ミュー ・ 百花春至為誰開

月山・葉山・野菜つくり・短歌・スケッチ   初夏の朝日連峰&果樹園 (寒河江市)

「羽前高松駅・・・(Ⅱ)」スケッチ

2008-05-24 | Weblog


寒河江市の今日は田植えの真っ最中。

あと2~3日で、この辺りの田植えは終わるだろう。

2月ごろ冬景色の同じ駅を駅前から描いたが、今回は駅裏の田んぼの田植え前の風景。

左の大きな3本の樹は桜の樹で、満開の時、ホームで待つ人たちを毎年楽しませてくれる。


先日、寒河江市の郷土資料館で珍しい写真を見つけた。



昭和2年に寒河江公園の山の頂上にある広場に複葉飛行機が飛んできた時の写真。



現在は寒河江市の運動公園となっている。

約300m×200mぐらいの広さで1周400mのトラックが1面あるだけだ。

※ この頃、やたらと昔の話ばかり多いような気がする。

これも15年以上も前の話。

当時行きつけの焼き鳥屋があって仕事帰り、週に2回ほど通った。

いろんな世間話をしている中で、当時70歳位だった焼き鳥屋の主人の話によると、昔昭和の初め頃、長岡山に飛行機が飛んできた事があったという。

あの狭いところにどんなふうにして飛行機が離着陸し、又何んの為にという話になった。

理由は、飛行機見せの興行だった。そしてその興行主が、焼き鳥屋の主人の親父さんだった。

その時は半信半疑だった。

15年後の先日、偶然にもその写真を見つけた。

「昭和2年・・・」と書いてあったが、もちろん何のために飛んで来たかは書いていなかった。



当時の寒河江市の中心街の町の様子。

この写真を見て感じたことは、一般市民が初めて見た飛行機の驚きの様子より、むしろそれを見世物にして商売をしようとした、奇想天外な興行主の発想である。

この写真の中央に写っている着物姿の人物がおそらく興行主かと思われる。

そして回りを取り囲む者たちの笑顔・・・・。

昭和の初めの頃は、こんなおおらかな発想が通用した時代だったのだろう。

それにしても、なぜ飛行機が飛んで来たかを知っているのは、もしかして私だけかも知れない・・・。

この興行主に勝るとも劣らない、何か「おおらかな発想」を企てなければと毎日考えているのだが・・・・・・今日の空模様に似て、なぜかグレーで少し落ち込み気味な私・・・・・・・・・・・。