翼なき〝天才〟

2008-04-28 22:26:26 | 日記風
 NHKスペシャルでミラクルボディーというのをやっていた。
 その第3回ハイジャンプ。

 人は翼がなくても飛ぶことができる。
 身体の持つ跳躍力って奴で空を目指すことができる。
 
 25年間、飛ぶことが好きでハイジャンプをやってきた選手がいる。けして背が高い訳ではなく、恵まれた身体的条件を備えている訳じゃない。
 しかし誰よりも飛びたい、その思いを強く持った選手がいる。

 かたや、1年半練習しただけで一躍、時の人となる選手がいる。身体的特徴がハイジャンプに向いていた。その理由が彼を栄光へと向かわせる。
 元々バスケットボールをやっていた選手は、あまりに高くシュートを決めるので、「やってみたらどうだ」と人から勧められ気楽に始めたハイジャンプだった。
 
 この選手のフォームが変っている。

 水平に置かれたバーを飛ぶ時、ハイジャンプは起こし回転と呼ばれる飛び方をするのが普通らしい。

 つまり棒の片端が地面につくと、その反動で、もう1度棒が跳ね上がる。その跳ね上がる力を借りてバーを越える飛び方だ。

 飛び跳ねてる棒を想像していただけるといいのかもしれない。
 
 前者の選手は長い訓練によりそれができている。美しいフォームを手に入れている。
 しかし後者の選手は、踏み切りもバーに近すぎるし飛び上がってバーを跳ぶときですら足をバタバタさせた自己流フォームで美しいとは言えない。

 走り高跳びをしてきた選手からすると、走り高跳びのセオリー外の飛び方をする。
 
 後者の選手の跳び方は持って生まれた身体特徴をそのまま利用しているだけだ。
 脚力の強さで飛んでいるのであり、助走はなんの意味もなしていない。
 しかし飛べてしまう。
 それが天賦の才というものだろうか。

 努力なのか、天賦の才なのか。
 
 人はもって生まれた能力を最大限に生かすことによりその可能性を高めることができるのか。
 それならば努力とは何になるのだろう。誰よりも高く飛びたいと思っていても身体的能力が低いのであれば、努力とはなんだろう。

 ハイジャンプにとってその翼はアキレス腱となるらしい。

 前者の選手は長い間鍛えられた硬いアキレス腱が翼となっている。どれだけ助走をつけようとその硬いアキレス腱により全ての衝撃を吸収できる。その吸収した力を反動として高く飛び上がる力に変えることが可能となる。
 
 後者の選手は生まれつき長いアキレス腱を思っている。長いアキレス腱も瞬時に高く飛び上がることを可能とする。彼が助走の力を借りなくても飛び上がることができる理由がここにある。
 やはりもって生まれた身体的特徴が彼を支えている。

 そして後者の選手はジャンパーが飛んでいるのではなく、バスケットの選手がダンクシュートを決めるつもりで飛んでいるという。
 彼はバスケット選手であっても、ジャンパーではない・・・本人の意識の中にその思いが強いのだ。
 ただ勧められたから、たまたま軽く関門をクリアーできてしまったから、飛んでいるに過ぎない。

 よく役者でも作家でも自分でなりたいと言った者より、人からやればいいじゃない、と進められた者の方がいいって言われることがある。
 
 自分がしたいと思う情熱があったにしても。
 それが誰より強かったとしても、それがプロとして通用するとは限らない。
 本人の自己満足だけの世界に終わる能力しか持ち合わせてないかもしれない。
 けれど、誰かに「いいよ、やってみなよ」と勧められるということは、第1の関門を既にクリアーしてることだと思う。
 誰かに、いいよー、面白いよーって言ってもらえることが仕事だから。その素養はあるんだよ。後からじゃやってみようかなって本人の情熱がついてきたらこんなに強いものもないと思う。

 ハイジャンプの2人の選手だけど。
 25年間好きでコツコツ練習してきた選手がやはり優勝を勝ち取るようになる。
 後者の選手に動揺が生まれる。
 
 腰掛感覚でいたのに。彼には鍛えれば身体能力を最大に活かし必ず世界1になれる可能性があると、そこまで伸びる筈だと予測が出ていたのに。

 負けることを知り、彼が本気でハイジャンプに向き合う瞬間が来たのだ。
 恵まれた身体特徴にやりたいと、頑張れば世界1になれる可能性を賭ける彼のハイジャンプはより変化するだろう。

