浄心庵・長尾弘先生「垂訓」

恩師の歌集「愛」より

偉大なる光の王に導かれ
我が身は動き口は語らん

「御垂訓」

2018-02-05 23:56:31 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

     恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より


         第五章 心の曇りをとるための反省

          前世の親子が今生で嫁姑となる

先の続き・・・

一人の息子への愛にとらわれた思いが執着となり、
自分の育てた子が嫁に取られたように思って嫁を憎く思い、
嫁のほうもついに耐えきれなくて、
姑と調和できずに何とか対立しがちな嫁姑の関係というのは
世の中ではよく聞く話ではあります。
このお嫁さんの場合も、ご他聞にもれずそんな母親の業とでもいうべき問題を、
その息子の嫁が引き受けるという立場に立たされ、彼女としては、
やはりお姑さんをなかなか好きになれず、
そうかといって同じ屋根の下で暮らしを共にしなくてはならないため、
その相手や状況から逃げるわけにもいかずに心を苦しめていました。

このお嫁さんにしてみれば、なんで私はこんな境遇に置かれているんでしょう。
なんて不幸な巡り合わせなんでしょう、と嘆いていたはずだと思います。
「理不尽だわ、私だけこんな目に遭わなくてはならないなんて」と言う
思いがあれば、当然、心は苦しいはずです。
しかし、こうした人間関係もすべてご縁があって、
偶然は何一つないということを知ったなら、
今現れている出来事だけを見て、自分の都合という物差しで
一概にいいわるい、幸不幸などと決めつけることもできません。
この二人の嫁姑も実は前世の深い因縁によって必然的に出会っていたのでした。
母親が好きで好きでたまらない。
死ぬまでいっしょに暮らしたい。

今度生まれ変わったなら、母が死ぬまでいっしょに暮らして面倒みたい。
そういう願いを抱いて亡くなったために、
その想念が今生でこういう形となって現れたのです。
いささか皮肉な結果と言えるかもしれませんが、考えようによっては、
お母さんの心の癖がとれ、
娘さんがどんな相手とも調和するという心の修行を通じて魂を向上させるには、
絶好の機会であるとも言えましょう。
勿論、互いに過去世の記憶はすべて表面の意識からは消されていますから、
肉体の五官の思いにどうしても翻弄されてしまい、相手を憎く思ったり、
恨んだりしています。
これはふつうのことです。

それがこのお嫁さんが苦しんで苦しんで苦しみ抜いた時、
自分自身の前世において、もし、また次の世で母親に巡り逢えたなら、
今度こそは終生尽くさせてもらいたいと誓っていたことがわかり、
本当に涙を流して今生の姑さんにお詫びすることになりました。
この心はお姑さんにも伝わりました。
この嫁姑は以前とは打って変わり、
とても仲のいい嫁姑になったということです。


            ~ 感謝・合掌 ~


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