遠き浜・寄せては返す、白波は・・・・・・・・・過ぎしひ我れを・海へ帰さん・・・・・・・・・
陸前高田市、高田松原の浜辺にて・・・・・・・
4月10日午後2時寒河江出発~4月14日午後7時半帰宅
4泊5日・・・・・・・・走行距離1050km
一人旅出発。5日目の昼、妻より突然の「帰れ・・・・」コール、あえなく帰宅・・・・・・・・
夢から覚める。
この5日間、私は海原の向こうに映った蜃気楼を見ていただけだった・・・・あれはみな夢だ
ったか・・・・?
帰った我が家、早速現実生活が待っていた・・・・・・・・・・せめてもう1日あったなら・・・・・・。
出発時山形は細かい雨が降っていた。仙台の街はそれより少し雨脚が強かった。
この後、仙台で少し用を済ませ、1日目の宿泊地、道の駅「上品の郷」にて車中泊。
翌4月10日朝5時起床、隣のコンビニで弁当を買い朝食。
一旦、石巻市万石浦に戻る。
この浦の浜辺に、私が10年前に設計し、完成した、某会社のゲストハウスがある。
今回の目的のひとつに、この建物のその後をぜひ見ようと思って来た。
建物が完成し、大勢の招待客が集まり、華やかに落成式が催されたのは、丁度今頃の花見の
時であった。
10年前の晴れやかな舞台を思い出しては、しばし感傷に浸たらずにはおれなかった。
私の若き50歳の魂の分身はここで一人海を見続けていたのか・・・・・・・・・・・。
10時過ぎ、女川町に向かう。
女川港が見えて来る。
暫くぶりに活気ある漁港の光景に触れ、港の岸壁に立ち尽くす。
私は、港の潮の香りが大好きだ。そして大小の漁船が係留されているこうした漁港の光景がな
んとなく自分の心の奥にある原風景と一致しているような気がしてならない。
マリンパルで魚介類や海産物市場を見て廻る。山形に比べると、何もかも新鮮に見え、珍しい
ものばかりだった。
女川町を後にして気仙沼に向かう。
途中、雄勝町漁港に寄る。
ウミネコは私が近づいても、決して逃げようとはしない。
この浜に、江戸時代広東船が漂流してきて、当時日本が鎖国状態であったため、伊達藩は江
戸まで早馬を出して指示を仰いだとあった。
大河「北上川」の架橋、新北上大橋を渡る。
河口間近の北上川はさすがに緩やかな流れで、大きい。
大河の流れを眼前にし、自分の気持ちの小ささが身にしみるようだった。
これでも川である。
北上川河口の、大河と太平洋の出合いの場である。
ゴーゴーと海鳴りがとにかくすごかった。風もここだけは浪をさらうほど強そうだった。
志津川町を通過。
いよいよ、今日の宿泊地気仙沼市に。
時間も遅くなり、すぐに夕闇に包まれてしまった。
気仙沼市は、今回是非訪れてみたい所のひとつであった。
気仙沼市は宮城県でありながら、最北にあるため、なかなか手軽には来れない。
もしかして、私が気仙沼をこうして訪れたのは初めてかもしれないと思った。
なぜか、異国情緒が感じられた。街並みが海から直ぐに急な斜面の山に向かっていく光景は
、かって見た香港と同じだと思った。
夕闇が深まるにつれ、港の海面に映る街灯りの光景は、内陸の山形に住む私にとって、いつ
までもここにとどまり、鮮明な記憶として、残しておきたい光景であった。
翌朝、5時起きして魚市場を見に行ったが、市場はがらんとして、何もなかった。
暫く街中を車で廻っていたら、偶然安波山展望台へとの標識を見つけ、展望台に向かった。
気仙沼湾、市街地が一望できた。
ふと、人々の様々な生活がこの街で、どんな風に繰り返されているのだろうかと思った。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
続きはまた明日