浄心庵・長尾弘先生「垂訓」

恩師の歌集「愛」より

極楽と地獄の在り処
たずぬれば我が内にこそ
共にあるなれ

「御垂訓」

2019-12-19 01:05:19 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

~ 恩師の「心行の解説」下巻より ~


           講演 十二

「いっさいの諸現象に対し 正しく見 正しく思い」

今日から「八正道」の教えに入ります。
私たちが生きているということは、
いろいろの出来事の中にいるということです。
起こる出来事に自己保存という欲がある場合、
自分にとって都合の悪い人には腹が立ってきます。

腹が立つ時、もし自分のほうが正しいと思えば、すでに間違いで、
正しく見たことにはなりません。
自分という立場からいったん離れて、
相手の立場に立ってみることです。

身体をつねると痛いし、人から悪く言われると辛いですから、
何か出来事があった時は相手の人はどうだろうかと思って
遣ってみるのです。
しかし、相手の立場にばかり立つとこれはまた片寄りますから、
善意なる第三者の立場に立って、相手と自分とどちらが
無理を言っているか無茶をしているかと、
第三者つまり神の立場に立って見ることです。

ものを正しく見ようと思いますと、
平静でなくては見ることはできません。
水の入ったかめでも土鍋でも、
怒りに煮えたぎっていると心が乱れて正しく見ることができません。
「疑問」は持ってもいいけれど、
「懐疑心」を持ってはならないといわれます。

疑いを懐に入れた懐疑心を持ってはなりません。
きれいな水を放っておくと、
藻が生えてきて顔がきれいに映らないように、
貪欲に振り回されと全く映らなくなりますし、
不調和の時は映らないようにできています。
怒り、妬み、謗り、愚痴、恐怖、不安、貪欲の心を持つと、
正しくものを見ることができないようになっています。


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