
大阪水曜ほっと集談会一世です。
改めて今月の集談会で皆様の自己紹介から感じたことがあります。
変わることは変えていく、変わらないものは遠ざける。
遠ざけることが無理であれば一目散に逃げる。
また、このようにも感じました。
私たちを苦しめるのは人間であり、また救うのも人間であるという歴然たる事実です。
森田療法で得たことの一つは変えられるものと変えられないものを区別する知恵を授けられたことです。
とらわれの最中には、これがごっちゃになっているのです。
変えられないものに費やしていたエネルギーが変わることに注がれた時、生活がどんどん前に進んでいきます。
理解されないパートナー、意思疎通のできない上司や趣味や自助グループにおいては心が通じない人とはできるだけ関わらない。
アドラーの言う他人の課題に首を突っ込まない。
また自分の課題に相手を踏み込ませない。
承認欲求を他者に求めることは不幸を自ら作り出すことにつながります。
承認欲求を満たすこと=幸せとは言い切れないのです。
私はこのブログで自助グループ内で行動や実践を過度に推奨することを疑問視してきました。
私たちは一体神経質以外の何になろうとしているのでしょうか?
世間一般のいわゆるとらわれない、鈍感な人になろうとしているのでしょうか?
どちらが本当に人間らしい人間なのでしょうか?
私たちは自らが何をなしたかではなく存在しているだけでも何かを成しているのです。
社会の脇役でもいいじゃないですか?
主役だけで存在するドラマはないのです。
ちなみに私は講師という呼び方も嫌いです。
自助グループ内において上下関係を連想させるものを持ち込んではなりません。
もう一度言います。
自助グループとは教える、教えられるの関係性ではないのです。
私たちの自助グループが会員減に陥っている原因の一つがこの錯覚の中に潜んではいないでしょうか?
今日の森田の言葉
はたして努力すれば、ただいまの想いを別なものにするとか、減らしたりすることができるのでしょうか ?
それが可能なように考えていらっしゃる 人がいるとするならば 大いなる錯覚でしょう。
根本的な誤りではないでしょうか?
初心者の方 ならばそういう人間性の事実が少しずつでもおわかりになれば新しい人生のスタートになります。
開かれた生き方の始まりです。
「そのままのあなたですべてよしー私の森田人間学ー」より一部抜粋
2023・5・20 一世
