ミュー ・ 百花春至為誰開

月山・葉山・野菜つくり・短歌・スケッチ   初夏の朝日連峰&果樹園 (寒河江市)

SAKURA Ⅱ

2008-04-20 | Weblog


寒河江「桜の丘公園」、ここにはおよそ700本の桜の樹で埋め尽くされている。



久し振りに孫が遊びに来た。妻と3人で早速花見に出かけた。



昨日までと違って今日は青空が拡がり一日中花見びよりの天気だった。



隣町の大江町最上橋まで行って来た。ここも桜の花がきれいだった。





雪溶け水で川の水かさは、いつもよりかなり増していた。



今日は本当に久し振りのよい天気だった。

SAKURA

2008-04-19 | Weblog




神社の桜が満開になった。

しかし、ここ2,3日寒い日が続いて、とても花見の気分になれそうもない。

明日の天気予報、午後から晴れ・・・・、夜桜見物は明日のお楽しみに・・・・



我が家の2階から見える神社の桜。



夕方、少し小雨模様。ワンちゃんは寒くて冬のコートを着て散歩・・・・・

散歩の途中、遠くに見える寒河江公園の桜。山の西斜面全部が桜で埋め尽くされている。








陸中海岸一人旅・・・・・・・3/3

2008-04-17 | Weblog


朝5時半、道の駅「さんりく」出発、間もなく釜石市到着。

新日鉄が釜石市から撤退してもう10年近くになるだろうか・・・・・?、いやそれ以上かも・・・。

やはり街全体に活気が見られないような気がした。



街中を一通り廻ってみて、気がついたことだが、極端な表現をすれば、釜石の街は海から山に

向かうメイン道路1本があり、その道路沿いにどこまでも長く街並みが続いていた。しかし

これといってにぎやかな繁華街などはなさそうであった。
 


釜石港、停泊船はほとんど見られない。



釜石市を後にして、再び陸中海岸を北上、寄せ波ばかりで、返し波がないという珍しい浪板海

岸に立ち寄る。

確かに波は引いていくが、そこに引き波が生じない珍しい波であった。天気がよかったことも

あり、暫くの時間、不思議な浪に見入ってしまった。



四十八坂展望台に寄る。ここは大変眺めのいい所だった。



記念にパシッと・・・・



次に、宮古市に入る。

宮古港は木材関係の資材が目立った。港の中にある「シートピアなあど」を見学。



宮古市は結構活気が見られた。駅前、駅、そして少し市内を廻ってきた。





宮古駅待合室。中央駅にしては少し物足りなさを感じた。



「なあど」で食べた五目御飯と今が旬の花牡蠣セット、これで1300円・・・・?地方に来ると

どうしても食堂の値段が高そうな気がしてならない。寒河江市に洋風レストラン「クイジニ

エ」という所がある。ここではランチセット1250円でボリューム、味、センス、建物、インテ

リア、シェフ、すべて満足、かえって客のほうが値段に恐縮してくるほどである。



宮古港から浄土ヶ浜に向かった。

天気がよくて湾内を巡る観光船に乗った。





観光船の発着場から数十羽のカモメがずーと船の廻りをついて来て、観光客の持ってる餌をも

らう。走ってる船から投げられた食パンを、口ばしで見事にダイレクトキャッチ、最初から最

後までニャー、ニャー、ギャーギーとうるさい位だった。





デッキにいた70歳くらいのおばさんからシャッターを押してもらった。



観光船から降りて、いよいよ浄土ヶ浜に、7,8年前に来たのだが、少しも変わってはいなかっ

た。波もなく海面は穏やか過ぎるほどで、石灰岩の白い岩肌に這うように生えている松の緑、

そして海の蒼、まさにこの世の世界ではなく、浄土の世界であった。





それから更に北上、途中も、見事な景色の海岸線が続いた。





浄土ヶ浜を離れ、田老町、田野畑村を過ぎ、宿泊予定地の「のだ」に向かう。

