浄心庵・長尾弘先生「垂訓」

恩師の歌集「愛」より

偉大なる光の王に導かれ
我が身は動き口は語らん

「講演集」より。

2015-04-09 00:26:39 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

           恩師のご著書「講演集」より


               講演集、 三


           聖書に説かれた深い意味


「汝の隣人を愛せよ」と、イエスは説かれました。
隣人とは隣家と違います。
家庭の中で、或いは職場の中で身近な隣にいる方達です。
その方達の為にたださせていただくことです。
なぜ愛さなくてはならないかというと、それは愛することによって、
自らが愛されることになるからです。
愛さない者を誰が愛してくれますか。

イエス様の説かれる愛とは、「私たちが幸せになる為に、他を愛しなさい」
ということです。
そうすることによって、自分が幸せになるからです。
なぜ「汝の敵を愛せよ」なのかと言うと、愛することによって敵がなくなるからです。
相手という対象を通して自らを愛することになるのです。
イエスは言っていられます。
「他の血をわが内に受け入れることなかれ」と。

聖書の中にあるこの言葉の表の意味だけをとって、聖書研究会の方は、
輸血を断っていとしい我が子を亡くしてしまったという例がありました。
又、輸血をすれば助かるものを、
「聖書にはこう書いてあるから、輸血は拒否します」と言って、
死んでしまった方もありました。
とんでもないことです。
イエス様がそんな馬鹿なことをおっしゃるはずがありません。

しかし、「血」とはその方の因縁、宿業、その人のカルマのことで、
欠点、悪い癖を、自分の心に受け入れてはならないとおっしゃたのであり、
それを「血」という言葉で表わされたので。
間違えば命とりです。
ですから、血液と書かないで血と書かれてるはずです。
旧約聖書の中に次のような話があります。
アブラハムが神様と話された時、神様から「あなたは私を信じることができますか」
と尋ねられて、「私は信じます」と答えました。

「では、どのようなことがあっても信じますか」と念を押されて、
アブラハムが「はい、信じます」と言うと、「それではあなたの子イサクを、
私の生け贅として供えなさい」と神様が言われたと、そのように書かれています。
神がこんなことをおっしゃるはずはありません。
アブラハムが、もう七十、八十歳になってからできた、そのいとし子を殺して
私に供えなさいなど、そんなことを言うのは、神でなくて悪魔です。
しかし、聖書には言葉としてはそのように書かれています。

それは、自分の可愛い子供より以上に神を信じる、それほどの思いをもって
神様を信じなさいという譬えです。
丸呑みをしてはいけません。
しかし、それを信じて堂々と説いている指導者もありますね。
とんでもないことです。
盲信、狂信の世界に人を引きずり込みます。


             ~ 感謝・合掌 ~



  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする