読者の方からのコメントを頂いた。
読ませていただき、なりほど・・・と胸に落ちるところがあったので、紹介させていただきたい。
まずは、その読者の方に お礼を申し上げます。
ありがとうございました。
さて、それは かつて原発で働いていた一級建築士の平井さんという人で、この人は、ガンで1997年に亡くなったが この日の来ることを淡々と予言されている。
長文になるが、是非読んで欲しい。
政府や、国は、これも、風評だと言うかも知れないが、私にはそうは思えない。
私は文章を読むことが好きで、ある程度読めば、それが本物か、偽者か 解る自信がある。文章には癖があり、そのなかから、魂が読み取れるからだ。そして、その目から見て、この人の書いていることは、真実だと思った。
まず 始めに
日本人は騙されている。
ということだ。
それは、うわべだけの繁栄であったり、明るい照明であったり、暑い夏によく効いているエアコンであったり、夜中に大音量で鳴る音楽とそれに集まる若者であったり、それが、かっこいいと思う気持ちや、都会に憧れるすべての図式が、順番にひとりずつの平衡感覚を狂わしていき、気がつくと、「金儲け」のことと、「人を出し抜く」ことと、そして、長い者にまかれる処世術というもので、目先のことばかりを考えて、実に、馬鹿げたことだが、自分自身や 子供たちを殺していくことに、気がついていなかったか、気がついていても、知らないふりをしてきたか、あるいは 今現在も その「ふり」を続けているかのどれかなのである。
以前、私が書きかけて、やめたことがあった。
私が日本に住んでいるとき、誰かが私をコントロールしようとしていると感じたから、外国に出てこの目に見えない奴らからの鎖を断ち切ってやろうと思ったということである。
目に見えない 誰か。
日本人なら、大抵は、そんな感じを、心のどこかに持っているはずだ。
多くの人は、それは「アメリカじゃねえの」と言う。
そうかもしれない。
陰謀論の好きな人は、「フリーメーソンの仕業だ」と言う。
そうなのかもしれない。
それらは、間接的に、様々な効果を持って、あるいは影響力をもって、なんらかの自分たちの利益につながることを、日本に仕掛けている・・・のかもしれない。
だが、断じて言いたいことがある。
日本をコントロールできる人間は、日本人でしかないということだ。
なぜそんなことを言い切れるか?
と疑問に思うかもしれないが、実際に生きてみて、あなたは 日本で何人の外国人に出会い、そしてそのうちの何人と話をし、そしてそのなかの何人から、なんらかの示唆を受けましたか?と聞いてみたい。
そして、何人の日本人と出会い、そのうちの何人と話しをし、そしてそのなかの何人からなんらかの示唆を受けましたか?と、改めて聞いてみたい。
その応えは、明白だ。
あなたが日本に住む日本人である限り、あなたにもっとも影響を与えたのは、
1家族
2テレビ
3友人 同僚
4上司 先輩
5親戚
のうちのどれかでそのほとんどすべてが日本人だったはずだからだ。
日本をコントロールしているのは、日本にいる支配者たちで、その支配者たちは、この原子力発電所を常に推し進めてきた人間たちだ。政治の世界も知り尽くし、彼らが、首相をどうするか、アメリカとの折衝をどうするか、中国の発展規模をどの程度まで許すかなどと 糸を引き、コントロールしてきた、大勢力がいるはずだ。
私には、見えるんだ。
その大勢力 仮に、M集団としよう・・・は、常に様々なことをあなたたちに仕掛けてきている。
例を挙げよう・・・
それは、ジュリアナ東京のような破廉恥なナイトクラブが、およそ日本と言う伝統的な国にはふさわしくない 恥を重んずる国で、始まったこと。
あるいは、アダルトビデオのような、本当に多くの人にセックスを見ず知らずの人と行い、まったく何の恥じらいもわだかまりもないのかおおいに疑問だが、不特定多数の人に見られることを、選んでいる人がなんと、何万という膨大な数でいること。
それを、「需要と供給があうからビジネスとして成り立つんだ」などという、まるで人間のありかたなどを全く無視した議論が 平然とまかり通っていたりすること。
あるいは、高層ビルを建ててそこに住むことが、都会的なあり方だと、数十階の上に住んでみたり(言っておくがそんな高層ビルにはゴキブリでさえ、生きていけないのである)あるいは、離婚率もどんどんと増え、子供の遊び場もなくなり、その子供の遊ぶ内容も、テレビゲームか、コンピューターゲームに変わり、肥満と糖尿病が10代の若者の深刻な問題となっている・・・
こういうことは、結果が解りきっていることなのに、どんどんと、人はそういう方向へ流されていった。
これらの結果が予期できないほど複雑なことではないものばかりだ。
ジュリアナ東京は、結局 ドラッグを広げたし、警視庁が取締りをしたが、その後も形と名前を変えておなじようなものができた。
アダルトビデオは、たった一人の幸せな女性を生むこともなく、多くの自殺者を出し、あるいは、様々な社会問題をひきおこし、結局 愛とか LOVEとかいうものは何なのか などという単純でとても奥の深いことを、面倒くさいとか重たいなどと言う人が出てくるようにまでなってしまった。
本当に、すぐに結果が予期できるような・・・(それもかなり悲惨で悪い結果が)ことを、あまり深く考えもしないで、やってしまうのは、何が正しいことで、何が間違っていることなのかという、神から与えられて自然に備わっている人間の感覚を、麻痺させてしまっているからだ。
私が警笛を鳴らしても、多分、それは、冷笑 (シニシズム)の対象となることはあっても、絶対になくならないのだろう。
ただ、言えることがある。
それは・・・
それらの延長上に、今回の原子力発電所の事故があり、そして放射能汚染の深刻さと国の隠蔽体質があり、それらは すべて、そのM集団にとって、利益であり不利益であるというどちらかの定規でのみ、決定されて、多くの日本人たちは、知らず知らずのうちに洗脳され、イージーなほうへ流れてしまったのである。
ドラッグの問題も、また、自殺者の多い問題も、みんな、同じ系列で、気がつかないうちか、気がついていても知らない振りをしていたのかは、わからなかったとしても、日本人であるあなたがたは、少しずつ 少しずつ 狂ってきていたのである。
それは、少しずつなので、気がつかなかっただけで、今から30年前の日本人と、今のあなたがたを比べることができたなら、その狂いは、まったく 別人種といっていいほど 違うものになってしまったんだ。
いつの間にか、多くの日本人は、髪を染めることが当たり前になり、いつの間にか、多くの価値観を どんどんと捨ててしまった。
この いつの間にか、とか、なんとなく ということが本当はとても怖いことなんだ。けど、そんなことさえ、気がつかなかったんだろう・・・
それほど、巧妙に、あなたがたは洗脳され 操られ 違和感もないままに、毎日をおもしろおかしく、今さえよければいいという刹那的な生き方で、過ごしてきた。
昔は、よかった
などと言うつもりは無い。
もちろん、今のほうが、昔よりもよくなった部分も、たくさんあることを私は知っている。
例えば、目に見える東京湾の汚染は 少なくなった。
30-40年前の高度成長の途中の東京は、とても汚れていた。
だけれど、人はもっと温かく、それに夢もあったし、家族の絆も そして「ありがとう」もあった。
でも、あれまでも、あれからも、少しずつ日本は 良くも悪しくも 変化していき、そして、今 こうなった。
原子力発電所に話を戻そう。
原子力発電所がなければ、どうなるか?
今、停電を何度も経験しているだろう?
あれによって、人は暑い夏がくるとどう思うか?
「ああ、暑い・原子力でもなんでもいいから、電気を作ってくれ」
そう 思うだろう。
夏は暑いもんだ。暑いから夏なんだ。
と正論を言っても 人は聞かない。
正論よりも エアコン・・・なのである。
町の景気が悪くなると、中小企業が困る。
なんていうやつがいたら、ちょっと待てよといいたい。
どんな時代でも、いつのときでも、中小企業が困らなかったことが一度でもあったか?
と。
いつの時代でも 孫受け 下請けは、ずっと大企業にいじめられてきて、アップ アップしながら経営している。
電気がなくなると製造は困る。そりゃあ、そうだが、電気があったときも、いろんなことで困っていたじゃないか。
ずっと、資金繰りの苦しいことをしていたはずだ。
それが 中国の進出のせいだというかもしれないが、中国の中小企業だって アップ アップしている。
それは、誰であっても変わらない。
資本主義というのは、そういうもんなんだ。
中国が共産主義だなんて、私は一度も思ったことも無い。あそこには、共産党という「名前」の党がいる立派な資本主義の国家だ。
中小企業は いつだって 理由が変わるだけで 苦しい経営をしているんだ。
ラット レース だ。
だが、日本をコントロールしているM集団は、それをみながら、笑っているだろう。
彼らは、さまざまな人間を動かして、思うように出来る。
彼らの人脈には やくざ、政治家、芸能人、など影響力のある人間をたくさん持ち、そしてマスコミを支配。
ありとあらゆることを 行える。
とすれば、今回の放射能の数値が 急に表に出てこなくなったことも、合点がいく。
日本には知りえない情報が世界にはあふれている。
私は、憤りを持って、この見えない勢力 M集団に言いたい。
「あなたたちは、いつまでも、無事でいられると 思っていますか?」
と。
そう、彼らの首筋にはすでに、氷の刃が迫っていることを、彼ら自身 知らないでいるのである。
そして、最後に言うけれど、M集団は、あなた自身が 知らず知らずのうちに その構成員となって協力していた、ということだ。