記事入力 : 2009/10/21 17:02:13
【コラム】ユダヤ人と韓国人(上)
毎年10月にノーベル賞の発表が終わると、複雑な心境になる。その理由の一つは、ノーベル賞を受賞したユダヤ人の多さだ。今年は受賞しないだろうと思っていたが、数日前に発表されたノーベル化学賞の受賞者は、イスラエル在住のユダヤ人だった。「リボソームの構造と機能の研究」で知られるエイダ・E・ヨナス博士だ。
ユダヤ人のノーベル賞受賞について、ユダヤ人情報というサイトで調べたところ、1901年から今年までに179人を輩出している。これは、国境なき記者団といった組織や団体を除き、受賞者全体の22%に当たる。そのうち経済学賞は41%、医学賞は27%、物理学賞は25%を占めた。しかも同サイトによると、家系の2分の1以上がユダヤ人の場合に限定しているという。後日、ポーランド系ユダヤ人ということが分かった今年のノーベル医学賞の受賞者ジャック・W・ショスタク(米国)のように、「隠れユダヤ人」を含めると、3分の1を超えるといわれている。
本国の人口が13億人の中国人の場合、受賞者はこれまで6人。15億人のイスラム系の場合は9人。それからすると、世界の人口の0.25%(1330万人)に過ぎないユダヤ人のノーベル賞受賞は奇跡に近い。人口730万人のイスラエルも、建国後61年で9人を輩出している。人口比率から換算すると、韓国は60人ほど受賞しなければならない。
このようにユダヤ人の受賞者が多いとはいえ、ユダヤ人の知能指数(IQ)が際立って高いというわけではない。ヘルシンキ大が2002年に世界185カ国のIQを調べたところ、イスラエルのIQは平均95で、同106の韓国や米国の98より低かった。
専門家によると、その秘訣は家庭教育にあるという。ユダヤ人の家庭では、子どもが文字を理解すると、はちみつを一さじ与えるとのことだ。5歳からはトーラ(旧約聖書)を教えるが、その際、子どもを励ますためにパーティーを開く。「休んでいるときや寝る際に本を読むなどして、“学ぶことは楽しい”ということを植え付けるために最善を尽くす」(イスラエル勤務の前職外交官)。
教育熱心で有名な「ユダヤ人ママ」とは別に、13歳の成人式を行うまで、学校教育とは別に、父親が歴史や律法、道徳を教える。
また、勉強方法にも特徴がある。ユダヤのことわざに、「良い質問は良い答えに勝る」とあるように、常に疑問を抱き、質問することが重要視されている。
こうした習慣は、成人になっても続く。毎週金曜日の日没から土曜日の日没までの安息日には、労働を禁じ、できるだけ家で読書をしたり、家族同士で討論するなどして過ごす(青木偉作著『ユダヤ人の勉強法』)。
要するに、ユダヤ人のノーベル賞受賞の「奇跡」は、国家次元のプロジェクトによるものではなく、幼児期から知的訓練と討論を重視する生涯学習文化の産物ということだ。一例だが、1991年の湾岸戦争の際、イスラエルは42日間に18回のミサイル攻撃を受け、240人の死傷者を出したが、大学は一度も休校しなかったという。
教育熱心とバイタリティーで、「東洋のユダヤ人」といわれている韓国はどうか。家庭での子どもの教育は学習塾や予備校などに任せきりで、学校では創造性や想像力とはかけ離れた詰め込み式の学習に熱を上げている始末だ。「ノーベル賞大国」の夢が少しずつ遠ざかっているのではないかと心配だ。
産業部=宋義達(ソン・ウィダル)次長待遇
朝鮮日報 2009/10/21 より抜粋 http://www.chosunonline.com/news/20091021000070
これを読んで、ユダヤ人は不愉快になるはずだ。ユダヤ人は、確かにノーベル賞を取っている人が多いかもしれない。たしかに、ユダヤ人の中にはそのように 勉強を中心として暮らしている人々もいるが、それも 全てではない。これはとてもステレオタイプで、ユダヤ人を一くくりにしている危険な発想だ。ユダヤ人という特別な枠組みで、表現することは、とても異常な表現だと思わないのだろうか。なぜなら、彼らは、まずユダヤ人というサイトで、本当にユダヤ人なのかどうか分からない人も含めて、ユダヤ人と言っているかもしれない上に、「隠れユダヤ人」などという まるで、ユダヤ人が隠れて何かをしているかのような印象を与える言い方までして、ひとつの人種を徹底的に別種のものとして、捉えている。またユダヤ人と韓国、それに米国の知能指数の比較など、人種差別に他ならない。また、専門家の出展とやらの出所が曖昧な上に、それらの数字の出所にも、きちんとしたリファレンスさえない。
もっとも あきれさせたのが、東洋のユダヤ人という表現だ。
一体、いつ?、どこの?、誰が?
