Sydney Yajima


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被爆量の引き上げ???

2011-03-25 04:07:19 | Weblog
100ミリ シーベルトから250ミリ シーベルトへ 作業員の被爆量の最小限度を厚生省が、今回に限り 引き上げたそうだ。
被爆してがんになるであろう、あるいは 白血病になるであろう 作業員たちは、いずれ厚生省を相手取り 補償裁判を行うだろうし、東電もそれに応じるが、半分は 厚生省の判断によるものなので、責任転嫁もできるという 灰色の玉虫色の基準判断だ。
今回の事件に限り、人間の放射能許容量が増えたわけではなく、ただ、厚生省の基準が変わっただけである。
こんなふうなら、いずれ、
水道水の基準も 一般人の放射能許容量も、適当に数字の帳尻を合わせてくるかもしれない。
そもそも一時間あたりというのもまやかしだし、それに、健康にすぐには被害が無い程度というのも、すぐに という言葉を入れて誤魔化しているくらい、みんな知っている。
みんな、それでも東京に住んで 生きていかなければならないし、危険だと分かっていても、茨城や東北では、多くの生活基盤があるんだから、動けないだろう。

棄民をするなかれ。

多くの人々を、過去、日本は何度も棄民してきた。
そう、何度も何度も、
帰ってこない兵士。
中国大陸で捨てられた子供
戦後はPCB汚染、水俣病、イタイイタイ病、四日市ぜんそく、そして今度の放射能汚染。

もう、棄民しないでほしい。

棄民とは民を棄て去ることだ。


天皇陛下が、節電をしておられるそうだ。イギリスの金ぴかの王室や、世界のほかのどんな王室にくらべても、日本の皇室は節度がある。もちろん、私たちのもれ聞こえてくる部分は、そのすべてではないかもしれないが、それでも、天皇陛下は、東京に残ることを選ばれ、そして、規範を示そうとされておられる。
それにくらべて、だ。
どこかの滝鼻とかいう人間は ナイターを強行しようとしているらしい。写真で顔をみたが、エゴの塊みたいな典型的な、私の大嫌いなタイプの日本人の おえらいさんが高級車の後部座席にふんぞりかえっていた。
権力の中枢にでも 座っているつもりなのだろうか。
おまえの格好は、マンガの悪役みたいで、ほとんどギャグだよ。

野球をするのは選手。それを見るのは、民だ。そして民は、今不安と現実に苦しみ、何とか生きようともがいている。こんなときに、この男は、ぶくぶくと太った顔で 醜くしかも、わずかななにがしかの権力を振りかざして、威張っている。もちろん、ほかにもいるんだろう。こういうタイプの日本人は。

滝鼻に、消防庁で頑張ってきた男のつめの垢でも飲ませたい。

今は、どうやってみんながひとつになって、助け合うかという時期なのに。
















ひざまずく 欧米

2011-03-25 00:18:26 | 世界情勢
中東に十字軍が行くという莫大な経費は、中世の暗黒時代をヨーロッパにもたらした。
これは歴史学者が、さまざまな要因をほかに挙げるかもしれないが、おおよそ 間違ってはいないだろう。
実に1096年から始まり、その後 数百年にわたって続くのである。
見方によって言えば、今でも続いていると言っても いいかもしれない。

ヨーロッパは、なぜそんなことをするのか?

これは、私見である。
もちろん、学術的な裏づけもないし、もし、ヨーロッパ系の人間に聞かせると おそらく彼は激怒し否定するであろう。
しかし、それは、真実をついているからでもある。

ヨーロッパの思想は、借り物である。
借り物とは、独自で練り上げ、作り上げたものではなく、あくまで キリスト教を根本にして立ち上げた思想なのである。
キリスト教は、中東で生まれ、エルサレムで発展してきた宗教である。ロンドンでできたものでもなければ、ローマでできたものでもない。
その聖典の細かい描写は、何度も何度も読み込まれ 徹底的に分解されてさまざまに解釈され それが、法律、文化、宗教、政治、規律、生活、精神、建築、ライフスタイル、戦争、などなど、ありとあらゆるヨーロッパ ひいてはアメリカへと、影響を与えている。
西欧人はもちろん、そのことを熟知しているが、それゆえに 耐えられない屈辱感があるのだ。
それは コンプレックスといっていい。あるいは 嫉妬といっていい。ともかくエルサレムを、中東のものではなく、自分のものであるようにしなければ、自分たちの根本が、借り物であるということを実証してしまうことになる。そんな焦りがある。

日本で例えて言うなら、東京の人間が京都に対して持つ、コンプレックスをさらに強烈にしたようなものだといえるかもしれない。
京都の人は、東京都を (ひがしきょうと)と言って侮蔑する。
天皇陛下が、今 ひがしきょうと へ ご出張あそばされておられる。という意識で、自分たちこそ都びと であることを 一寸の疑いも持っていない。

それは、ユダヤ人にとってのエルサレム意識に近い。
そして、その感覚が多くのヨーロッパにキリスト教を信奉する者や、イスラムの人々を刺激し、摩擦を呼ぶ。
しかし、エルサレムがすべての精神の発祥の地である以上、人々はその不毛の土地に憧れを抱き、そして、奪還して自分のものにしようとする。

こんなこととは、全く無関係な国、日本。

地震があろうと、津波がこようと、われわれは、それでも幸せなのだ
せいぜい、京都と東京の違いぐらいで済んでいるのだから。