夕方5時過ぎ、「のだ」到着。野田村という小さな村だった。私と一緒に泊った車は他に1台

しかなかった。





道の駅とはいえ、もちろんレストランなどはなかった。早速夕飯の調達に街に出かけたが、食

堂、居酒屋、スナック、など一切なかった。仕方なく、道の駅にあった産直から手作り五目寿

司、向かいの鮮魚センターから貝、ヒラメの刺身を買ってきて、夕飯を食べた。



その夜、家に電話をした。

そろそろ帰って来てもいい頃では・・・・と妻にやんわりと言われた。その言葉に、じわり

じわりと現実の世界に引き戻されそうな、いや~な予感がしないでもなかった。

明日、もう1日泊って帰る予定・・・・・とそう返事をしておいたが、その時はまだ何時帰る

と、決めていた訳ではなかった。

私の頭の中ではこのまま久慈市から更に北を目指すべきか、それとも今回はこの位が潮時か、

どちらを選択すべきか迷っていた。

八戸を経て青森まで行けば最低でもあと2泊はかかるだろう・・・難しい判断を迫られた。



翌朝、車の屋根を激しくたたく雨音で目を覚ます。

この雨で、このまま更に北上することは止めにした。

ここまで600kmの走行距離だった。帰り、途中の盛岡で1泊し帰ろうと決め、「のだ」を

出発。



昼ごろ、盛岡市に到着。

その前に、とうとう、今日中に絶対帰ってくるようにとの妻から「帰れ・・・・」コールがあ

った。

昨夜、親父の体の具合が悪くなり、救急車を呼ぶ呼ばないのひと騒動を起こしたとのこと。結

局は救急車は利用せず、夜間急病で診てもらったらしいが・・・・・。

これも一家の主がいないせい・・・・?のような言い方だった。

何時まで家を空けている・・・・・と、妻のきつ~いお叱りを受けてしまった。

それ位大丈夫、・・・とも言っておられず、結局、ここで私の夢もあえなく覚める・・・・・。



盛岡市内を1時間ほど廻ってみた。市内の中心をまだ普通の大きさの北上川が流れ、トラス

橋が架かった風情のある街だった。

「やわらかに柳あおめる北上の岸辺目にみゆ泣けとごとくに・・・・・・・・」

                                     石川啄木



岩手ならではの広さを感じさせるような牧場が、所々に見られた。



午後7時半無事我が家到着。

そして昨日午後、今度は又親父が顔から血を流して毛布を被って寝ていると、妻が騒いだ。

どこかで転んで、顔に怪我をしたようだった。加えて額あたりの頭が痛いと・・・。

早速市立病院へ電話、頭を打っている様子から市立病院では無理との返事だった。仕方なく

設備の整っている隣町の県立病院へ・・・・・。顔、頭、足、に擦り傷が、CT,レントゲン

検査結果は、脳、骨に特に以上はなし。

3日分の飲み薬と、金曜日、改めて具合を診る予約をして帰宅。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

一昨昨日、昨日と続いての一騒動でした。

遅かれ早かれ、今の私の立場では、一人だけそう長く心地良い夢を見続けることはまだまだ

時期尚早らしい。

それにしても、やっともらえた自分へのご褒美・・・・・・・・・・

僅か5日間の1人旅・・・。陸中海岸1人旅、38年間、これまでのサラリーマン生活で蓄積し

たストレスから少しは癒されたような気がする。

昭和23年生まれ、まさに「団塊の世代」の魁世代・・・・・・・・・・・

小、中学校は、1学年12クラス、私たちの学年は、教室の端から端まであまりに長く、小学生

ながらも、人数の多さに戸惑いを感じていた気がする・・・・・。

高校受験、大学進学、就職、そしてこれまでのサラリーマン生活・・・・・・・

結婚、家庭、子供の教育、そしてまた子供の結婚・・・・・と世代や時代は違っても誰もが同

じ道の繰り返し・・・・・・ではないのだろうか・・・・・・・と、ふと思った・・・・?

