ミュー ・ 百花春至為誰開

月山・葉山・野菜つくり・短歌・スケッチ

初夏の朝日連峰 & 果樹園 ※寒河江市・柴橋

陸中海岸一人旅・・・・・・・3/3

2008-04-17 | Weblog


朝5時半、道の駅「さんりく」出発、間もなく釜石市到着。

新日鉄が釜石市から撤退してもう10年近くになるだろうか・・・・・?、いやそれ以上かも・・・。

やはり街全体に活気が見られないような気がした。



街中を一通り廻ってみて、気がついたことだが、極端な表現をすれば、釜石の街は海から山に

向かうメイン道路1本があり、その道路沿いにどこまでも長く街並みが続いていた。しかし

これといってにぎやかな繁華街などはなさそうであった。
 


釜石港、停泊船はほとんど見られない。



釜石市を後にして、再び陸中海岸を北上、寄せ波ばかりで、返し波がないという珍しい浪板海

岸に立ち寄る。

確かに波は引いていくが、そこに引き波が生じない珍しい波であった。天気がよかったことも

あり、暫くの時間、不思議な浪に見入ってしまった。



四十八坂展望台に寄る。ここは大変眺めのいい所だった。



記念にパシッと・・・・



次に、宮古市に入る。

宮古港は木材関係の資材が目立った。港の中にある「シートピアなあど」を見学。



宮古市は結構活気が見られた。駅前、駅、そして少し市内を廻ってきた。





宮古駅待合室。中央駅にしては少し物足りなさを感じた。



「なあど」で食べた五目御飯と今が旬の花牡蠣セット、これで1300円・・・・?地方に来ると

どうしても食堂の値段が高そうな気がしてならない。寒河江市に洋風レストラン「クイジニ

エ」という所がある。ここではランチセット1250円でボリューム、味、センス、建物、インテ

リア、シェフ、すべて満足、かえって客のほうが値段に恐縮してくるほどである。



宮古港から浄土ヶ浜に向かった。

天気がよくて湾内を巡る観光船に乗った。





観光船の発着場から数十羽のカモメがずーと船の廻りをついて来て、観光客の持ってる餌をも

らう。走ってる船から投げられた食パンを、口ばしで見事にダイレクトキャッチ、最初から最

後までニャー、ニャー、ギャーギーとうるさい位だった。





デッキにいた70歳くらいのおばさんからシャッターを押してもらった。



観光船から降りて、いよいよ浄土ヶ浜に、7,8年前に来たのだが、少しも変わってはいなかっ

た。波もなく海面は穏やか過ぎるほどで、石灰岩の白い岩肌に這うように生えている松の緑、

そして海の蒼、まさにこの世の世界ではなく、浄土の世界であった。





それから更に北上、途中も、見事な景色の海岸線が続いた。





浄土ヶ浜を離れ、田老町、田野畑村を過ぎ、宿泊予定地の「のだ」に向かう。

夕方5時過ぎ、「のだ」到着。野田村という小さな村だった。私と一緒に泊った車は他に1台

しかなかった。





道の駅とはいえ、もちろんレストランなどはなかった。早速夕飯の調達に街に出かけたが、食

堂、居酒屋、スナック、など一切なかった。仕方なく、道の駅にあった産直から手作り五目寿

司、向かいの鮮魚センターから貝、ヒラメの刺身を買ってきて、夕飯を食べた。



その夜、家に電話をした。

そろそろ帰って来てもいい頃では・・・・と妻にやんわりと言われた。その言葉に、じわり