韓国人を東洋のユダヤ人と言ったのだろうか?
韓国人は、旧約聖書を守っているだろうか?
彼らは、シナゴーグを持っているか?
彼らは、ヘブライ語を話すだろうか?
では、一体、何を持って、東洋のユダヤ人になりうるのだろう?
ここでは教育熱心とバイタリティーがその資質であるかのように書いてある。だが、教育熱心とバイタリティーだけならば、他にも多くのそのような民族や、国のあり方を持っている人々がいる。だのに、なぜ?ここで「ユダヤ人」でなければ ならないのか?
本当に理解に苦しむのである。
そして、これが韓国の大きな新聞社の記事として書かれている事によって、多くの韓国人たちは、何かを韓国人なりに感じ、そして、どう彼らは それを消化していくのだろうか?
様々な人種の友人を持っている私は、こう思う。ユダヤ人であろうと、日本人であろうと、韓国人であろうと、お互いの文化や、その成り立ち、そしてありのままの人間としての個性を、尊敬しあい、尊重しあったうえで、大切に壊れやすい卵を扱うように、少しずつ理解していくべきであって、時には、相手に注意を喚起するべきときもあるだろうし、時には、自分自身を見つめなおし直すべきところを直すこともあって、ようやく 少しずつ積み上げることができる信頼というものが できると考える。
そういう 微妙でソフトな部分に、決して、なたで叩き割るようなやり方で入り込んで行ってはいけない。まず、笑い合える関係ができてから、始めて、何かが生まれることもあるし、それを何十年も続けていても、ひとつの言葉の間違いで、全部が崩れてしまうことだって、ある。
信頼を積み上げるのは何年もかかるのに、壊すのには、10分もかからない。
【コラム】ユダヤ人と韓国人(上)
毎年10月にノーベル賞の発表が終わると、複雑な心境になる。その理由の一つは、ノーベル賞を受賞したユダヤ人の多さだ。今年は受賞しないだろうと思っていたが、数日前に発表されたノーベル化学賞の受賞者は、イスラエル在住のユダヤ人だった。「リボソームの構造と機能の研究」で知られるエイダ・E・ヨナス博士だ。
ユダヤ人のノーベル賞受賞について、ユダヤ人情報というサイトで調べたところ、1901年から今年までに179人を輩出している。これは、国境なき記者団といった組織や団体を除き、受賞者全体の22%に当たる。そのうち経済学賞は41%、医学賞は27%、物理学賞は25%を占めた。しかも同サイトによると、家系の2分の1以上がユダヤ人の場合に限定しているという。後日、ポーランド系ユダヤ人ということが分かった今年のノーベル医学賞の受賞者ジャック・W・ショスタク(米国)のように、「隠れユダヤ人」を含めると、3分の1を超えるといわれている。
本国の人口が13億人の中国人の場合、受賞者はこれまで6人。15億人のイスラム系の場合は9人。それからすると、世界の人口の0.25%(1330万人)に過ぎないユダヤ人のノーベル賞受賞は奇跡に近い。人口730万人のイスラエルも、建国後61年で9人を輩出している。人口比率から換算すると、韓国は60人ほど受賞しなければならない。
このようにユダヤ人の受賞者が多いとはいえ、ユダヤ人の知能指数(IQ)が際立って高いというわけではない。ヘルシンキ大が2002年に世界185カ国のIQを調べたところ、イスラエルのIQは平均95で、同106の韓国や米国の98より低かった。
専門家によると、その秘訣は家庭教育にあるという。ユダヤ人の家庭では、子どもが文字を理解すると、はちみつを一さじ与えるとのことだ。5歳からはトーラ(旧約聖書)を教えるが、その際、子どもを励ますためにパーティーを開く。「休んでいるときや寝る際に本を読むなどして、“学ぶことは楽しい”ということを植え付けるために最善を尽くす」(イスラエル勤務の前職外交官)。
教育熱心で有名な「ユダヤ人ママ」とは別に、13歳の成人式を行うまで、学校教育とは別に、父親が歴史や律法、道徳を教える。
