浄心庵・長尾弘先生「垂訓」

恩師の歌集「愛」より

偉大なる光の王に導かれ
我が身は動き口は語らん

「御垂訓」

2018-02-09 23:49:28 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

   恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より


         第五章 心の曇りをとるための反省

     反省研修会のこと

先の続き・・・

反省は心の無智やカルマの思いのスモッグがつくる闇を照らしてくれる
偉大な法の光でもあります。
原因結果の法則の中に生かされている自己を理解する智慧の光とも言えます。
神様の愛を頼りに、自らが自らを救っていくのです。
けっして神様以外の力や、それを使う迷わせ人に惑わされてはなりません。
自分の心が理解でき、自分の誤りに気付いていけば、
自分も他人も同じ人間だったんだということがわかり、
すべてを赦させてもらえる心境になっていきます。

謙虚さ、やさしさ、そして強さなどがだんだんと育まれ、
その結果、魂が成長していきます。
愛は赦しです。
思いやりと同時に寛容な心が愛の中にはあります。
この世の中で最もいとしい自分を赦せない人が、
どうして他人を赦せるでしょうか。

相手の立場も心も我が事のようにわからないといけません。
それが苦労であれば、思いやりとして現れますし、過ちを犯してしまったなら、
寛容の心として現れます。
自分と相手とを分け隔てる思いは、神の御心ではありません。
何事が起きても、
常に自他の分離観を超えた大きな愛の心で包んでいくようになることです。
そのための反省なのです。
自己を見詰め、深く自己を知るためです。


           ~ 感謝・合掌 ~



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「御垂訓」

2018-02-09 00:09:11 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

    恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より


         第五章 心の曇りをとるための反省

         反省研修会のこと

先の続き・・・

別にそんなことしなくても自分は間違ったことなどしていないし、
困ってもいないと思う人は、まだ心の奥を探ってみたことのない人です。
誰にとっても、心の奥深くに人に言えないような秘密を隠し持っているという
ことはあります。
それは恥ずかしいことかもしれないし、
二度と思いだしたくないような悲しいこと、忌まわしいことかもしれません。
自分自身に対してさえ、もう記憶の彼方に忘れ去られてしまって、心の奥底に
眠っていることがあるものです。
それを反省によって知った時、

「ああそうだったか。私はなんと罪深い人間だったのか」と思い知り、
また人もそうだったのだと思えてきます。
しかし、それに気付いて、間違っていたと反省できている自分は、
もうそれまでの自分ではないことを知るべきです。
良心はすでに神の御心の中にある神我に属するものだからです。
パアッと光がさすごとく、
それまでの何もわからず、誤った行いをさせていた心の闇は消え去り、
変わって神の子の本質を具現できる自分の心が開発されてきます。
無明の迷っている心も、自分が反省して正直に心の誤りを悔い改めたなら、
すぐに苦しみから救われて楽になっていきます。
明かりがあるところに闇はありません。


           ~ 感謝・合掌 ~





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