再び夢見る機会を楽しみに・・・・もう少し心の休養をしてみたい・・・・・・・・・・・・・・・・・終わり

陸中海岸一人旅・・・・・・・2/3

2008-04-17 | Weblog


気仙沼市から約1時間、陸前高田市に到着。

道の駅東側に、日本の松原100名選の「高田松原」が拡がっていた。

明治時代に植林されたアカマツ、クロマツの松原が緩やかに湾曲した浜辺に沿っておよそ2k

mに渡って続く、見事な松林であった。



砂浜と松原のあまりのきれいさに、およそ1km一人浜辺を歩いた。

まだ肌寒い海の香りを含んだ潮風を、体いっぱい浴びて楽しんだ。



街外れに昔の蔵屋敷と、古い街並みがあるとの事で早速行ってみた。

写真のような蔵屋敷、そして、古い街並みが確かにあった。

しかし、蔵屋敷や街並みも、この写真に映っている建物のみであった。

そうして考えてみると、写真とは本当に恐ろしいものだとつくづく思った。



暫く行くと街中を流れる川に、水色に塗られたトラス橋が見えてきた。

一昨年、構造計算の偽装事件で話題になった、姉歯一級建築士と同じ名前の「姉歯橋」と書い

てあった。姉歯建築士も陸前高田市出身で、この街では姉歯という名前はそう珍しい名前では

ないらしい。



こんな素晴らしい故郷に生まれ、そして育まれた者が、何故あれ程の身勝手な事をし、社会に

対し大変な迷惑を掛けてしまったのだろうか・・・・・・・・・?。

そのことで一番悲しんでいるのは、他でもないこうした故郷の野山や川、そして海なのかもし

れないと思った。





更に北上、大船渡市に向かう。

途中、碁石海岸の案内板を見たが、以前、一度行ったことがあり、今回はパスしようと、その

まま通過。



間もなく大船渡に入ろうとした時、「ゆ」という看板が目に飛び込んできた。

写真は展望風呂から見た大船渡湾。



もう2日も風呂に入っていない。

早速車を止め、日帰り風呂に。デジカメの電池切れが間近となり、体と電池、両方充電のた

め、昼間はここでゆっくり風呂に入り休養することに決める。

休憩室で横になっていると、34,5才位の男性から、どちらからですかと聞かれた。そし

てこれからどちらへと聞かれた。

私には何処といって特に行くあてなどなかった。

その辺の事情を話すと、男性は少し理解しかねるふうでもあった。

私はここから大船渡への時間や、どこか見所がないかその男性に尋ねた。

ここからであれば是非碁石海岸がいいと勧めてくれた。15分位で行けるとの事だった。

今回はパスのつもりだったが、やはり勧められると急に行きたくなってしまい、4時ホテル

を出発。



これは碁石海岸までの途中にあった小さな漁港。





丁度15分掛かって碁石海岸到着。時間が遅かったせいか土曜日にも拘わらずほとんど観光

客はいなかった。



切立った断崖、砕ける散る浪音、そして、地球の丸さが実感できるような、なんとなく弧を

描いて横に伸びる水平線、岩場に生える松、あの青年の言う通り、やはり来てよかったと思

った。





 

