で、そしていくつかは実像かもしれない。
しかし、どの虚構にしても実像にしても、すべてのもの・・・そうほとんどすべてといっていい・・・は、フリーメーソンの内部の人によって書かれたものではなく、外部の人間によって、想像といくらかの調査と、虚構によって成り立っている。
本来の姿とはかけ離れたものも少なくないだろう。
本が売れさえすれば それでいい。
そう考える人にとって、実際のフリーメーソンよりも、より過激な内容のほうが、売れるからである。そして多くの映画も そういう人たちによって作られた。
では、フリーメーソンである人は 実際 どんな風に感じているのだろうか?
よく、彼らは「私たちは秘密結社ではない、秘密を持った社会なんだ」と言う。つまり、団体の場所も、そしてミーティングの時間もすべて公開されているので、秘密結社ではない。だが、その中にはお互いが大切にしている秘密があるので、そのことに関しては、対外に漏れないようにしているという 意味なのである。
だから、外部からそれを誤解されるのではないか?
しかし、それをもらすことは決してできない。たとえ 誤解されようとも、殺されたとしても 名誉と誇りにかけて、秘密は決して口外しない。
毎日 その中で生きているうちに、生活に違いが出てくる。
どこか 家庭、社会生活、交友関係、などなど細部にわたってフリーメーソンの会員でない人との違いが出てくるわけだ。言葉の端々に、どうしても内部で使う言葉の符牒が、混じることで、お互いが通常の会話をしていても、いっぺんに通じ合えたりする。10人集まったとして、その中で誰と誰がメーソンであるかは、お互いがすぐに分かるようになっている。また特別な握手や、様々な仕草は言葉がなくとも多くの表現力を持っている。
歴史的には、1700年ごろイギリスで始まったことになっているが、実際はもっと古く、例えば1100年ごろの フリーメーソンのマークであるコンパスと直角定規が墓に彫られているものに、出くわす。イスラエルやヨルダン、パレスチナなど、様々なところに、その歴史をたどることができ、しかも、西洋建築のほとんどは、彼らがどこかでかかわっていることがわかる。メーソンは石工のことで、城塞を作る重要な仕事の後、城の秘密を漏らされることを恐れた王様がその職人たちを殺したり、あるいは、きちんとした給与を支払わなかったこともあり、メーソンのネットワークで互いが助け合えるように、なっていた時代もあった。当時は、ギルドと呼ばれ、その時代は、より労働組合のような性格が強かったであろう。やがて、政治家や弁護士や会計士、それに資産家や実業家が加わるようになり、今のようになってきたのだと思われる。しかし、その教義は深く多くの知識人たちの素養と好奇心を満足させるのに十分な力があり、世界に広まる。
メーソンにはいくつかの別々の内部団体がある。
それぞれに、また階級と秘密がありすべてを一生の間で学ぶことは、まず不可能だと言われている。
基本になる、ブルーロッジだけでも、すべてを完璧にマスターできるようになるためには、どんなに天才的な頭脳と時間を傾けても 10年はかかるだろうといわれている。
通常は父から子へ、子から孫へと受け継がれる。
かつて、父は自分がメーソンであることを決して子供には知らせなかった。毎月、ある時期になると、父が小さなアタッシュケースを持って正装で 出かけていく。そのアタッシュケースの中身は決して見せてはくれない。
ある日、学校で友達が、「フリーメーソンって、いうのがあるんだ」という話をしているのを聞く。まるで御伽噺か、都市伝説のようで、オカルト的でもあり、悪魔の儀式のような話か、魔法使いの話、あるいは、世界を動かすような政治家の話や、まるで、話題がぎっしり詰まった宝石箱のようだ。少年たちは目を輝かせて本を読んだり、グーグルでサーチしたりしながら、様々な情報を集める。
