方言って面白い

2021-06-08 16:03:38 | 日々思うこと

ぼやけているけれど我が家の庭のアジサイたち。

 

リハビリ病院に入院していた時、地下にあるリハ

ビリ室2部屋は外来の人たち専用になるので、

入院患者は部屋でマッサージしたり、休憩室で理学療法士

によってリハビリを受ける。

例えばスクワットをした後彼らは決まって「えらくない

ですか?」と声をかける。

休憩室で数人が症状に応じて治療を受けるのだがあちら

こちらから「えらいですか?」「えらくないですか?」

の声が聞こえてくる。

東海各地からきている療法士なのにほぼすべての人が

こういう。

わたくしは神戸で生まれ、言葉を覚える幼少期を

そこで過ごしたので疲れたときや体がだるいときは

ああ、しんど!」である。

ある時、聞いてみたら「えらい」と「しんどい」

はちょっと違う感じがするそうだ。

昔義母のところに来たお客さんに「て~で~」(ちょっと違うかも)

と言われて戸惑った経験がある。

前後の文脈から「わざわざ」という意味だと分かって

「態態」の音読みかと妙に納得したことがある。

方言は面白い。

わたくしは言語学には疎いので詳しい分析はできないが、

現代はTVの影響で日本全国どこに行っても理解に苦しむ

方言はないけれど電車やバスの中で地元の人同士が話して

いる言葉は、好ましく思って聞いている。

弟の友人にお礼を言うのに必ず「ありがと、えか。」

という人がいるそうだ。「えか」と言われると念を押されて

いるようなのでやめてくれというと納得するのだが次もきっと

「ありがと、えか」なのらしい。

岐阜県の中津川だったと思うけれど、若い女性に

「それ取ってけ」「け」を強く言われたのに驚いた

経験がある。

彼女に悪気はないようで「ください」という意味のようだ。

「け」は「KURE]の「UR」が中落ちしたものであろう。

ブログを読ませていただいている方が時々「ずく」という

言葉を使われる。

調べてみると「根気、根性、辛抱強さなどの物事に立ち

向かう気力」らしい。

「ずくはずくだ」と標準語に置き換えられない絶妙な

ニュアンス持つ言葉とあった。

 

言葉って本当におもしろい。

宮沢賢治の「永訣の朝」の「あめゆじゅとてちてけんじゃ」

地元のアクセントで聞いてみたい。

 

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中国が「愛される外交」をとなえる

2021-06-07 13:54:11 | 日々思うこと

弟が熊本の知り合いから送ってもらったと言っておすそ分けが来た。

 

今日のニュースで中国習主席が友好国を増やすために「愛される

中国外交」を指示したと報じた。

「信頼され、愛され、尊敬される」中国のイメージを作り、友好国

の輪を拡大したいと。****

中国文化や中国文学を用いて世界に中国共産党のよさを浸透させ、

中国に対して友好的な人を増やしていく。

とのことである。

へえ~180度の転換?上海やウイグル自治区での人権侵害などで

不興を買っていて東アジア地域への侵攻でも世界から非難

されているので何とかそれを和らげようとの魂胆丸見え。

 

中国文学と言っても今の中国の若者は自国の古い文学、文化に

疎い。

前に書いたことがある昆明近くの羅平に菜の花畑を見に行った

とき、通訳の人が「まるで桃源郷でしょう」と言った。

陶淵明の「桃花源紀」とはちょっと感じが違うなとは思った

けれど「陶淵明ですね」と応じた。

すると彼は「えッ、どうして陶淵明を知っているのですか?」

という。

「日本の普通科を出た高校生ならほとんどの人が知っていますよ」

というと驚いていた。

水と緑の豊かな蘇州に行ったときも寒山寺で鐘を突いたが、

ここは有名なところですと言うので張継の「楓橋夜泊」ですね

というとびっくりしていた。

この詩の拓本の掛け軸は日本でも好まれていて掛け軸と拓本を

数枚買って来てお土産にしたほどである。

今の中国の若者は古典にはあまり関心がないようで

息子がスカイプで習っていた中国人の若い女性に何かの

時に「漢王朝の姓」を聴いたら知らないと言ったそうだ。

項羽と劉邦の戦いの有様はドラマチックで末路も三国志などで

よく読まれている。

日本も漢字の簡略化をしたが中国はもっとひどく簡略化して

漢字が表意文字でなくなったところに古典になじまないのかも

知れない。

中国文学を用いて友好関係を築いていくと言うならまずは自国の

若者に古典を読ませることも大切な気がする。

いや、古典ではなくきっと現代文学のことを言っているのだろ

うけれど。

中国の現代文学は読んだことがないので効果のほどはよく

分からない。

 

 

 

 

 

