浄心庵・長尾弘先生「垂訓」

八正道と作善止悪

「講演集」より。

2015-04-19 00:17:34 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

            恩師のご著書「講演集」より


                 講演集、 三


            難しことよりもまず実践を


私の所の会場で、先月は二百人ほど集まっていただきました。
ふだんはこういう壇の上にあがるのは嫌いですから、
皆さんと同じ席に坐らせていただいてお話会をしていたのです。
そうしますと、だんだん人数が増えてきまして、
後ろの方から顔が見えないと言われれて演壇を拵えてもらったのですね。
私が「上にあがるのはかなわないですから許して下さい。

どうぞ、下に居させて下さい」と言いますと、「先生、それは愛がない、
思いやりがない。自分だけは低い所にいて、
皆に顔が見えなくても構わないのですか」とおっしゃるのですね。
もう、そう言われると、辛くてしようがないです。
こうして、演壇の前に立たせてもらってお話させていただくようになってしまいました。
しかし、私のほんとうの思いは常に下座にありたい、下にあって皆さんと共に学びたい、
そのように思わせていただいて、ずっと続けてきました。
不思議なご縁で、先生の教えを少しでも忠実に、そして枉げないように伝え、
そして自分が実践するように努めておりますと、
やがて、その教えの輪はどんどん広がっていきます。

高橋信次先生が亡くなられました当時、私の家とその他二、三か所のお話会の
場所を持っていたのです。
しかし、皆さんもご存じですけど、ごちゃごちゃと混乱が起きまして、皆様の
心がちりぢりばらばらになってしまいましたね。
頼る所がなくなってしまいました。
しかし、私の縁生の方には、一切そういうごちゃごちゃはお耳に入れませんでしたから、
今も、先生ご存命中と全く同じ状態で学んでおります。
しかも、皆様はほんとうに安らいでおられます。
喜びに満たされておられます。
それは迷いが無いからですね。

昨日、静岡に寄せていただきまして、昨日のお昼から夜にかけて、
そして今朝から又お話させていただき、この時間になっているのですけど、
「もう、あまり喋り過ぎまして、話のネタがないようになりました。
どうしましょう」と、向こうで相談していたのですけど、これ又、不思議なもので、
神様は次から次へと話のネタを作って下さるのですね。
私は、難しいことはよう喋りません。

誰方が聞いて下さっても分かる、私の話はお子さんもお年寄りも皆分かると思います。
それは、誰もが理解して誰もが行えなくては、法ではないのです。
聞いても分からないような、別の先生が来て翻訳しなくては分からないような
難しいものでしたら、学んでも何にもなりません。
大変な時間がかかります。

そもそも、今から二千年或いは二千五百年昔の方が、
そんな難しい言葉を聞いて分かるはずがないのです。
お釈迦様もイエス様も、その当時の無学文盲の、
今よりも教育程度の低い時代の方々が聞いても、
「ははん、なるほどその通りだ、その通り生きなくてはいけない」と、
皆が納得するようなやさしいお話をされたのです。
それが仏教であり、キリスト教ですね。


                ~ 感謝・合掌 ~




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