じわりと現実の世界に引き戻されそうな、いや~な予感がしないでもなかった。

明日、もう1日泊って帰る予定・・・・・とそう返事をしておいたが、その時はまだ何時帰る

と、決めていた訳ではなかった。

私の頭の中ではこのまま久慈市から更に北を目指すべきか、それとも今回はこの位が潮時か、

どちらを選択すべきか迷っていた。

八戸を経て青森まで行けば最低でもあと2泊はかかるだろう・・・難しい判断を迫られた。



翌朝、車の屋根を激しくたたく雨音で目を覚ます。

この雨で、このまま更に北上することは止めにした。

ここまで600kmの走行距離だった。帰り、途中の盛岡で1泊し帰ろうと決め、「のだ」を

出発。



昼ごろ、盛岡市に到着。

その前に、とうとう、今日中に絶対帰ってくるようにとの妻から「帰れ・・・・」コールがあ

った。

昨夜、親父の体の具合が悪くなり、救急車を呼ぶ呼ばないのひと騒動を起こしたとのこと。結

局は救急車は利用せず、夜間急病で診てもらったらしいが・・・・・。

これも一家の主がいないせい・・・・?のような言い方だった。

何時まで家を空けている・・・・・と、妻のきつ~いお叱りを受けてしまった。

それ位大丈夫、・・・とも言っておられず、結局、ここで私の夢もあえなく覚める・・・・・。



盛岡市内を1時間ほど廻ってみた。市内の中心をまだ普通の大きさの北上川が流れ、トラス

橋が架かった風情のある街だった。

「やわらかに柳あおめる北上の岸辺目にみゆ泣けとごとくに・・・・・・・・」

                                     石川啄木



岩手ならではの広さを感じさせるような牧場が、所々に見られた。



午後7時半無事我が家到着。

そして昨日午後、今度は又親父が顔から血を流して毛布を被って寝ていると、妻が騒いだ。

どこかで転んで、顔に怪我をしたようだった。加えて額あたりの頭が痛いと・・・。

早速市立病院へ電話、頭を打っている様子から市立病院では無理との返事だった。仕方なく

設備の整っている隣町の県立病院へ・・・・・。顔、頭、足、に擦り傷が、CT,レントゲン

検査結果は、脳、骨に特に以上はなし。

3日分の飲み薬と、金曜日、改めて具合を診る予約をして帰宅。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

一昨昨日、昨日と続いての一騒動でした。

遅かれ早かれ、今の私の立場では、一人だけそう長く心地良い夢を見続けることはまだまだ

時期尚早らしい。

それにしても、やっともらえた自分へのご褒美・・・・・・・・・・

僅か5日間の1人旅・・・。陸中海岸1人旅、38年間、これまでのサラリーマン生活で蓄積し

たストレスから少しは癒されたような気がする。

昭和23年生まれ、まさに「団塊の世代」の魁世代・・・・・・・・・・・

小、中学校は、1学年12クラス、私たちの学年は、教室の端から端まであまりに長く、小学生

ながらも、人数の多さに戸惑いを感じていた気がする・・・・・。

高校受験、大学進学、就職、そしてこれまでのサラリーマン生活・・・・・・・

結婚、家庭、子供の教育、そしてまた子供の結婚・・・・・と世代や時代は違っても誰もが同

じ道の繰り返し・・・・・・ではないのだろうか・・・・・・・と、ふと思った・・・・?

再び夢見る機会を楽しみに・・・・もう少し心の休養をしてみたい・・・・・・・・・・・・・・・・・終わり

陸中海岸一人旅・・・・・・・2/3

2008-04-17 | Weblog


気仙沼市から約1時間、陸前高田市に到着。

道の駅東側に、日本の松原100名選の「高田松原」が拡がっていた。

明治時代に植林されたアカマツ、クロマツの松原が緩やかに湾曲した浜辺に沿っておよそ2k

mに渡って続く、見事な松林であった。



砂浜と松原のあまりのきれいさに、およそ1km一人浜辺を歩いた。

まだ肌寒い海の香りを含んだ潮風を、体いっぱい浴びて楽しんだ。



街外れに昔の蔵屋敷と、古い街並みがあるとの事で早速行ってみた。

写真のような蔵屋敷、そして、古い街並みが確かにあった。

しかし、蔵屋敷や街並みも、この写真に映っている建物のみであった。

そうして考えてみると、写真とは本当に恐ろしいものだとつくづく思った。



暫く行くと街中を流れる川に、水色に塗られたトラス橋が見えてきた。

一昨年、構造計算の偽装事件で話題になった、姉歯一級建築士と同じ名前の「姉歯橋」と書い

てあった。姉歯建築士も陸前高田市出身で、この街では姉歯という名前はそう珍しい名前では

ないらしい。



こんな素晴らしい故郷に生まれ、そして育まれた者が、何故あれ程の身勝手な事をし、社会に

対し大変な迷惑を掛けてしまったのだろうか・・・・・・・・・?。

そのことで一番悲しんでいるのは、他でもないこうした故郷の野山や川、そして海なのかもし

れないと思った。





更に北上、大船渡市に向かう。

途中、碁石海岸の案内板を見たが、以前、一度行ったことがあり、今回はパスしようと、その

まま通過。



間もなく大船渡に入ろうとした時、「ゆ」という看板が目に飛び込んできた。

写真は展望風呂から見た大船渡湾。



もう2日も風呂に入っていない。

早速車を止め、日帰り風呂に。デジカメの電池切れが間近となり、体と電池、両方充電のた

め、昼間はここでゆっくり風呂に入り休養することに決める。

休憩室で横になっていると、34,5才位の男性から、どちらからですかと聞かれた。そし

てこれからどちらへと聞かれた。

私には何処といって特に行くあてなどなかった。

その辺の事情を話すと、男性は少し理解しかねるふうでもあった。

私はここから大船渡への時間や、どこか見所がないかその男性に尋ねた。

ここからであれば是非碁石海岸がいいと勧めてくれた。15分位で行けるとの事だった。

今回はパスのつもりだったが、やはり勧められると急に行きたくなってしまい、4時ホテル

を出発。



これは碁石海岸までの途中にあった小さな漁港。





丁度15分掛かって碁石海岸到着。時間が遅かったせいか土曜日にも拘わらずほとんど観光

客はいなかった。



切立った断崖、砕ける散る浪音、そして、地球の丸さが実感できるような、なんとなく弧を

描いて横に伸びる水平線、岩場に生える松、あの青年の言う通り、やはり来てよかったと思

った。





 

碁石海岸を出る頃は、5時を過ぎてしまい、そろそろ今晩の泊りの心配をし始めじめるよう

になっていた。

大船渡港を見て、市街地通過、今夜の宿泊予定地、道の駅「さんりく」に向かう。





夜7時までなら食堂が開いているはずだった。

しかし、そこからひとつのトラブルが待ち構えていようとは、その時私はまだ知る由もなか

った。

街を外れて道の駅「さんりく」までは峠越えの道路だった。

5分、いや10分、なんとなく異様な雰囲気がしてきた。

道は曲がりくねり、だんだん山深くに進んでいく。よく考えると、さっきから対向車がぜん

ぜん来ない。後続車もない。

道を間違えてしまった。でも夕飯の時間をを考えると、今更後戻りなど出来ない。

仕方なく更に山道を進む。およそ10分、道の下に、更に車の走っている道路が見えた。

その時私は、ほっと一息ついた。

三陸縦断道路は、一部開通し無料供用している、その為みな、無料の高速道路を利用してい

たのだった。

私は運悪く、その分岐点を見逃がしてしまったらしい。

6時半前、日もすっかり落ちた山深い場所にある、道の駅「さんりく」に無事到着。



ホタテと海草がいっぱい入った「特製磯ラーメン」がその日の夕食だった。

いつも、車での一人旅にはこうした予期せぬトラブルが待っている。

しかし、車は何処に行こうが自由だ。そして時間の制約もない。こうしたトラブルを乗り越

えやっと本当の一人旅といえそうな気がする。

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                           続きは今日の午後に