また、勉強方法にも特徴がある。ユダヤのことわざに、「良い質問は良い答えに勝る」とあるように、常に疑問を抱き、質問することが重要視されている。
こうした習慣は、成人になっても続く。毎週金曜日の日没から土曜日の日没までの安息日には、労働を禁じ、できるだけ家で読書をしたり、家族同士で討論するなどして過ごす(青木偉作著『ユダヤ人の勉強法』)。
要するに、ユダヤ人のノーベル賞受賞の「奇跡」は、国家次元のプロジェクトによるものではなく、幼児期から知的訓練と討論を重視する生涯学習文化の産物ということだ。一例だが、1991年の湾岸戦争の際、イスラエルは42日間に18回のミサイル攻撃を受け、240人の死傷者を出したが、大学は一度も休校しなかったという。
教育熱心とバイタリティーで、「東洋のユダヤ人」といわれている韓国はどうか。家庭での子どもの教育は学習塾や予備校などに任せきりで、学校では創造性や想像力とはかけ離れた詰め込み式の学習に熱を上げている始末だ。「ノーベル賞大国」の夢が少しずつ遠ざかっているのではないかと心配だ。
産業部=宋義達(ソン・ウィダル)次長待遇
朝鮮日報 2009/10/21 より抜粋 http://www.chosunonline.com/news/20091021000070
これを読んで、ユダヤ人は不愉快になるはずだ。ユダヤ人は、確かにノーベル賞を取っている人が多いかもしれない。たしかに、ユダヤ人の中にはそのように 勉強を中心として暮らしている人々もいるが、それも 全てではない。これはとてもステレオタイプで、ユダヤ人を一くくりにしている危険な発想だ。ユダヤ人という特別な枠組みで、表現することは、とても異常な表現だと思わないのだろうか。なぜなら、彼らは、まずユダヤ人というサイトで、本当にユダヤ人なのかどうか分からない人も含めて、ユダヤ人と言っているかもしれない上に、「隠れユダヤ人」などという まるで、ユダヤ人が隠れて何かをしているかのような印象を与える言い方までして、ひとつの人種を徹底的に別種のものとして、捉えている。またユダヤ人と韓国、それに米国の知能指数の比較など、人種差別に他ならない。また、専門家の出展とやらの出所が曖昧な上に、それらの数字の出所にも、きちんとしたリファレンスさえない。
もっとも あきれさせたのが、東洋のユダヤ人という表現だ。
一体、いつ?、どこの?、誰が?
韓国人を東洋のユダヤ人と言ったのだろうか?
韓国人は、旧約聖書を守っているだろうか?
彼らは、シナゴーグを持っているか?
彼らは、ヘブライ語を話すだろうか?
では、一体、何を持って、東洋のユダヤ人になりうるのだろう?
ここでは教育熱心とバイタリティーがその資質であるかのように書いてある。だが、教育熱心とバイタリティーだけならば、他にも多くのそのような民族や、国のあり方を持っている人々がいる。だのに、なぜ?ここで「ユダヤ人」でなければ ならないのか?
本当に理解に苦しむのである。
そして、これが韓国の大きな新聞社の記事として書かれている事によって、多くの韓国人たちは、何かを韓国人なりに感じ、そして、どう彼らは それを消化していくのだろうか?
様々な人種の友人を持っている私は、こう思う。ユダヤ人であろうと、日本人であろうと、韓国人であろうと、お互いの文化や、その成り立ち、そしてありのままの人間としての個性を、尊敬しあい、尊重しあったうえで、大切に壊れやすい卵を扱うように、少しずつ理解していくべきであって、時には、相手に注意を喚起するべきときもあるだろうし、時には、自分自身を見つめなおし直すべきところを直すこともあって、ようやく 少しずつ積み上げることができる信頼というものが できると考える。
そういう 微妙でソフトな部分に、決して、なたで叩き割るようなやり方で入り込んで行ってはいけない。まず、笑い合える関係ができてから、始めて、何かが生まれることもあるし、それを何十年も続けていても、ひとつの言葉の間違いで、全部が崩れてしまうことだって、ある。
信頼を積み上げるのは何年もかかるのに、壊すのには、10分もかからない。