碁石海岸を出る頃は、5時を過ぎてしまい、そろそろ今晩の泊りの心配をし始めじめるよう

になっていた。

大船渡港を見て、市街地通過、今夜の宿泊予定地、道の駅「さんりく」に向かう。





夜7時までなら食堂が開いているはずだった。

しかし、そこからひとつのトラブルが待ち構えていようとは、その時私はまだ知る由もなか

った。

街を外れて道の駅「さんりく」までは峠越えの道路だった。

5分、いや10分、なんとなく異様な雰囲気がしてきた。

道は曲がりくねり、だんだん山深くに進んでいく。よく考えると、さっきから対向車がぜん

ぜん来ない。後続車もない。

道を間違えてしまった。でも夕飯の時間をを考えると、今更後戻りなど出来ない。

仕方なく更に山道を進む。およそ10分、道の下に、更に車の走っている道路が見えた。

その時私は、ほっと一息ついた。

三陸縦断道路は、一部開通し無料供用している、その為みな、無料の高速道路を利用してい

たのだった。

私は運悪く、その分岐点を見逃がしてしまったらしい。

6時半前、日もすっかり落ちた山深い場所にある、道の駅「さんりく」に無事到着。



ホタテと海草がいっぱい入った「特製磯ラーメン」がその日の夕食だった。

いつも、車での一人旅にはこうした予期せぬトラブルが待っている。

しかし、車は何処に行こうが自由だ。そして時間の制約もない。こうしたトラブルを乗り越

えやっと本当の一人旅といえそうな気がする。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

                           続きは今日の午後に

陸中海岸一人旅・・・・・・・1/3

2008-04-16 | Weblog


遠き浜・寄せては返す、白波は・・・・・・・・・過ぎしひ我れを・海へ帰さん・・・・・・・・・

                         陸前高田市、高田松原の浜辺にて・・・・・・・


4月10日午後2時寒河江出発~4月14日午後7時半帰宅

4泊5日・・・・・・・・走行距離1050km

一人旅出発。5日目の昼、妻より突然の「帰れ・・・・」コール、あえなく帰宅・・・・・・・・

夢から覚める。

この5日間、私は海原の向こうに映った蜃気楼を見ていただけだった・・・・あれはみな夢だ

ったか・・・・?

帰った我が家、早速現実生活が待っていた・・・・・・・・・・せめてもう1日あったなら・・・・・・。





出発時山形は細かい雨が降っていた。仙台の街はそれより少し雨脚が強かった。

この後、仙台で少し用を済ませ、1日目の宿泊地、道の駅「上品の郷」にて車中泊。



翌4月10日朝5時起床、隣のコンビニで弁当を買い朝食。

一旦、石巻市万石浦に戻る。



この浦の浜辺に、私が10年前に設計し、完成した、某会社のゲストハウスがある。

今回の目的のひとつに、この建物のその後をぜひ見ようと思って来た。



建物が完成し、大勢の招待客が集まり、華やかに落成式が催されたのは、丁度今頃の花見の

時であった。

10年前の晴れやかな舞台を思い出しては、しばし感傷に浸たらずにはおれなかった。

私の若き50歳の魂の分身はここで一人海を見続けていたのか・・・・・・・・・・・。





10時過ぎ、女川町に向かう。



女川港が見えて来る。



暫くぶりに活気ある漁港の光景に触れ、港の岸壁に立ち尽くす。

私は、港の潮の香りが大好きだ。そして大小の漁船が係留されているこうした漁港の光景がな

んとなく自分の心の奥にある原風景と一致しているような気がしてならない。



マリンパルで魚介類や海産物市場を見て廻る。山形に比べると、何もかも新鮮に見え、珍しい

ものばかりだった。





女川町を後にして気仙沼に向かう。

途中、雄勝町漁港に寄る。



ウミネコは私が近づいても、決して逃げようとはしない。



この浜に、江戸時代広東船が漂流してきて、当時日本が鎖国状態であったため、伊達藩は江

戸まで早馬を出して指示を仰いだとあった。



大河「北上川」の架橋、新北上大橋を渡る。

河口間近の北上川はさすがに緩やかな流れで、大きい。

大河の流れを眼前にし、自分の気持ちの小ささが身にしみるようだった。



これでも川である。



北上川河口の、大河と太平洋の出合いの場である。

ゴーゴーと海鳴りがとにかくすごかった。風もここだけは浪をさらうほど強そうだった。



志津川町を通過。





いよいよ、今日の宿泊地気仙沼市に。

時間も遅くなり、すぐに夕闇に包まれてしまった。



気仙沼市は、今回是非訪れてみたい所のひとつであった。

気仙沼市は宮城県でありながら、最北にあるため、なかなか手軽には来れない。

もしかして、私が気仙沼をこうして訪れたのは初めてかもしれないと思った。



なぜか、異国情緒が感じられた。街並みが海から直ぐに急な斜面の山に向かっていく光景は

、かって見た香港と同じだと思った。

夕闇が深まるにつれ、港の海面に映る街灯りの光景は、内陸の山形に住む私にとって、いつ

までもここにとどまり、鮮明な記憶として、残しておきたい光景であった。 







翌朝、5時起きして魚市場を見に行ったが、市場はがらんとして、何もなかった。

暫く街中を車で廻っていたら、偶然安波山展望台へとの標識を見つけ、展望台に向かった。



気仙沼湾、市街地が一望できた。

ふと、人々の様々な生活がこの街で、どんな風に繰り返されているのだろうかと思った。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

