浄心庵・長尾弘先生「垂訓」

恩師の歌集「愛」より

極楽と地獄の在り処
たずぬれば我が内にこそ
共にあるなれ

「御垂訓」

2019-12-16 00:59:24 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

~ 恩師の「心行の解説」下巻より ~


                    講演 十一

「自己保存 自我我欲の煩悩を捨てるべし」

先の続き・・・

それほど人に知られたくない出来事を、
反省することによって自分で掘り起こすのです。
反省するぐらい、何が苦しいものかと思います。

かつて反省の場で「さあ皆さん、苦しみ、のたうって下さい」と
言われた時、私はなぜのたうつのかと思いましたが、
自分で自分の嫌なものを放り出しなさいということなのです。

誰にも言っていないこと、
誰にも知られたくないことを自分で堀り出して告白するのですから、
苦しみのたうたなければなりません。
反省をして、自分の心の中に詰まった諸々の罪穢れを掘り起こして、
捨ててしまうのです。
これが反省の一つの行為です。

私たちは自己保存・自我我欲のために、自分は正しく、
人が間違っていると思いやすく、自分が無理を言っていながら、
聞いてくれない相手が悪いと思って、
腹を立て相手を謗り恨み憎むという苦しみが湧き上がってきます。
人間は肉体を頂いた限り、肉体についている五官の煩悩、
つまり目、鼻、耳、口、身体の中に自分を保存しなくてはならない
欲望というものが、否でも応でも与えられています。

これから離れることができないために自己中心にものを見ようとして、
心を苦しめていきます。
ですから心の状態は常に平常心を保ち、
心に苦しみを入れない状態でものを見るようにしなくては、
正しく見ることはできません。
腹を立てていて正しく見ることはできません。
それは心が煮えたぎっているからです。
心が白紙でなく既成概念を持って見た時も、
また貪欲の思いに捉われて見た時も、自己中心に片寄ってしまって、
正しく見ることはできなくなります。



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