~ 恩師の「心行の解説」下巻より ~
「この現象界におけるわれらは」
瞑想の方法にはいろいろとあって、例えば阿字を見つめて、
そこへ心を統一する阿字観とか、お月様を想い描いて、
意識をお月様に留めて統一する月想観とか、
水を想って観じる水想観とか、或るは自分の肉体が朽ち果て、
徐々に腐り果てていく姿を観じながら深く心の中へ入っていく
不浄観という汚いものを観るものなどがあります。
「この現象界におけるわれらは」
この中で「不浄観」というのは素晴らしいものですが、
自分がどこか人里離れた山の中を旅している姿を想い描きます。
そして寿命が尽きてのたれ死んでしまいます。
倒れて、自らの命が絶えた姿を観つめていきます。
だんだんと腐っていき、時間と共に朽ち果てていく姿を観ます。
腐ってきますと、蠅が飛んできて卵を産みつけ、
肉体に蛆がウジャウジャと動いている姿を観ます。
そのうち鳥とか犬とかが近寄って自分を食い散らしている姿、
やがて骨だけになった自分を観ます。
或る時、親切な方が通りかかってその骨になってしまった自分を見つけ、
まとめて火に燃やして下さる、その燃えていく姿を静かに観じます。
一握りの灰になってしまいます。
その時、一陣の風が吹いてきて、灰は空中に飛び散ってしまいます。
このように、自分が消えて無になってしまうのですね。
自らの心を宇宙の中へ編満させてしまう瞑想法が不浄観ですが、
これをやってみますと、自分の死の姿から腐っていく姿、
蛆がいっぱい涌いて肉体の中を
這いずり回る姿は何とも気持ちが悪くて、
ほんとうにそういう感じが分かるのです。
そして、やがて消えてしまう自分を観じることができます。