 その時にこの2人のジャンパーはどんな勝敗を迎えることになるのだろうか。

 やりたいとコツコツと続ける努力か。
 もって生まれて能力に意志が加わる時か。

 その答えはまだ先にならないと判らない。

 いろんな望みの叶え方のアプローチはあると思う。
 ライバルがいることも大切だ。
 両者にとってよい結果が出ることを望むしかない。

 人は己の意志で選ぶ時、そこに始めて何かを成し遂げた実感を得るのかもしれない。

武士になる

2008-04-28 19:55:20 | 日記風
 ベランダでおじさんが行き倒れてるようなうめき声がする。

 またっ。
 
 鳩だ。何で鳩の鳴き声ってそういう風に聞こえるのかしら。
 落し物をされるのも困るし、行き倒れ風鳴き声も困るので、さっさと退去いただきました。

 ずい分体調が良くなったけど、何でこんなに悪くなったんだ?と思ったらちょうど1週間くらいになるのかしら。9月に出せばいい劇作家コースの原稿を無理矢理仕上げて出したせいかもしれない。
 
 どこかで糸が切れる瞬間があるんだけど、先週は色々バタバタしてたんでここへ来て切れたかな。

 よかったと言えばよかったのかもね。

 この間、PCに悪い姿勢についての記事を読んだ。
 人は30分同じ姿勢を続けることがそもそも無理がかかるんだって。

 猫背になるのがダメ。内臓や血流の流れを妨げるからよくないみたい。

 なってる。どうしても気がつくと1時間くらいただひたすら座り続けてることがある。
 どんどん背が曲がってる。どうしても下に沈みこむみたいな格好になっちゃう。
 
 だからかな。PCいじるようになってまず痛みが来たのが脇腹なのよね。

 普通、そこは痛くならないらしいんだけど。
 肩が凝るとか腰が痛いはあっても脇腹が痛くなるはあんまりないみたい。

 姿勢じゃん。
 
 エコノミー症候群とかあるものね。飛行機の狭いシートにずっと座ってると血流なんかが悪くなって・・・って病気。

 同じことよね。きっと。
 文明病なのね。

 背筋をのばすこと。なるたけ同じ姿勢をとらず動くこと。それが防止するいい方法らしい。

 武士だ。
 武士のように背筋を伸ばして・・・。
 昔の日本人って常に正座してても背を伸ばすのは当たり前だったものね。

 原点に返れなんだ。

 ってことで、最近必死にPCの前にで武士になってます。

白い最大公約数

2008-04-28 00:07:43 | 日記風
 観劇の帰りに。古着屋で帽子を購入した。
 日焼け防止ー。

 去年芝居をやって、幸と不幸が同時に襲ったように、なんとなくもやもやした気持ちを引きずったまま来た。

 もしかしたら、もっと自由に好きなように、みんなにやってもらえばいいのかなって思う。

 そうすると私の求めていることとはまるで違う世界に辿り着くことになってしまうのだけど・・・。

 自由って束縛の果てにあるものだと思う。
 それなくして得る自由は・・・無軌道って言うんだと思う。 
 
 例えば演出による、絶対この線は守れってお約束はあるにしてもね。
 妥協した結果の作品ではなく、考えてみんなでアイディアを出しあった後の最大公約数であるべきだと思う。

 芝居はチームプレー。ならそれはみんなの最大公約数であるべきだと思う。
 
 そんなことを最近ちらちら考えてはいたんだけど。

 本当に自分の追い求めていることと、現実のギャップが言いようがなく開いてきた。
 
 そんな気がしてる。

 不思議なもので外にいる間はまるで感じなかった眩暈が、家につくと思った途端復活する。
 表にいる緊張が眩暈を止めていたのか。
 家に帰ると具合が悪くなる魔法がかかっているのか。
 
 さあ、どっちだ。
 ・・・とばかなことを考える。

 家に帰ると原稿書かなきゃってプレッシャーが復活するせいもあると思う。
 今は別に書かなくてもいい筈なんだけど。

 それでもなんか書きたいと思うのが、性さ。

 所で写真の中央で白い山型のものは凝りもせず噴水だったりします。
 どうしてもそう見えない所が恐ろしい・・・。