家に帰り、ふと、父を見る。
父が、フリーメーソンではないか?とある日少年は 疑いをかける。
子供は、とても不思議な気持ちである日 父に内緒で、そのアタッシュケースを覗いてみる。
ドキドキしながらケースを開けると そのなかには・・・
父がフリーメーソンであることを 知ってしまった少年は 複雑な気持ちにとらわれる。自分の父が 普通の人ではないということを、感じ、そしてそれまで父を見ていた目が、違うものになる。
フリーメーソンの大人って、こんな人なんだ と客観的に父を見ている自分に驚く。そして、父が出かけていくたびに、それは、一体 何のために、そしてそこでは何が行われているんだろうか?好奇心はますますつのるが、もう友人たちと軽々しくそういう話題はできない自分に気がつく。
そして父にも直接 聞く勇気もなく、ただ 鬱々としながら、少年はやがて青年になっていくのだろう。
そういう興奮と、そして 不思議なわだかまりを抱えた少年がやがて18歳になり、父に連れて行かれる。「どうだ?このドアの向こう側へ おまえは入りたいと願うかね?」
少年は長年持っていた 畏怖と好奇心の板ばさみになり、一瞬 分からなくなる。だが、やがて、利発な少年の頭脳は ついに、好奇心の虜となって、そのドアの向こうに入らなければ気がすまなくなる。
ドアはノックされる。
少年は、初めての体験、驚き、そして感動を、第一階級で味わう。
こういうことが連綿と繰り返されてきた。そして それは文化としてすべてのヨーロッパの町、アメリカの町、オーストラリアの町、そして日本の町にも・・・世界中のありとあらゆる町を作り上げ繁栄させる。
フリーメーソンが入る町は 繁栄していき、拒否する国は、いつも 滅びていく。
その様々な教義は、多くの真実を含んでいるからだろう。
それらが、やがて多くの人々を 巻き込んで繁栄を築き上げていくための 基礎を提供するからなのだろう。
宗教の隔たりもなく、お互いが愛せあえる社会。
まるで ジョンレノンの イマジンのような社会こそ、本当に理想の社会なんだろう。戦争もなくお互いが愛せあえる社会を作ることは、しかし、戦争を生むこともあるというのを、目の当たりにすると、人間とはなんと愚かなものではないだろうか?とため息が出る。
それは、フリーメーソン。
フリーメーソンの内部って、一体どんな人たちなんだろう?
本当にオカルト的なことや、もしかしたら、陰謀などを張り巡らせているのか?
などなど、多くの日本人たちは、おそらくあまり馴染みのないフリーメーソンに対して、おどろおどろしいイメージを持っているだろう。
それらのイメージのいくつかは虚構で、そしていくつかは実像かもしれない。
しかし、どの虚構にしても実像にしても、すべてのもの・・・そうほとんどすべてといっていい・・・は、フリーメーソンの内部の人によって書かれたものではなく、外部の人間によって、想像といくらかの調査と、虚構によって成り立っている。
本来の姿とはかけ離れたものも少なくないだろう。
本が売れさえすれば それでいい。
そう考える人にとって、実際のフリーメーソンよりも、より過激な内容のほうが、売れるからである。そして多くの映画も そういう人たちによって作られた。
では、フリーメーソンである人は 実際 どんな風に感じているのだろうか?
よく、彼らは「私たちは秘密結社ではない、秘密を持った社会なんだ」と言う。つまり、団体の場所も、そしてミーティングの時間もすべて公開されているので、秘密結社ではない。だが、その中にはお互いが大切にしている秘密があるので、そのことに関しては、対外に漏れないようにしているという 意味なのである。
だから、外部からそれを誤解されるのではないか?
