浄心庵・長尾弘先生「垂訓」

恩師の歌集「愛」より

肉体の限度にいどみ人救う
愛の行い我が内の神

「御垂訓」

2019-03-06 01:40:33 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

~ 恩師の「心行の解説」上巻より ~


    講演 十

 「さらに諸天善神あり」

先の続き・・・
土地の話に戻りますが、
土地の持ち主が代々ずっと持続していることはありません。
これは天皇様でも、昔奈良に都があり、
斑鳩と飛鳥と平城京は大分離れています。

まず飛鳥にあり、斑鳩から平城京を経て、
或いは難波に行き、
京都に行きまして、今は東京です。
一国の王様でもずっと同じ所に
住んでおられないのです。

まして我々一般庶民は、
土地を我が物にしたり売ったりして、
人手に次々と渡っているのが土地の実相です。
土地を我が物にしようと思いますと、
これは今も昔も同じで、
もう爪で火を灯すようにしてお金を貯めて、
やっと我が物にするのですね。

その時に、「この土地はわしがものすごく苦労して、
やっと我が物にしたのだ」という具合に執着します。
土地でも家でもそうですが、「えらい苦労してやっと
建てたものだ、わしは死んでもこれを離さない」という
思いを持ってこの世を去っていきますと、その方の
思いは、その土地や家に留まるのです。

その人の執着がその土地に住み着くわけで、
もちろんこれは成仏できません。
成仏できないから、自分が持っていたその当時の
意識のままで、その場所におられます。
その土地へ他人さんが来て、
ちゃんとお金を払って入手して土地であっても、
霊にしてみましたら、それは自分の知らない赤の他人です。
その土地へ家でも建てようものなら、
「わしの土地に勝手に家を建てやがった」と言って
怒るのですね。

それで神主さんに来てもらいまして
「祓い給え、清め給え」とお祓いをしてもらいますと、
これはちょうど塵はたきでもって塵をはたいている
ようなもので、その時は塵、つまり霊は飛びますが、
時間が経てば、またそこへ塵(霊)は溜まってきます。


~ 感謝・合掌 ~


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