締め出された親子のお話

2016-12-19 14:57:30 | 日々思うこと

日曜日夜8時過ぎ、ピンポ~ンとなって出てみるとお向かいの坊ちゃん。

と言っても多分40代半ば過ぎ,独身。

瞬間、お母さんがどうかしたのかと思った。彼女は常にお腹が痛い。

ひどく気に病む性質なので神経性だと推測しているが、精神科、大腸の検査と

いろいろ診てもらっても原因が分からないらしい。

彼曰く、「ちょっと出かけていて帰宅したら玄関の鍵が閉まっていてインターホンを

何度鳴らしても応答なし、携帯鳴らしても出ない。部屋は真っ暗。警察を

呼んだほうがいいでしょうか?」

外へ出てみると確かにどの部屋からも灯りは見えない。

インターホン、携帯をわたくしも何回も鳴らしてみたけれど応答がない。

「鍵をもって出なかったの?裏の入り口は開いてない?」というと彼は

裏口を見に行って開いていないという。

彼は自分が鍵を持って出なかったことを棚に上げてぶつぶつ文句を言いだした。

「耳が遠いのだから、ドアを開けといてくれればいいのに。それとも

携帯をそばに置いとくとか・・・」

そんなこと言ってる場合じゃない。警察を呼ぶ?鍵のお助け人をTVで

見たことがあったけれど近くにあるのか?わたくしは電話帳をとりに

走って探すことにした。

するとそこへ親子でやってきてやっと通じて開いたという。まずはよかった。

この家は2度目なのだ。前は母親の方が裏の方に行っている間に息子が

玄関の戸を閉めて外出した。締め出された彼女はご近所に助けを求めて

その人とほぼパジャマ姿のまま夜遅くまで営業している喫茶店で過ごした

前歴がある。(その日運悪くわたくしが旅行中で後から知った。)

その時、どこか裏の方に鍵の隠し場所を決めて入れておいたらと言ったのだが

今回息子さんに聞いてみると「泥棒に見つけられて入られると困るから・・」と。

我が家は実家に1個預けてある。そして秘密の場所に勝手口の鍵を置いてある。

確かに泥棒は鍵を探すのがうまいらしい。でも盗ってくほどのものもない。

彼女は電気がもったいないので真っ暗でTVを見るのだそうだ。

「目によくないよ」と言ったのだけれど、我が家の門灯が夜っぴてついてるのを

もったいないと忠告したほどの人だ。人それぞれ。いろんな人がいる。

お騒がせの日曜の夜の一幕でした。

 

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実家の憂鬱(ご近所さんの話)