                                   続きはまた明日

耳鼻科

2008-04-10 | Weblog
昨日、耳鼻科に行って来た。

もう7,8年前からアレルギー性鼻炎の為、1年を通して耳鼻科に通っている。

あまり症状がよくならないので、今年、病院を変えてみた。

はじめの2週間ぐらい、かなり症状が改善されたような気がした。

もしかしたらこのまま全快するのでは・・・・・と、淡い期待を抱いた。

1ヵ月後、痛みはなくなったが、その後は相変わらず良くも、悪くもならず・・。

今貰っている薬は、患部に塗る5グラム入りチューブ軟膏1本。

昨日その軟膏が残り少なくなり、薬をもらいに耳鼻科に行った。

その病院は、何故か耳鼻科にしてはいつも空いている。

耳鼻科といえば5~10人位順番待ちが普通だが、ここはせいぜい2,3人待ち。

「どうですか・・・・・・・?」

「ここ2,3日前から少し痛みがあるのですが・・・・・」

「あー、そうですか・・・・・・」

2回違った器具で鼻の中をシユッ、シユッと、そして最後に軟膏を塗付

患部を見ることはしない、治療はこれでおしまい。

そして、「いつもの軟膏を出しておきます・・・・・・」

以前、

「この病気は治りますか・・・・・?」

と聞いたことがあった。

「体質でしょう・・・・・」

としか答えてくれなっかった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

アレルギー性鼻炎は体質からきていると私もそう思う。

だったら、単に鼻水とか、腫れとかに塗る薬で治療しただけではいつまでたっても

治らないような気がする。

医者も体質から来ているとそう言っていた。

だったら、例えば薬による体質改善とか、住宅掃除(ダニ・・)の指導と

か・・・・・そこら辺からじっくり時間を掛けて治して欲しいのに。


この病院、いつも順番待ちの患者が少ない。

その理由がなんとなく納得できるような気がした。


医者ばかりを責めてはいられない。

私もアレルギー体質であることを知りながら、家の中で犬と一緒の生活をしている



そう考えると、人は皆、理不尽に生きているのかも知れないと思った。

寒河江工業団地スケッチ

2008-04-09 | Weblog


我が家の西側一帯は工業団地になっている。

15,6年前に田畑だった所を造成して工業団地にした。

一昨日団地の中を散歩していて、鋳物工場の建物の前を通った。

昔の工場の建物は、よく見ると力強く、無駄が省かれていて、ふと美しさを感じ

た。

そんな訳で、今日は鋳物工場のスケッチをしに行った筈だったのだが、・・・・・

期待が強すぎたせいか、なかなかスケール感がつかめず、あえなく鋳物工場のス

ケッチは断念・・・・・・。

場所を移して描いてきたのが,団地の外れに昔からあった、この生コンプラント

だ。

工場の敷地を左沢線が通っている、なかなか面白いアングルを見つける事が出来

た。

スケッチをしに行って、こうして自分好みの構図を探し出した時は、嬉しくてたま

らなくなる。

この場所も以前からなんとなく気にはなっていた。

今日、鋳物工場のスケッチに失敗したおかげで、こんな素晴らしいアングルを探し

出してしまった。

何事も、失敗して初めて本当のことが見えて来る・・・・・・。

どんなことにも共通しそうだと、改めて知らされた思いがした・・・・・・・。

河北町 両所スケッチ・・・・Ⅰ

2008-04-08 | Weblog


昨日、午前中妻と愛犬「ナナ」の狂犬病予防注射に行って来た。

左沢線、高松駅前が会場だった。

犬を飼ってる家が大分多く、思ったより混雑していた。

私は今まで勤めの関係で、初めてだった。

以前から聞いていたのだが、我が愛犬殿は少し大げさなところがあるらしい。

他の犬は、注射をするまでいろいろ逃げようと騒いだりするが、後は皆平気で注射

を済ませた。

しかし、私の犬は、注射をするまでは割りとおとなしかったが、針をさされると、

なんと、ウィ~~ン・・・と悲鳴を上げたではないか・・・・・・?

