Sydney Yajima


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二種類の日本人

2011-03-27 20:24:54 | Weblog
遠洋航海から帰ってきた 高校生たちが、唖然として港をみて涙ぐんだ。
変わり果てたふるさとは、無残にも砕け散っていた。
彼らは、しかし父母が生きていたことを喜び、これから家族で助け合って、また、頑張ると誓う。
美しい

そう思った。

こういう家族愛を持った日本人がいる

東電のトップは、現場の作業員に情報を伝えなかった。
情報を知らない作業員は無茶をして被爆をした。
私のいつもいう、棄民がここでも平気で行われた。

作業員たちには妻もおり、子供もおり、そして、年取った家族もあり、あるいは 趣味もあり、口ずさむ歌もあり、私たちと同じ血の通った 日本人だ。
その人たちを、見捨てるようなことを東電のトップは行った。
そのトップの人間たちも、やはり同じ日本人である。

わざとではなかった
彼らは、そう言うだろう。
おそらく、混乱の中で情報がうまく伝わらなかった。遺憾である。謝罪します。
そう言うだろう。

だが 私は疑う。
本当に、わざとでは なかったのかどうかを。
そして、もし、わざと情報を教えなかったなら、なぜ、そんなことをしたのかについても考える。
おそらく、あの極限状態のなかで、現場の社員が怖くなって逃げ出すことを、恐れたからだろう。

正しい方法とは、どんな方法だったろう・・・
情報をオープンにし、現場の注意を最大限に上げて、そして、きちんと装備をさせた上での事故なら、まだ、それなら、マシだったろう・・・と思うのだ。

だが、彼らはそんなことを教えられず、また、東電の社員と子会社、孫会社の弱い立場の人間ということを、利用されて、そして現場に向かわされたのなら、それは、犯罪ではないか?パワーハラスメントは、なかったか。人間の基本的人権はそこで守られていたのか・・・

東電のトップだけではなく、日本にはもうひとつのタイプの人間がいることも忘れてはならない。
それは、我利我利亡者の、馬鹿どものことだ。


荷物は重く 道のりはとても遠い 戦い

2011-03-27 05:11:25 | Weblog
Earth Hourでたった一時間だけ、家族で電気を消し、ろうそくの炎だけで、過ごした。
会話だけで 時間を過ごした。
一時間って、こんなに長かったっけ・・・
そう思った。

怒られるかもしれない。

いつでも電気がつけられる空調の効いた快適な空間で、たった一時間だけ電気を使わなかったというだけで、ふざけたことを言うなと。
そのとおりだと思う。
だが、本当に一時間は、短い時間ではないと感じた。

東電は、これから多くの人々を巻き込んで、重い荷物を背負い 遠いみちのりを 歩かなければならない。
出口は、多くの犠牲者を出した後で、やってくるかもしれないが、あと何十年もかかり、そして犠牲者は、因果関係はないといわれながら、理不尽な戦いを強いられ、病を得て苦しむことになる。
直接、間接でいえば、直接放射能の影響を受けたと認定された犠牲者のほうが、まだ、楽かもしれない。
だが、間接的に犠牲になり、因果関係がはっきりしない犠牲者は、すべて自己責任になってしまい、何十年もたったころには、人々の記憶から消えてしまう。

人間は利己主義な生き物である。

自分さえ良ければそれでいい。いつでも、そうなのだ。

たとえば人助けをする。
それは、やはり半ばは自分自身のためだ。
それは、それでいい。
半分でも人のために何かをすると考えることの出来る人は とても立派な人だ。

だが、終局的に言い切るならば、やはり 利己主義な生き物だろう。

だから、東電に文句を言うのは、自分の停電の問題の比重のほうが、原子力発電所の地域の避難して苦しんでいる人への同情よりも 重いはずだ。
自分の生活さえ、守られればそれでいい。
そんなふうに、考えているはずだ。
だから、いろんなことがなおざりにされてきた。

東電の社員だって、自分の生活さえよければそれでいいと思っていたから、危険性を知っていても何もしてこなかった。
国や自治体だって、それぞれの関係者たちが、自分の生活さえよければそれでいいと思っていたから、防波堤を高くしたり、安全確保というすぐには利益のでないことに金を使うよりも、東北新幹線に金を使い、全線開通に莫大な金をかけてきた。
東京の人間だって、今は停電に文句を言ったり、原子力発電所が危険だと文句を言ったり、様々な不満をもっていて、文句を言うが、今まで電気をたくさん使ってきた 張本人は誰なのかということは、反省しない。
そう、自分の事は棚に上げて、人のせいにする。
人間は、そんなものなのだ。

もし それを認めたくはないのなら、それはそれで、よろしい。
だが、そんなことでは、また何度でももっとひどい災害に見舞われるであろうことは、この馬鹿な私にでも予知できる。

おごり

が、あったのではないか?
と反省もしないで、文句を言い続け、そうして今までやってきた。
その結果、こんな感じ。

電気をガンガンつけて、良い生活を続けてきて、今まで、ちっとも不安を知らなかったのか、知っていても気がつかないふりをしていたのか、いずれにせよ、こんな形で、目の前にむごたらしい現実をつきつけられているわけだ。
今まで、そうしてきたから、その現実を受け止めて、反省し、今後のために何を変えれば良いのか、自分の生活をどうしていけばいいのか、を考えず、ただ、文句を言い続けていれば、また、もっともっとひどいことが起こる。

文句を言う

と言う言葉を使ってみたが、これでは恐らく分かりづらいかもしれない。

文句を言うとき、人は、エネルギーを使って、誰かを攻撃する。
攻撃に使ったエネルギーは、昇華されず、そこで溜まる。
溜まったエネルギーは 多分に悪の気を含んでいるので、違った形に化学変化を起こし、別の犯罪を引き起こしたり、自然災害になったりもする。
つまり、文句を言うということは、呪いなのだ。

どんな良い生活をしていたとしても、多くの貴方の身の回りの人も、そしてあなた自身も、、ほとんど習慣の様に、不満をぶちまけ、文句を言い続けて毎日生きてきた。
違うか?
そのエネルギーの集大成が、どんな方向へ進んだか・・・

分かりやすく言う。
野球を、夜行うと多くの人が観戦するから、儲かる。
最初の動機。それは 儲かるということ。
そして、もっとナイター設備を作れと トップが指示する。
これが、大変な作業。
トップは なんで出来ないのか?と文句を言う。つまりここで 最初の呪いがかけられる。
呪いには大きな力がある。トップに立てる人間というのは、生まれながら多くの気を持っているから、当然 呪いの力も大きい。
そうして、ナイター設備ができる。
電気が煌々と灯る。
しかし雨が降る。
全天候型にしろ
トップが怒鳴る。
これが 第二の文句。つまり呪いだ。
そして ドーム球場が出来る。
客の入りが少ない
文句を言う
テレビの視聴率が上がらない
文句を言う
球状のまわりの商店街、レストラン、それぞれの人が客の入りが少ないと文句を言う。
アルバイトの青年が時給が安いと文句を言う。
野球選手が 球団に文句を言う
球団が 選手に文句を言う。
客が、選手に文句を言い、相手選手をなじる。
永遠に続く連鎖。
そのため、今度はそのひとつひとつの文句を封じ込めるために、知恵を使う。
知恵とは、原子力発電所に具象化される。
多くの電気でより文句を減らそうとするのだ。
夏になると暑い。
冬になると寒い。
快適に異動したいから、車のいいのがほしい。
呪いがあちこちに掛けられて、都内はそういう悪の気で満ち満ちている。

その結果が こんな感じ。