2016-12-18 16:18:25 | 日々思うこと

昨日夕方いつも車を出してくれるご近所さんから電話が来た。

「明日モーニングに付き合ってもらえませんか?」と。

「お婿さんがいるんでしょう?疲れているのじゃないの?」とわたくし。

「疲れはてて息が抜きたいの」って。

お嬢さんが出産してもう1か月余り3人で滞在している。

お婿さんは彼女の家から出勤しているのだそうで、勤務先から

遠いので朝早くから食事とお弁当まで準備しなければならないらしい。

休みの日は居間にでんと居座って赤ちゃんを構ってばかり。夜は泣くと眠れない

と1人2階に逃げ込むので夜中は彼女が世話をするという。

「もう堪らない。いつまでいるのかと言いたいけれど、言い出せない。

暖房費、水道代、食費などどれだけ膨らむことか・・・」とうんざり顔。

わたくしは息子1人なので婿への気配りは分からない。

でもこんな風に妻の実家に内心鬱陶しがられるのは考え物だなあと聞いていた。

娘夫婦は実家の母親の気苦労に気づかないものなのかなぁ。

わたくしは初めが肝心なので嫁に

「あなたはうちの人でお客さんじゃないから、もちろんおしぼりは

出さない。洗面所で洗ってらっしゃい。

冷蔵庫の中のものなど勝手に飲んだり、食べたりして。断りは無用。」

で、「年越しそば造ります。食べますか?」「はあ~い、食べます」

「コーヒー入れます。飲みますか?」「ありがとう、すぐ行きま~す。」

こんな調子。金庫の鍵も息子は駄目。嫁に置き場所を伝えている。

家族なんだもの、なまじ遠慮してるとかえって気づまりになる。

ご近所さんの鬱陶しさはどうも年を越すらしい。

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恒例のフランス料理でワインを飲みながら・・

2016-12-17 12:47:28 | 日々思うこと

今夜は仲間との今年最後の食事会。フランス料理だ。

毎年12月はフランス料理に決めてある。ドイツのコンクールで銀賞を

とったシェフが腕を振るう。ここのパンがまたおいしい。

蒲郡クラシックホテルではパンプキンとミカンを入れたパンがあった。

かぼちゃは嫌いなのでミカンの方をお代わりした。もっともクロワッサンが

基本的には好きだけれど。

蒲郡では息子は牛蒡嫌いなので朝食の和食についた牛蒡のお漬物も

他のものに変えてあった。

今夜のお店も心得ていてポタージュがパンプキンの場合でも、コーンなどに

わたくしのだけ変更してくれる。うれしい心遣いだ。*****

水曜日近所のかかりつけ医に1か月分の薬をもらいに行った。

その時、ダメもとで言ってみた。

「近頃脚立に乗るのが怖くて高いところの物が取れないしお掃除もできない。

こういう状態なんだから介護サービスって無理かしら?」

「そんな一人旅ができるような人には書けないね。事業所から調べにきて

一発で跳ねられる。」

「保険料ずいぶん払ってるのに・・。大丈夫、事業所の人には訳の分からない

こと言ってボケてるふりするから。」看護師が笑いながら口を挟んだ。

「駄目駄目、そんなのすぐ見破られてしまう。」

やっぱりそうよね、何事も当分自力でするしか仕方がないな。

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山口・長門市の警戒態勢から思いだす

2016-12-15 14:30:14 | 日々思うこと

夫が旅先で倒れる1年ちょっと前、玉造と松江に行った。

松江駅でタクシーに乗り「宍道湖温泉一畑ホテルへ」というと「よく取れましたね」

という。「何かありました?」と聞くと「今朝まで天皇ご夫妻がお泊りで松江は

警備の警察官でここ数日どこの宿も満杯でした。」

このホテルは宍道湖に面している大きなホテルで、当日はカラオケ室などの使用禁止

など多少緊張の名残はあった。大阪はもとより、四国、九州からも警察官が来ていた

ということだった。わたくしたちが松江に着いた朝、浜田へ旅立たれたという。

全く知らないで計画した旅だったのである。

今朝から山口長門市の日ソ首脳会談で4,100人の警戒態勢。32都道府県から

2,500人の特別派遣との報道で松江でのことを思い出した。

松江も玉造も子供が小学生の時に行って以来の旅だった。

この前の志摩でのG7の時も何日も前からの警戒態勢だったと報じられていた。

地元はこの先これを機会に潤うことになるのだろう(?)ね。

事前の不便・不都合は我慢、我慢。

安倍さんは地元に大きな恩恵をもたらしたんだ。

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横浜ニュー・グランドホテル

2016-12-14 12:38:52 | 日々思うこと

昨日、横浜の街並み写真を撮っていらっしゃる方のブログに

横浜ニュー・グランドホテルの前を歩く若者の姿があった。

このホテルには思い出がある。

息子の大学合格発表の日、わたくしと息子は東京に向かった。

家を出るときぬかるんだ勝手口のところでわたくしはちょっと滑ったが

もちろん息子には言わなかった。心の中でちょっと気にはなったけれど。

バッグの中には大学に近い不動産屋と駿台予備校の住所が入っていた。

確か正午に受験番号による合格発表があったと思う。ものすごい人だかりだった。

息子とはぐれたが番号を確かめるとわたくしはすぐ構内に設置されたたくさんの

NTTの臨時電話の前に並んだ。(携帯のない時代である)

勤務先にいた夫に電話する。「後ろに大勢いるので長電話はできない。高校の

担任の先生とわたくしの実家にそちらから電話して。」

その日のホテルは取ってあった。予備校の住所のメモは捨てた。

もし駄目だったらその日の3時までに受付を済ますことになっていた。

不動産屋でめぼしい部屋はもう少なかった。

それまでに私立大学の合格発表は終わっていたのでその学生たちがすでに

抑えていたのだ。何とか井の頭線で見つけたかったがとりあえず京王線

沿線で決めた。すぐ後に女の子と両親らしき人が来て同じように探していたが

我が家も譲れなかった。間一髪我が家が早かったのだ。

やっと部屋が見つかったので安心してホテルに向かう。

翌日夫も上京して、横浜に行こうということになり3人でニューグランドHを予約。

その日はタクシーで三渓園などに行った。(ドライバーも中に入ったことがない

というので彼の入場料も払った記憶がある)

翌日朝息子は健康診断があるとかで大学に向かった。

4月になり家財道具をそろえるために再び上京し、絨毯からコーヒーメーカー

に至るまでまるで新居のように300万近く使ったような気がする。

半年ほど過ぎたころここは気に入らないというので転居。

今なら携帯やPCで合格発表も部屋もすぐ取れるのに隔世の感がある。

現在、息子家族は横浜に住んでいる。

わたくしはほっとした気分でこのホテルに泊まったが、息子にはそれほどの

思い入れはないかもしれない。

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あなた いったい どうして・・・

旅先のホテルで夫が倒れた。 それから12年の年月が流れた。 わたくしは・・・