家に帰ってきてからも、昨日は、それっきり1日中元気なし・・・・?

妻、曰く・・・・・「注射の後は過激な運動をさせず、出来るだけ安静にするよ

          うにと渡されたチラシにそう書いてある・・・・・との事」

私、思った・・・・「大げさなところは私とそっくりで仕方がないとして、しかし

          だ・こんな風に自分の子供も甘やかして育てたんだろう  

          か・・・・?と、思うと今更どうしようもない事だが、すご

          く不安になった。今まで見えなかったわが妻の新しいい1面

          を今日も見てしまった・・・・・」

予防注射を終えて、今年から畑でもしようと考え、我が家の畑を見に行った。



しかし、残念ながら、暫く放置していたせいで、萱がボウボウと生い茂ったあとが

あり、ここを畑にするには、開墾作業から始めなくてはなりそうで、むしろこの土

地をどう処分したらいいか、心配になってきた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

その後昼前まで、すぐ近くの両所をスケッチして帰ってきた。

暫く振りで、大自然から、町並みスケッチ・・・・・・・・・

どうもこっちのほうが私には向いているらしい・・・・。


岩根沢スケッチ・・・・Ⅱ

2008-04-07 | Weblog


ここは岩根沢の中でも一番の山奥だろう。

戸数僅か3戸だが、1戸は廃屋のように思えた。


この場所にいた時、丁度妻から携帯に電話が来た。

「今、どこ・・・・・・・・・?」

「岩根沢の山奥・・・・・・・・」

「息子が帰ってきたので、今晩の食事・・云々・・・・・・・・」

今晩息子たちと一緒に食事にでも行かないかとの用件だった。

わざわざ電話で相談するほどの用件でもなかったが、私の帰りが遅いので、そんな

理由をつけ、電話を掛けてきたようだった。

少しは私の事を気に掛け、心配してくれているのかと、そう思った・・・・・。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

この場所は昨日の場所より、更に山奥にあった。

この頃しきりに話題になっているいわゆる「棚田」である。

しかしここまで山奥に来ると、眼前に拡がる風景全体が棚田以前の1時代前までタ

イムスリップしているかのようだった。

ここだけが時代の喧騒から取り残され、ひっそりと静まりかえリ、私一人の「心の

ふる里」を見つけたような、そんな嬉しさが込み上げて来た。

岩根沢スケッチ

2008-04-06 | Weblog


昨日午後,隣町西川町岩根沢でスッケッチをして来た。

まだまだたくさんの雪が残っていた。

残っていたという表現より、やっと地面が見え始めてきたという表現のほうが

正しいかもしれない。

※(白く見える部分はみんな残雪です・・下手な絵なので識別できないかもと思

い・・・)

今日は仕上げに大分時間が掛かってしまった。

こういうふうに時間が掛かる時は大変だし、ほとんど上手く描けないに決まってい

る。

残念ながら、今日のスケッチも予想通り失敗だ。

失敗は失敗として受け入れる事もしないと・・・・。

しかし、描き直すことは出来ない。

描き終わると、いくら不満な箇所があっても、手直しさえもしたくない。

1度描いたら、この場所を描いてみたいという集中心はすっかり途切れてしまい、

暫くは元には戻れないからだ。

要は自分の力不足で、題材の雄大さに、すっかり負けてしまっている。

このモチーフは、主役が多すぎて、何もかもと欲張りすぎてしまったような気がす

る。

あれだけの大砲を備えた今の巨人の弱さがそうかもしれない。

なんとなく落ち着きがなく、深山の静寂な雰囲気がまったく感じられない・・。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

この場所は、国道から車で15,6分山奥に入ったところにある、月山の登山口と

しても知られている「岩根沢神社」の戸数30戸位の門前町だ。

正面の森の中に神社があり昔は修験行者で賑わった所だ。

この他にも2~3枚描いて来たので徐々に仕上げていきたいと思っている。

昨日載せた水仙、今日は皆、開花した。

3回目の掲載だが、水仙の花の向こうに月山がはっきり見えるように撮影した。

写真もスケッチ同様、やっぱり構図が一番重要な気がした。