「大阪水曜ほっと集談会」公式ブログ

3月19日(水)14時~・3月18日(火)20時~(ZOOM)にてリモート集談会を開催します

森田の言葉

2018年12月05日 20時40分34秒 | 集談会日記
苦悩の年月も無駄ではない。


今日、患者が、のこぎりで木を切っているところを見たが、ここの患者は、のこぎりの種類を選ばないうえに、いくらのこぎりが切れなくとも、平気でひいている。
のこぎりの切れ味などは全く無頓着である。職人は、道具を大事にして、常にこれを研いでいる。素人は、その研ぐ時間で、少しでも、木をひいた方が、その時間に、よけいに能率があがると思っている。それは大きな思い違いである。先日も材木屋で、木挽(こび)きを見たが、のこぎりの目立てを、1日3回ばかりもやり、1回に40分ぐらいもかかるということである。素人が考えて、むだな時間が、実は最も大切な時間であるのである。日高君のいう強迫観念の苦悩の年月も、実は心身の試練・目立て・研ぎ方の最も大切な事柄であるのである。
(「森田正馬全集」第5巻 251頁)
 
 
 
 
 
 
 
 

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

森田の言葉

2018年12月05日 20時15分31秒 | 集談会日記

心の事実をありのままに認める.

 

私はそれがいいか、わるいかを問題にしているのではありません。

私はただ、自分の心の事実をいっているのです。 自分の心の事実をありのままに認め、ありのままに白状するだけです。わたしは倫理学者ではありません。

私はただ、事実を正しく観察し、研究する科学者でありたいと念じている者です。

(中略) 私どもは、何もムリに善人になろうとしなくともよいのです。

ただ、事実のあるがままを認め、自然に服従し、境遇に従順でありさえすればいいのであって、努力をするのも、ズボラをするのも、それ相応の応報をうける覚悟でおりさえすればよいのです。

人に不機嫌な態度をもって接すれば当然人から嫌われ、人に親切の押し売りをすれば後に怨まれることになり、ズボラをすれば一生ウダツがあがりません。

そういう当然の応報を男らしくわが身に受ける覚悟であり、ズボラでありながら成功したいなど虫のよい考えやごまかしがなくなれば、その人は勇者であり、善人であるといえるのです。

(自覚と悟りへの道、142頁)
 
 
 
 
 
 
 
 

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする