浜床のふろしき

尾道市因島から日常を記します

スパーク因島

2005年05月10日 | 因島

先日の「らまblog」に因島にある小さな公園が載っていました。ここは僕の住んでいる近所で、小学校の頃は毎日通っていました。ただ、その頃は片刈池(かたがりいけ)という池でしたが・・・。

いつのまにか池の大半が埋め立てられ、その土地に子どもが遊べる公園(簡単な遊戯が置いてある)とスパーク因島というゲートボール場が出来ていました。公園はうちの息子も時々遊びに行かせてもらっています。

ゲートボール場は結構立派(と言っても他の所がどうなのかよく知らない)で、屋内競技場と屋外競技場があり、夜間も使用できるように照明設備がついている。また、簡単ながら管理棟まであったりするのだ。そして、これがしっかりと活用されているから素晴らしい。

朝の早くから、夜の遅くまで毎日のように誰かがゲートボールをしているのだ。大会なんかもあるらしく、その日はゼッケンを付けた人が溢れている。

僕はゲートボールのことは分からないけれど、因島のゲートボール熱をみると、因島の市技は囲碁と並んでゲートボールなんじゃないかと思ってしまいます。いつの日か、因島でゲートボールの全国大会でも開かれないかと期待しています。


クオリティ・オブ・ライフ

2005年05月10日 | 福祉

久しぶりの福祉ネタです。興味のない方は飛ばしちゃってください。

「QOL」というのをご存知でしょうか。Quality Of Life(生活の質)の略で「より良い生き方や健康生活ということを精神的な豊かさや満足度も含めて質的にとらえる」という考え方です。

長い間、医療・福祉の分野では「身体的な能力の改善」「日常生活における動作の改善」ということに重点をおいてきました。そうすると、麻痺が残っている人や認知症(痴呆)の人は何のために生きているのか、という疑問が出てきます。

そこで考えられるのが、「その人らしさとは何ぞや」「様々な生き方とは何ぞや」ということです。

自分で食事が食べられて、トイレに行けて、お風呂に入れて、着替えることが出来て、それでその人らしいでしょうか?あるいは人間らしいでしょうか?ではそれが出来ない人は人間らしくないのでしょうか?

たぶん答えは否でしょう。ある人は自分で食事を食べられないけれど、レストランなどに行ってグルメを楽しんでいるかもしれません。ある人は他人に手伝ってもらわないと着替えることが出来ないけれど、お化粧したり、お洒落を楽しんでいるかもしれません。

僕の文章能力があれば、もっとうまく表現できるかもしれませんが、つまりはこう思うのです。出来る・出来ないではなくて、生活を楽しんでいるかどうかじゃないかと。

偉そうに言っても、自分の生活の質が大したことないかもしれませんが、病気になったからとか歳をとったからとかで、QOL(生活の質)を低下させてしまいたくはないものです。また周りの人間が勝手に制限してはいけないと思うのです。少しだけ暖かい目で見守ってください。