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瓦焼きそば

2021-06-05 12:49:38 | 日々思うこと

今日の朝刊に「山口の瓦そば」の記事があった。

新山口の駅構内のお店で食べたことがあるので

興味を持って読んだ。

西南戦争の時薩摩軍が瓦の上にいろいろなものを

並べて焼いて食べたのが始まりだそうだ。

それが敵方の長州山口の名物になっている。

のちに山口の旅館が「これは面白い」と始めた

今は山口名物になったとのこと。

 

わたくしの口には今一つだったが、やはり平素食べている

ものが一番おいしい気がする。

富士宮に行ったとき、有名な富士宮焼きそばを確か浅間大社の

近くで食べたがイワシの粉が大量にふりかけてあって生臭く

口に合わなかった。

地元の平凡な鰹節と紅ショウガと刻みのりのソースの香り

がする味が一番おいしく食べられる。

帰宅してすぐ焼きそばとお好み焼きを食べに行ったが

これこそわが味だと思った。

口は地元で育てられる。

 

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「この日の思い出」五能線

2021-06-04 13:12:31 | 日々思うこと

今日届いた「この日の思い出」は2008年6月3日からの

五能線の旅。

6月3日名古屋から秋田へ飛び、秋田駅前で宿泊。

4日「しらかみ1号くまげら」に乗った。

十二湖で降り、バスで奥十二湖へ、そこで青池まで歩いて

真っ青な池を見る。美しかった。

また十二湖駅までバスで戻り(客はわたくし1人だったので

運転手がいろいろ説明してくれた)「しらかみ3号」に乗って

ウエスパ椿山まで行き下車して不老ふ死温泉へ。

 

五能線に乗るのが目的だったが第一はこの温泉に泊まるのも

最大の目的であった。

それがなかなか取れないのだ。

前年あたりから何度も検索し、電話もしていたのだけれど

1人は無理ということでやっとこの日の予約が取れて

それに合わせて日程を組んだ。

日本海に沈む夕日を眺めながら海岸の野天風呂に入る。

 

翌日、「しらかみ3号」で五所川原へ。

途中電車が千畳敷で見学時間を与えてくれてゆっくり見学。

合図で電車に戻り、同じ電車で五所川原に向かう。

五所川原から金木へ。

太宰治の斜陽館を見学して五所川原に戻り宿泊。

立佞武多などを見学して青森に出、八戸から東京経由

名古屋に戻った。

忙しかったけれど念願を果たして満足した旅であった。

1人旅は自由で勝手気まま。やめられない。

 

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雲仙普賢岳火砕流発生から30年

2021-06-03 14:09:01 | 日々思うこと

雲仙普賢岳の火砕流発生から今日で30年が過ぎた。

TVに映し出されたカメラに向かって走って

逃げてくる人々の姿を眺めながら「逃げて!走れ!

間に合って!」と願ったものだ。

あの人たちやカメラを構えていた人は助かったのだろうか?

報道関係者の仕事に対する気持ちはよく分かる。

でも彼らが身の危険を冒してまで報道するのをわたくしは

望んでいない。

今も台風などの時、雨風のひどい海岸で実況する姿を見て

そこまでしなくともよいと思っている。

 

雲仙へは学生の時仲間と九州一周の旅に出て立ち寄った。

誰かが「真知子岩があるはずだから行って見よう」と

言い出して見に行ったことがある。

「君の名は」のヒロイン真知子が触れたとかいう岩だった。

数年前、天草五橋に行きたくなって熊本に飛び三角から

天草までバスで渡った。

しまなみ海道もかなり厳しい計画で尾道から四国に渡った

ことがあるけれど、途中の島のバス停で本当にバスが来るのか

と1人不安だった。

どちらもやはり橋を車で渡るより船で下から眺めたほうが

よいと思ったものである。

天草から島原へ行き、宿をとって火砕流で半分埋まった

家屋などを見学した後、今も真知子岩はあるのか尋ねた

ところあるということなので見に行ってきた。

学生時代の仲間との縁も薄くなっているが、青春時代を

思い出して懐かしかった。

 

中国雲南省で象の群れが北上して昆明に近づいているとの

ニュースが報道された。

15頭の群れに出会ったら相当怖いだろう。

どこかにに旅した時乗ったことがあるけれど、調教された

象なので怖くはなかったが。

昆明へは石林を観たくて行ったことがある。

羅平で世界一と言われる一面の菜の花畑を見たから2月下旬か

3月初めだったと思う。

石林も菜の花畑も感動した。

その雲南省の省都昆明は大きな町だった。

そこへ象が大挙してやってくる。

作物を食い荒らし、住民を怯えさせる。

象に悪気はないのだろうけれど南に帰るように

中国政府は工夫をしなければ住民は安らかに眠れない。

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