しかし、それをもらすことは決してできない。たとえ 誤解されようとも、殺されたとしても 名誉と誇りにかけて、秘密は決して口外しない。
毎日 その中で生きているうちに、生活に違いが出てくる。
どこか 家庭、社会生活、交友関係、などなど細部にわたってフリーメーソンの会員でない人との違いが出てくるわけだ。言葉の端々に、どうしても内部で使う言葉の符牒が、混じることで、お互いが通常の会話をしていても、いっぺんに通じ合えたりする。10人集まったとして、その中で誰と誰がメーソンであるかは、お互いがすぐに分かるようになっている。また特別な握手や、様々な仕草は言葉がなくとも多くの表現力を持っている。
歴史的には、1700年ごろイギリスで始まったことになっているが、実際はもっと古く、例えば1100年ごろの フリーメーソンのマークであるコンパスと直角定規が墓に彫られているものに、出くわす。イスラエルやヨルダン、パレスチナなど、様々なところに、その歴史をたどることができ、しかも、西洋建築のほとんどは、彼らがどこかでかかわっていることがわかる。メーソンは石工のことで、城塞を作る重要な仕事の後、城の秘密を漏らされることを恐れた王様がその職人たちを殺したり、あるいは、きちんとした給与を支払わなかったこともあり、メーソンのネットワークで互いが助け合えるように、なっていた時代もあった。当時は、ギルドと呼ばれ、その時代は、より労働組合のような性格が強かったであろう。やがて、政治家や弁護士や会計士、それに資産家や実業家が加わるようになり、今のようになってきたのだと思われる。しかし、その教義は深く多くの知識人たちの素養と好奇心を満足させるのに十分な力があり、世界に広まる。
メーソンにはいくつかの別々の内部団体がある。
それぞれに、また階級と秘密がありすべてを一生の間で学ぶことは、まず不可能だと言われている。
基本になる、ブルーロッジだけでも、すべてを完璧にマスターできるようになるためには、どんなに天才的な頭脳と時間を傾けても 10年はかかるだろうといわれている。
通常は父から子へ、子から孫へと受け継がれる。
かつて、父は自分がメーソンであることを決して子供には知らせなかった。毎月、ある時期になると、父が小さなアタッシュケースを持って正装で 出かけていく。そのアタッシュケースの中身は決して見せてはくれない。
ある日、学校で友達が、「フリーメーソンって、いうのがあるんだ」という話をしているのを聞く。まるで御伽噺か、都市伝説のようで、オカルト的でもあり、悪魔の儀式のような話か、魔法使いの話、あるいは、世界を動かすような政治家の話や、まるで、話題がぎっしり詰まった宝石箱のようだ。少年たちは目を輝かせて本を読んだり、グーグルでサーチしたりしながら、様々な情報を集める。
家に帰り、ふと、父を見る。
父が、フリーメーソンではないか?とある日少年は 疑いをかける。
子供は、とても不思議な気持ちである日 父に内緒で、そのアタッシュケースを覗いてみる。
ドキドキしながらケースを開けると そのなかには・・・
父がフリーメーソンであることを 知ってしまった少年は 複雑な気持ちにとらわれる。自分の父が 普通の人ではないということを、感じ、そしてそれまで父を見ていた目が、違うものになる。
フリーメーソンの大人って、こんな人なんだ と客観的に父を見ている自分に驚く。そして、父が出かけていくたびに、それは、一体 何のために、そしてそこでは何が行われているんだろうか?好奇心はますますつのるが、もう友人たちと軽々しくそういう話題はできない自分に気がつく。
そして父にも直接 聞く勇気もなく、ただ 鬱々としながら、少年はやがて青年になっていくのだろう。
そういう興奮と、そして 不思議なわだかまりを抱えた少年がやがて18歳になり、父に連れて行かれる。「どうだ?このドアの向こう側へ おまえは入りたいと願うかね?」
少年は長年持っていた 畏怖と好奇心の板ばさみになり、一瞬 分からなくなる。だが、やがて、利発な少年の頭脳は ついに、好奇心の虜となって、そのドアの向こうに入らなければ気がすまなくなる。
ドアはノックされる。
少年は、初めての体験、驚き、そして感動を、第一階級で味わう。
こういうことが連綿と繰り返されてきた。そして それは文化としてすべてのヨーロッパの町、アメリカの町、オーストラリアの町、そして日本の町にも・・・世界中のありとあらゆる町を作り上げ繁栄させる。
フリーメーソンが入る町は 繁栄していき、拒否する国は、いつも 滅びていく。
その様々な教義は、多くの真実を含んでいるからだろう。
それらが、やがて多くの人々を 巻き込んで繁栄を築き上げていくための 基礎を提供するからなのだろう。
宗教の隔たりもなく、お互いが愛せあえる社会。
まるで ジョンレノンの イマジンのような社会こそ、本当に理想の社会なんだろう。戦争もなくお互いが愛せあえる社会を作ることは、しかし、戦争を生むこともあるというのを、目の当たりにすると、人間とはなんと愚かなものではないだろうか?とため息が出る。