
大阪水曜ほっと集談会一世です。
紫陽花に、なぜか心惹かれる私です。
紫陽花が綺麗に咲くためには 太陽の光だけではダメなのです 。
梅雨の激しい雨が必要なのです。
紫陽花の花に、とらわれて出口の見えない苦しみに翻弄されていた、10代の頃の自分が重なるのです。
雨に打たれてばかりいたと思っていたが、光は私にも注がれていた。
ふと、そのような思いが心を過りました。
スピリチュアルな話ではありません。
私にも太陽の光が燦々と注がれていたのです。
気づかなかったのはただ一人 私だけでした。
なぜ今それに気づいたかと言いますと実はこれも集談会のおかげなのです。
皆さんに森田という光が注がれているのを感じるのです。
ただ皆さんがそれを自覚されるのは先のことになります。
これが理解できない間は森田の学びをやめないで下さい。
生老病死の問題に一歩踏み込めない、理論として感情に訴えかけるだけの森田には何の関心も興味もない一世です。
森田を学べば学ぶほど生死一如を感じます。
今日の森田博士の言葉
せんじつめれば、あるがままでよい、あるがままよりほかに仕方がない、あるがままでなければならない、とかいうことになる。
2023.5.31 一世